そんなに泣かせてごめん
Qちゃんの丸い目に見つめらえ、ルツはいきなり鼻の奥がツンとした。何から話していいのか。胸に熱い塊が込み上げてくる。
こんなにも会いたかったんだ、私。
「お母さん、Qちゃん、信じられないかもだけど、私ね、31世紀にタイムワープしたの。ヨハネスブルグに。南アフリカの。森羅と一緒のとき、偶然」
突然のあり得ない話に、2人は神妙な顔をした。
「ルツ、何言ってんの……。あ、これ、返しにきたんだ。充電器。借りたままだった。ありがと」
とQちゃんはルツに充電器を手渡した。
母親は、スリムで縫い目のないスノボウエアの袖口を触って、ルツを少し見上げる。
「ルツ、背、伸びた?」
「うん。こっちでは日にち変わってないけど、向こうでは、もう何ヶ月も暮らしてるから」
ルツは、森羅と自分は何不自由なく元気に暮らしていると話した。母親はうんうんと頷いてくれた。Qちゃんは、ただただ穴が開くほどルツの顔を見ていた。
時間がない。森羅の部屋からハードディスクを持ってこなきゃいけない。それに、万象に「つき合えない」って言わなきゃ。
「ごめんなさい。私、行かなきゃ」
「え?」「ルツ! 待ちなさい」
「じゃね。探さないで。探してもいないから。Qちゃん、お母さん、すっごく会いたかった。元気でね」
「「ルツっ」」
ルツは玄関へ走った。後ろから母親とQちゃんが慌てて追いかけてくる。フォルテはルツと並走している。
靴下のままルツは玄関を飛び出した。垣根を潜り抜け、隣の森羅の家のインターホンを連打。ルツの家から、母親とQちゃんが自分を呼ぶ声が聞こえる。
森羅の家のドアを開けたのは万象だった。
「あは。久しぶり」
「っ」
万象は目を見開き、完全に言葉を失っている。
「ごめん、やらなきゃいけないことがあって。お邪魔するね」
承諾を得る前に、ルツは玄関へ入り、階段を上がって森羅の部屋へ行く。フォルテは緊急事態を感じ取っているのか、いつもだったら他所の家に上がるなどしないのに、ルツの横をぴったりマークしている。
ルツに続いて森羅の部屋へ入った万象は、やっと言葉を取り戻した。
「ルツ、この間のこと、その……」
森羅の部屋は、見慣れた状態だった。床にコードや爪切りが散らばる。
ディスクトップパソコン2台はコンセントに繋がれたまま。
ルツはすぐに、森羅の机の2番目の引き出しを開けた。意外にも、中は整理されていた。1番奥にあったのはグレーの長方形のもの。
これ?
外付けハードディスクだろうものを取り出し、引き出しを閉める。
「森羅と私ね、31世紀にタイムワープしたの」
「は?」
「は?だよね。ホントに」
「それ、ハードディスク、森羅に頼まれた?」
「森羅、元気だよ」
「ルツ、どーしたの。そのカッコ何?」
万象に聞きたいことがある。
「警察って、この部屋来た?」
「は? けーさつ?」
ルツは、万象の正面に向き合った。フォルテが2人を見守るように横でお座りする。
「ルツ、なんか変わった? 大人っぽい」
31世紀や22世紀で過ごした10ヶ月分、大人。濃縮された10ヶ月だった。
「かも。いろいろあって……。」
「いろいろ?」
「ね、万象」
「なに」
「この間、ちゃんと言えなくて。私、森羅が好きなの。だから万象とはつき合えない」
予定では「好きな人がいる」と言うはずだった。森羅の名など出す予定はなかった。
「分かってた」
「え」
「ルツが森羅を好きなことぐらい」
「……私のこと、好きって言ってくれて、ありがとう」
「森羅とつき合うの?」
「それは、分かんないよ」
「そっか」
ルツはスマホの時計を見た。時間は残り少ない。
「行くね」
「は? どこへ。なんか変、ルツ」
「わんわんっわんわんっ」
万象がルツの腕を掴もうとする。フォルテが万象の剣幕に反応して、ルツを守ろうと吠える。ルツはその隙に階段を駆け降りて行く。
だだだだだ
「わんっ」
フォルテがルツを追ってくる。万象も。
ダメ。フォルテ、来ちゃダメ。体が分断されちゃう、危険!
「フォルー、ルツー、どこぉ、フォルちゃん」
隣のルツの家から、母親がフォルテを呼ぶ。その声を聞くと、フォルテは生垣の間を潜って、ルツの家の方へ行った。
ルツが立つのは、森羅の家の敷地。玄関から門まで中間。靴下のまま。
靴を引っ掛けた万象が玄関ドアを開ける。17:59:56、17:59:57、17:59:58、17:59:59、
「ばいばい、万象」
17:59:59、
「ルツーッ!」
痛っ。
足の痛さにルツはうずくまった。
視界にベージュ色の敷物、黒い靄。痛むのは左足の裏。ベージュの敷物が赤く染まっていく。
「ルツ!」
森羅がガラスの分厚い扉を開けて部屋に入って来た。
「左の足の裏、削れた」
土踏まずよりも前の部分と、中指と親指の裏の皮膚が、靴下の布と一緒に分断されていた。地面がわずかに凸凹していたのだろう。靴を履いていれば、きっと大丈夫だった。
すぐさま手当のために家事ロボットが呼ばれた。高さ1mほどの棒のような本体に管が3本ついた汎用品。このロボットは見た目以上に有能。家事以外に医師の役目までする。
「なんで戻ってきたんだよ。どーやって戻ったんだよ」
家事ロボットが傷口を観察する横で、森羅は涙声。
「森羅と私は、考えることがそっくりってこと」
「はあ?」
ルツは、タイムマシンの作動を予約設定していた。4月11日17:30に。
4月11日は、ルツと森羅が幸橋から飛んだ日。17:30の自宅にしたのは、ルツの母親がパートから帰るのが17:00ごろ、ルツの夕食が18:00からだから。
森羅がタイムマシンで指定したのも、4月11日17:30だった。
森羅は往路ONLY
出発 2月28日 到着 4月11日17:30 ルツの家の庭
ルツの予約設定往路
出発 3月2日 到着 4月11日17:30 森羅の家の玄関アプローチ
予約設定復路
出発 4月11日18:00 森羅の家の玄関アプローチ
到着 3月2日
ルツは、森羅にムリやり21世紀に送られて、自分が予約設定した復路の便で戻ってきたのだった。
森羅にとっては2日後、ルツにとっては30分後の再会だった。
泣いたの?
森羅の両瞼はぱんぱんに腫れて目が線状。俯いて泣いたのか、髪は後ろがぱっくりと分かれ、前に流れてしまっている。限界までかじった左親指の爪がぎざぎざ。
「ごめんね」
2日間も泣かせて。
「なにが」
森羅は気づかれないように、こっそり目を拭っている。涙を隠しているつもりだろうが、カバーしきれていない鼻水が滝。
「フォルちゃんも私も、外歩いたまま、森羅ん家に上がっちゃった」
「それマジでどーでもいい」
手当が終わり、ルツは、家事ロボットに休憩スペースのイスへ運ばれ、動かないように指示された。
「もういい加減、それ、離せよ」
森羅は、ルツがぎゅっと抱えていた物に手を伸ばす。
2304年11月28日、日本人の遺伝子1000人分として保管される予定だった皮膚辺がびっしり並んでいる本2冊。森羅の外付けハードディスク、Qちゃんが返してくれた充電器。
「これ」
「森羅の部屋から持ってきた」
「……ありがと」
そこでお互いに状況報告をする。
学会での研究発表は、ロンドン、ストックホルムで無事終わった。次はカリフォルニアというとき、ハオラン氏から「森羅はカリフォルニアに行かない方がいい」と言われた。サミュエルさんと森羅は、データセンターの件で警察に呼び止められたから。
シールドで顔を変えても、警備ドローンや警備ロボットは同一人物と識別できてしまう。
「で、オレだけ帰ってきた」
研究室へ行くと、タイムマシンを操作する装置が稼働状態だった。ハオラン氏も自分もいないのに不思議に思い、調べると、2304年11月28日へ行っている誰かがいると分かった。緯度経度から、建物の中と分かった。
「そんなあぶねーことすんの、サミュエルさんかルツしかいねーじゃん」
サミュエルさんは雲隠れ中。残るのはルツ。
ヨハネスブルグに帰ってから人が変わったルツ。いつ見ても、勉強していた。ときどき怖いくらい深刻な顔をして考え込んでいた。
ルツはナイロビからの資料の部屋にこもっていた。一度、森羅が遊びに行ったときルツは不在で、ペン型携帯機器の隣に壊れた液晶があった。
ルツがタイムワープした先の2304年は、ジュンユー・ホーがペン型携帯機器を使った年。警察に提出されたペンの持ち主の音声には「ドメスティケーション」「遺伝子」という言葉。
それらのことが森羅の頭の中でパズルのピースのようにはまった。
「ルツが持ってたのって、ジャパニーズレポート? それとも日本人の遺伝子?」
「遺伝子」
「やっぱり」と森羅は言った。過去は変えられない。ジャパニーズレポートは31世紀に残存している。だから、遺伝子だろうと森羅は考えた。
2304年11月28日から帰ったルツを、森羅は21世紀の横浜へ送った。
しかし、充電が十分ではなかった。それが分かったのはタイムワープ実行後。ルツが31世紀からいなくなると同時にタイムマシンが止まった。1mほどの高さの3台は、電源が入っている状態では、タイムワープ中でなくても、柱部分の一部が青白く光っている。その光が徐々に弱くなり……消えた。
過去見で探したが、4月11日の日没は18:10ごろ。17:30は過去見で観ることができなかった。その数日後まで過去見で探したが、森羅はルツを見つけられなかった。
当たり前じゃん。いないもん。
森羅はコノハナサクヤヒメさんに、ルツを21世紀に帰すのを失敗したかもしれないと話した。
「生きててよかった」
森羅は手をワイパーのように動かして、涙と鼻水だらけの顔を拭く。
汚ったな。
「あら? ルツ!」
休憩スペースへ来たコノハナサクヤヒメさんが、ルツを見て驚く。
「ただいま帰りました」
「森羅が戻したの?」
尋ねられた森羅は首を横に振る。
「自分で帰ってきました。私、ちょうど21世紀の横浜往復、予約設定してあったんです。えっと。それで。そしたら、足の裏、削られちゃって」
「ルツ、どーしてスノボウエアなんて着てるの? 汗かいてる」
コノハナサクヤヒメさんは、ルツのスノボウエアを脱がせてくれた。
やましさによる冷や汗がルツの額にじっとりと湧いてくる。
「ヒメさん、あの、喋ってなかったことがあるんです」




