第1話 青天の霹靂
「ヒヒーン!」
馬が前足を高々とあげ、それを合図に豪奢で煌びやかな馬車が身体スレスレで停まった。
(びっくりした。何事だ…?)
「危ねぇだろうが!」
中肉中背だが顔立ちは整っており、馬車の雰囲気に合う端正な格好をした御者が、唾を飛ばしながらカリーナに向かって叫ぶ。
どうやらカリーナはこちらへ向かってくる馬車に気付かず、砂利道へ飛び出してしまったらしい。
「ごめんなさい」
謝りつつも馬車を見る。骨組みから変わった形をしており、白を基調として細かい模様が金色で描かれている。扉の真ん中に蛇をモチーフにした柄があることに気付き、見覚えがあると記憶を辿る。
(なんだっけ…あの柄)
見た事あるんだよなぁと頭を捻っていると、ガチャという音と共に、白くキラキラした履物と、すらりとした白くて形のいい脚が現れた。
その脚が地面に付くと現れたのは、ブロンドの長髪と誰もが羨むようなスタイルの持ち主の女だった。
驚いたのはその顔立ちである。大きな薄桃色の瞳、高く整った鼻筋、形の良い唇、絵画の中の貴婦人の様な輪郭。それらに薄く化粧をしたその女は、この世のものとは思えない程の美しさだった。
女はカリーナに視線を合わせると、一瞬驚いた様な顔をした。
(醜女ですみませんでしたね)
吐き捨てるように心の中で悪態をついていると、その女がカリーナに話しかけてきた。
「貴方、ここの家の子かしら?」
声まで美声ときたもんだ。天は二物を何とやらって言葉をなにかの本で読んだ覚えがあるが、あれは嘘だったんだと思い知らされる。
「そうです」
そう言ってから、知らない女に家の場所を教えても良かったかなどと考える。実際走ってきたのが家の方向からだから、誤魔化しても仕方がないのだが。
「親御様はいらっしゃるかしら?」
これはまずい。気付いてなかったからとは言え、子供がいきなり馬車の前に飛び出したらその責任は一般的に親に問われる。
あいつらにこの事が知れたらどんな折檻を受けることになるのだろう。鞭打ちか…はたまた殴打か……。
出来るだけ穏便に済ませたい。平和なのが1番である。
「今街へ買い物に出かけています。あと1時間半は帰って来ないかと…」
本当は両親共に家の裏の畑で農作業をしているはずだ。うちは代々農家を生業にしていたから、随分広い畑を所有している。30分くらい前に覗いたら、大声を出しても聞こえないくらい遠くの方で作業していたから多分大丈夫だろう。
「あら、そうなの。困ったわね…」
女は本当に困った顔をしていた。元々うちに用があったのだろうか?いや、そんなことよりもこの場をどう切り抜けるかの方が先決だ。とりあえず、ここに長居されるのも不味いので帰ってもらいたい。
「両親にはお伝えしておきます。後日もう一度来て頂けませんか?」
(早く帰ってくれ!)
願いを込めて、でもそれを悟られないように女に言う。しかし、嫌な予感は当たるもので。
「カリーナ!!!」
(あー…終わった)
声のした方を見ると父親のヘイブが全速力でこちらへ向かってきていた。母親のマージュもその後を追うように着いてきていた。
(最悪)
ヘイブはカリーナのそばに来ると、否応なしに平手打ちをした。
「何をしてるんだ!知らない人とは関わるなといつも言っているだろう!」
両親、主に父親だが、私の身体中にある折檻の後を他人に見せたくないらしい。それなのにお客人の前で平手打ちなど、見てくださいと言っているようなものだ。それを後ろで嘲笑う様に見ていたマージュが女に言った。
「うちの娘に何か御用でしょうか」
「ははっ。そのような扱いをしている時点で娘ではないと思っていたんだがな。平民ではこれが普通なのか?」
(ん?さっきまでと性格が違くないか…?)
女は先程までのお淑やかな雰囲気とは打って変わって、まるで王様のような、王女様のような唯我独尊の雰囲気を醸し出している。
美人は怒ると怖いとなにかの本で読んだことがあったが、まさに今目の前の女を見て実感した。怒られてるのは自分ではないはずなのに、迫力に負けて身体が思うように動かない。
それは両親も同じだったようで、先程までの勢いは弱まったが、それでも口は減らない。
「その家にはその家のルールがあるのです。他人の家の都合に口を挟まないで頂けますか?」
ヘイブは冷や汗をかきながら反発していた。私よりもビビっている。いつもやられてばかりだったカリーナにとっては、一瞬でも自分に強力な味方が出来たようで爽快感があった。
両親の様子を見ていた女はフッと笑い、馬車から手のひらに乗るくらいの箱を取り出すと両親に渡した。その箱には中いっぱいに銀が詰まっていた。農民の3年分の生活費に相当する量は入っているだろう。
両親は呆気に取られ金魚のように口をパクパクしている。女はお構い無しに言い放つ。
「ではこの娘を言い値で買い取ろう。私は平民のルールとやらを知りたいのでな。お前達も娘に折檻する苦労が無くなっていいのではないか?」
とんでもない提案である。なんなんだ一体。
この人は一体誰なのか。買い取ったあとはどうなるのか。なぜ私なのか。聞きたいことはいっぱいあった。だけどそれ以上に、両親に殴られ罵られ、何もすることがない窮屈で退屈な日々から抜け出せると思うと、胸が踊り出して止まらなかった。
「私、行きます」
気付けばそう口にしていた。
「おい!」
「何を言っているの!」
我に返った両親は私を止めようと腕に手をかけるが、それは簡単に振りほどける力だった。
(こいつらも現金だよな)
私に金の価値があると分かれば利用しない手は無いのだろう。引き止める普通の親を演じたって、長年私を邪魔者扱いしていた心は仮面を被れないのだ。止められる腕を容赦なく振り払うと、女の前に立つ。
「本当によろしいのでしょうか?」
「あぁ、私と共に帰ろう」
頷いて馬車に乗り込む。乗り込む際に見えたのは、呆気にとられたような両親の顔と、馬車の扉に描かれた蛇の模様だった。




