あなたエルフじゃないでしょう
──なんだいお前、本が好きなのかい。
あんまり囚われるもんじゃないよ。
大概の本ってのは、いいかげんな奴がいいかげんなことを書いてるもんさ。
そう……オークどもが岩陰に引っ込んでからかれこれ二〇〇年は経つねえ。
お前を見てオークだとわかる人間がいたなら、そいつは相当な老いぼれか、本の虫だね。
その本の作者? あたしだよ。アッハハハ!
オークの男は隙を見て、幻術で気配を消して宴を抜け出した。
酒場の裏口から伸びる裏路地は静まり返っている。
灯の落ちた商店の看板が風に揺れ、夜だけが持つ音を奏でていた。
その道端に、あの荷馬車の少女が立っていた。
片手に分厚い本を抱え、もう片方の手で髪を押さえながら、言った。
《あなた、エルフじゃないでしょう》
オークは雷に打たれたかの如く驚いた。
少女の声が耳ではなく頭の中で聞こえ、はっきりと理解できたからだ。
言葉を届ける魔法の一種だった。
《衣装も耳も、杖の持ち方も違う。皆の前では言えなかったけど……気位の高いエルフが人間と同じ食卓を囲むなんてことしない》
オークは何も返さなかったが、感動で静かに震えていた。
育ての親を除けば、魔法の素養を持つ者に出会うのは初めてだった。
“灰の賢者、光持て来たる──”
彼女は言った。
《古い本の一節です。皆あなたを、伝説にある救世のエルフだと思っている。面倒を嫌うなら、夜のうちに発ってください》
オークはやはり何も返さない。
会話というものがひどく久々だったせいで、喉に蓋がされたように息だけが漏れ出た。
《……そう、わかりました。あくまで英雄を演じるというのなら、私が何なりと手を貸しましょう。……お礼もまだできていません》
頭の中に響く声は、わずかに熱を帯びたようだった。
オークは沈黙の民と称される。
声よりも、行いが重きを持つと信じている。
怒りは石を割るが、沈黙は大地を耕す──そう教えられて育つ。




