東子と海萌
東子は今年で十六歳になる。
彼女と同じ年頃の娘たちはみな結婚してしまい、赤子を背負いながら家事をする姿を村のあちこちで見ることができた。
東子自身は結婚を焦っていない。
そもそも結婚する気がないのだ。
この村では結婚しないという選択はない。
それでも彼女は竹馬の友である海萌の言葉を信じて、彼女を待っていた。
海萌は七年前に村を出て行った女の子だ。
生まれはこの村ではなく、五歳の時に村に連れてこられた女の子だった。
可愛らしい子だったが、体が弱く、いつも家の中で過ごしていた。
五歳でありながら彼女は色々なことを知っていて、東子に村の外のことを教えてくれた。
村では見たことがない書物も持っていて、東子に書物を見せてくれた。そこに書かれた物語も一緒に教えてくれて、東子は海萌を尊敬していた。
体の弱い彼女が不憫で、ある日東子は彼女を背負ってこっそり外に連れ出した。
お気に入りの花畑に案内したら彼女は大喜びしてくれた。
それから東子はこっそり彼女を連れ出すことにした。
しかし、ある日、見つかってしまい、両親を含め村長にこっぴどく怒られた。
その上、海萌と会うことができなくなってしまった。
「東子」
一か月後のある日、東子が一人で木の実を拾っていると、海萌が現れた。彼女は驚き、まずは海萌の体を心配してしまった。日の光が苦手だと聞いていたからだ。
けれども海萌は平気そうで、彼女に近づいてくる。
「東子。嘘をついてごめん。私の体は弱くないの。ただ人に姿を見られたらいけないと言われているだけなの」
「そうなの?だったら」
「東子はいいの。特別だから。あのね。私、十歳になったら村を出ていくの。だけど、絶対に戻ってくるから、私を待っていてくれる?」
「うん」
「約束だよ。東子を村の外に連れて行ってあげる。色々一緒に見ようね」
「うん」
その約束を交わしたのは二人が八歳の時。
それから一年後、海萌は村から出て行った。
来た時と同じようにこっそりいなくなった。
東子に挨拶もなく。
彼女が村を出ていき、唯一仲が良かった東子は村の子供にからかわれることが多くなった。その度に彼女は相手をコテンパンにした。そんなこともあり、東子は男の子から嫌われるようになってしまった。
そうなれば、東子はますます意固地になって、他の娘のように自らを着飾ることもせず、男のように畑を耕し、時には狩りもした。
女らしくもない彼女、しかも男に媚びる様子もない、彼女を娶りたいという者は村にはおらず、年頃になっても浮いた話は一つもなかった。
両親は心配し、色々寡作したが、実を結ぶことはなかった。
そんなある日、村に身なりのよい男が側男を連れてやってきた。
「海萌」
それは村を出て行った海萌によく似た男だった。
海萌は女の子で、彼女のはずがなかった。
「そこの娘、何という名だ」
男は身なりだけでなく、美しい姿形をしており、既婚、未婚を問わず村の女たちは色めきだった。そんな中、彼は東子をまっすぐ見つめ質問してきた。
東子は自分ではないだろうと答えなかったが、すぐ側にいた娘が代わりに口を開いた。
「私の名は真純でございます」
「お主ではない。その隣の娘だ」
娘は顔を真っ赤にして、八つ当たりのように東子の肘でつつく。
「あ、あの、私は東子という名です」
「東子か。よい名だ。どうか、我が妻になってくれないか?」
唐突すぎて、東子は状況がつかめず、口を阿呆のように開いたまま。周りの女たちは阿鼻叫喚だ。
東子の嫁ぎ先を探していた両親は家から転げ落ちるように出てきた。
「おお、おぬしらが東子の親じゃな。私は東子が欲しい。我が妻に迎えたい。よいかな」
「もちろんでございます!」
「父さん、母さん!」
東子が答えぬのに、両親が即答し、婚姻の話が進む。
「それでは準備も色々あるだろう。井森」
男は懐から何か取り出し、側男に渡す。
井森と呼ばれた側男は布に包まれた何かを両親に手渡した。
「こ、これは!」
包みをすぐ開けるようなことを両親はしなかったが、中身の重さから金か何か違いないと顔を綻ばせた。
「それでは一週間後に迎えにくる。東子、大人しく待っているのじゃよ」
男は名乗らなかった。
側男を連れ、機嫌よさげに笑い声をあげ、再び森へ戻っていく。
「東子!よくやった!」
「ああ、これでやっと安心だわ!」
両親は東子の側に来ると大はしゃぎ。
この場で東子は断りたいと思ったが、村人の目があるので何も答えなかった。
その夜、包みを開け、金の小判を眺めている両親に、東子は恐る恐る話しかけた。
「結婚を断りたい。私は結婚をしたくないの。もうすぐしたら、」
海萌のことを言いかけたが、彼女は言葉をそこで止めた。
「東子、何を言っているの?」
「断ることなどできるわけないだろう。あれはどう見てもお貴族様だ。お前はとてもいい生活をすることができるんだぞ。何が不満だ」
「そうよ。何が不満なの?」
ずっと長い間、両親は東子が結婚することを望んできた。
そしてやっと転がりこんできた旨い話。
東子の話などに聞く耳を持つわけがなかった。
「名前もわからないし、供が一人なんておかしくない?しかもどうして森に帰っていったの?」
男は身なりからして貴族だろう。
けれども名乗らないのはおかしい。海萌の顔によく似ていたが、
東子は男に対して嫌な印象を抱いた。眺めているとぞわぞわと体に寒気が走るとても嫌な気持ちだ。
けれども、両親はそう思わなかったらしい。
「お忍びだろう?森に別邸があるかもしれない」
そんなものはない。あれば、狩りに行く途中に東子が見つけているはずだった。
「森には別邸はないよ。名も名乗らなかったじゃない」
「結婚したくないからと文句を言うんじゃない」
「これまでずっとお前の我儘を聞いてきた。だけど、今度こそは嫁に行ってもらう」
両親に何度も男が怪しいことを伝えようとしても、馬の耳に念仏で、聞く耳をもってくれることはなかった。
翌日、側男の井森より花嫁衣裳が届けられた。
両親は感激し、東子の話をますます聞かなくなった。
そして当日、彼女は諦めの境地で白無垢をまとう。
化粧も施され、両親や村人は馬子にも衣装と囃し立てた。
男は側男の井森を連れやってきた。
その姿を視界にいれ、東子の全身が総毛立つ。
何を言われてもいい、嫁に行くことはできないと覚悟を決め、彼女は逃げ出した。
「人の理を真似てみたが、徒労だったようだな。井森」
「そうですね。巳大様」
男と側男は顔を合わせて大きな溜息を吐いた。
その途端二人の姿が大きく変わる。
男は大きな蛇に、側男は両足で立つ蜥蜴の化け物に。
「!」
東子の勘は正しく、それらは人ではなく、妖であった。
馬脚をあらわした男、いや大蛇は東子に襲い掛かる。
彼女は白無垢を脱ぎ捨て、死ぬ物狂いで駆けだした。
「狩りというのは楽しいものじゃ。なあ、東子よ。お前のことはずっと見ておった。頃合を見計らっていたのじゃ。ようその年まで操を守った。穢れがある者は美味しくないのじゃ」
東子はシュルシュルと音を立てて迫るそれの言葉を聞いていなかった。
ただ逃げることを考え、足を動かす。
「井森!」
「御意」
長い舌が東子の足に絡みつき、彼女は足止めされた。
「そのまま足止めするのじゃ」
大蛇はするすると彼女の前にたどり着き、その長い舌で彼女の顔を舐める。
「頃合じゃ、頃合じゃあ。どうやって喰おうぞ。人間のように弄んでから喰うかのう」
東子はまさに蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっていた。
「東子に触るな!化け物が!」
突然男の声がして、蜥蜴の舌が切られた。
絶叫があがり、東子の身柄が自由になる。再び逃げようとした彼女を抱き留めたのは、見目のいい青年だった。
それは大蛇が人間だった姿によく似た青年、つまり海萌に似た顔立ちをしていた。
「話しは後で」
青年は大蛇の頭上に飛び上がり、刀を振り上げる。
二本の刀を華麗に操り、大蛇の首を簡単に落とした。
それを見て逃げ出そうとした大蜥蜴に対して、片方の刀を投げ、その頭部を破壊した。
「間に合ってよかった!」
あっという間に二体の妖を始末して、青年は呆然としている東子に笑いかける。
「東子。ただいま」
「……もしかして海萌なの?」
ただいまという言葉、似た顔立ち。
東子は反射的に問いかける。
「そうだよ。わかってくれて嬉しい」
「え、え?男?」
「うん。私は男だよ。ずっと女の子の振りをしてたんだ。うちの家の決まりでね」
妖を退治して、散り散りに避難していた村人が姿を見せ始める。
その中で両親の姿を目にいれたが、東子は目を逸らした。
「迎えに来るのが遅くなってごめん。さあ、行こう」
「うん」
自身の話をまったく聞いてくれなかった両親。
男が馬脚をあらわし、妖になった瞬間、逃げ出した村人、両親。
東子の気持ちはすっかり冷めていた。
「東子……」
両親や村人に挨拶することもなく、東子は海萌に付いて村を出て行った。
海萌は都の陰陽師の家系の次男であったが、正室の子でなく、消されることを恐れた側室によって村に隠された。陰陽師の家系では八歳まで女児として育てられるのが基本で、それに従い海萌が女の子として村に匿われた。
彼が八歳の時、正室が死に、彼に迎えが来た。
十六歳の今、彼が実権を握り、家督を継いだ。
そうして彼は東子を迎えに来たのだ。
平民である東子であったが、妖を引き付ける霊力があり、陰陽師の妻として十分の資格があった。
海萌を女性として認識していた東子にとって突然の妻の座は思ってもいなかったことだが、命の恩人でもあり、美しい彼に愛情を抱くのは容易かった。
それから何度か妖に狙われたりと、穏便ではない結婚生活になったが、東子は村にいた時よりもずっと幸せに暮らすことになった。
(おしまい)




