最終話 それでも朝は来る
朝は、容赦なく来た。
カーテンの隙間から差し込む光が、
昨夜を現実に変えていく。
隣で、あの人が眠っている。
名前を呼ばないまま、
越えてしまった距離の証拠。
起こさないように、
静かにベッドを抜ける。
服を着る。
靴を履く。
動作ひとつひとつが、
取り返しのつかなさを積み上げていく。
――ここにいたら、だめだ。
振り返らずに、ドアに手をかける。
「……行くの?」
背中に、声が落ちる。
起きていたのか。
それとも、気配でわかったのか。
「ああ」
それだけ。
「戻らない?」
問いじゃない。
確認だ。
「戻れない」
即答だった。
沈黙。
そして、静かな声。
「……そっか」
責めない。
引き止めない。
それが、一番きつい。
ドアを開ける。
「昨日のこと」
一瞬、動きが止まる。
「後悔してる?」
少し考えて、答える。
「……してる」
正直だった。
「でも、
なかったことには、できない」
それが、破滅の言葉だとわかっていても。
「私も」
その一言で、
胸の奥が、完全に壊れた。
ドアを閉める。
外の空気は、
やけに澄んでいた。
世界は、何も変わっていない。
変わったのは、
俺たちだけだ。
数日後。
連絡は、来なかった。
送らなかった。
約束しなかったから、
破る必要もない。
職場で、笑う。
日常をこなす。
誰も気づかない。
罪は、
共有された沈黙の中でだけ、存在する。
夜、
ふとスマートフォンを見る。
最後の通話履歴。
最後の既読。
削除しようとして、やめた。
罰は、
消えない形で残す。
それからしばらくして、
風の噂で聞いた。
あの人は、
遠くへ行ったらしい。
理由は、知らない。
聞く資格もない。
駅のホーム。
人混みの中で、
一瞬、似た背中を見る。
心臓が跳ねる。
でも、違う。
いつも、違う。
――もう二度と、会わない。
それが、
一番優しい終わり方だったのかもしれない。
それでも。
夜になると、
思い出してしまう。
名前を呼ばないまま、
確かに存在した温度。
正しさを選んでいれば、
救われた未来。
壊したからこそ、
一生、忘れられない夜。
後悔は、薄れない。
でも、
後悔だけが、
あの時間が本物だった証になる。
完全な破滅とは、
すべてを失うことじゃない。
失ったものを、
一生、抱えて生きることだ。
朝は、今日も来る。
何もなかった顔をして。
それが、
この物語の、終わりだ。




