残された日本人の遺伝子
ルツは、先に入手していたデータから、NZURI USEDCARの住所を調べた。幸にも、NZURI USEDCARについて、ネットの中に案内の地図があった。それを元に過去見で調べることにした。
過去見でA.C.2500年より前のデータを観る許可は得ている。
「リング、過去見で2304年6月6日のナイロビ出して」
「はい」
ぼやけたデータに補正や修正などを加える。この辺りは21世紀の映像を観るとき覚えたこと。
ルツは案内地図に従って、NZURI USEDCARの建物を表示した。建物の周りには荒地がある。緑色と茶色が点在。恐らく、現役時代は建物の周りに中古車が並んでいたのだろう。面している道路は広い。片側2車線。市街地から少し離れているせいか、辺りの建物は大きく、そして、まばら。
6月6日、建物に近づく人と車はなかった。
6月7日午前7:00、速度を落としながら近づいたグレーの車があった。一旦通り過ぎ、少し離れた場所に車が停まった。そこから茶髪と金髪が出てきた。1人はNZURI USEDCARの建物の表へ、もう1人は裏へ回った。建物と木の影で見えなくなった。
約2時間半後、午前9:40、建物の前で1台の黄色い車が停まり、黒髪が降りた。黒髪は正面から建物に入って行った。10:00から14:00、過去見を利用できない。10:00まで、何も動きはなかった。14:00、建物から少し離れた場所に停めてあったグレーの車はなくなっていた。14:00から日没のしばらく前まで、建物に出入りする人はいなかった。
6月7日にきっと何かがあった。
ルツは、もう一度、写真ホルダーにあった最後の画像を見た。広げられたファイル、目的の広告の下には、大きさが不揃いのピンクや水色の紙がはみ出し、重なっていた。その下にファイルの青色が見えた。メッセージにも「青いファイル」とあった。
ルツはナイロビからの資料が集められている部屋を歩き回った。ファイルは青が多い。丁寧に開いてみる。
違う、このファイルじゃない。これも違う。
そして見つけた。ビンクと水色の紙が閉じてあるファイルを。画像を再現することはできなかった。少女の写真が載った広告がなかったから。代わりに、茶色い汚れが付いているページがあった。その汚れは、もう1枚上の紙に落ちた液体の続きだと分かる半円に近い形だった。半径3~5mm。4つ。ぱっと見、ドリンクか何かを零したように見える。
血痕。
ルツは想像した。
ジュンユー・ホーが青いファイルを順番に調べ、広告を見つける様子を。ペン型携帯機器で写真を撮る。そのとき、何者かがジュンユー・ホーに危害を加えた。ペンが落ち、血が飛び散る。何者かは、ファイルしてあった広告を破り取った。広告とその下の紙にまたがって円を描いていた血は、半円になった。
埃の臭いに、血の臭いまで混じってきてしまう。
ルツは静かにファイルを閉じ、ペン型携帯機器を棚に戻した。
ホーさん、たぶん、殺されちゃった。日本人の遺伝子を救おうとしてくれたのに。
ペンに残されていたメッセージの一部を思い出す。
『Kamikazeの遺伝子はKaroshiに受け継がれている』
己の犠牲を顧みない人がいたと思う。周りの空気を読んで、自分の意思を押し殺した人もいた。和を以て尊しとなす民族だから。
『残された1000人分
・貧しい生活を送っていた者
・大変と言われる仕事に長年従事した者
・犯罪歴がない
・鬱の病歴がない』
善良で真面目で、日々を懸命に生きる人間が思い浮かぶ。それはルツにとって、自分や自分の周りの人達の姿だった。華美なことなどしない。貧しいは言い過ぎかもしれないが、贅沢はしなかった。ルツの家は代々農家。曽祖父も祖父も父も、平日は会社に勤め、休日に田畑の仕事をした。農作業をする曽祖母も祖母も母も日に焼け、働く手をしていた。「人に迷惑をかけちゃダメ」と口癖のように言った。
長靴で軽トラに乗る母の姿が思い浮かんだ。ピーナツ畑でカラスを追い払う祖父の姿が浮かんだ。台風のときに田畑を見に行く父。近所に野菜を配る祖母。
ぼた ぼた ぼた
大粒の涙が流れ落ちる。
酷いよ。どーしてそれを利用しようとするわけ。奴隷ってなに。兵士ってなに。
残された1000人分の遺伝子が販売されたらどうなるのか。人間が誕生する。そして、奴隷や兵士として育てられる。
絶対ダメ!
けれど、ジュンユー・ホーはいなくなった。
ルツは、はっとして顔を上げる。泣いている場合じゃない。確認しなければ。
『兵士や奴隷として販売するなどあり得ない。人道的に決して許してはいけない。廃棄しろ』
『極秘研究所の遺伝子保存庫ができたら順次移管予定。
11月26日9:00、遺伝子保存庫稼働
11月27日9:00、Aランク納入
11月27日13:00、他Sランク納入
11月28日9:00、SランクD納入』
メッセージにあった。6月7日から11月28日まで5ヶ月以上ある。ジュンユー・ホーとメッセージのやりとりをしていた人が動いていたら、11月28日9:00に日本人の残された遺伝子1000人分は遺伝子保存庫に運ばれないはず。
「リング、2304年11月28日の武漢を過去見で」
「はい」
小さなトラックが遺伝子倉庫にぴったりと停車した。そのトラックから人が出てきた。そして、みかん箱くらいの大きさの水色の箱を届けて去った。
ポジティブに考えようとした。自分に都合よく。
ほら、極秘研究所が新しくできたばっかじゃん。備品とかを搬入するトラックだったのかも。
11月27日9:00を観てみた。同じ小さなトラックだった。みかん箱サイズの水色の箱を、ひたすら搬入していた。11月27日13:00は過去見で観ることができない。14:00には搬入作業は終わっているようだった。
遺伝子以外を運んだわけではなかった。
ジュンユー・ホーと連絡を取り合っていた人も、なんらかの事故に遭った可能性がある。組織の残党とやらに、日本人の遺伝子の廃棄を妨害されたかもしれない。
許せない。日本人の遺伝子にドメスティケーション遺伝子ってレッテル貼ったヤツも、ドメスティケーション度なんてふざけた基準で1万人から1000人を選別したヤツも、それを奴隷や兵士として売ろうとしたヤツも買うヤツも、ホーさんを殺したヤツも。
ぎゅっと下唇を噛むと、ざくりという感触。血の味がした。
ルツは、ナイロビからの資料の部屋から離れることにした。長居すると怪しまれる。
くてっとしたクッションを持って、休憩スペースに移動。
「あ、ルツ」
廊下でハオラン氏に声をかけられた。
「はい」
「警察に聞いたんだ。ジュンユー・ホーの消息不明の件」
どきっ
さっきまで、それについてなんやかんやしていたので、ルツの心臓が口から出そうになった。
「はい」
「『そんな何百年も前のこと、残ってません』だってさ。警察で保存する100年以上前の資料は、凶悪犯罪のみらしい。『警察は博物館じゃありません』とまで言われてしまった。リングが使用されるようになってからは、かなり残っているらしいんだが。残念だよ」
「はい」
未だ心臓がどきどきしているルツは「はい」しか出てこなかった。他の誰かなら、クッションを運んでいることを怪しまれたり、動揺を悟られたりしただろうが、相手は研究以外に興味のないハオラン氏。ことなきを得た。
心臓を落ち着けようと、休憩スペースの隅にクッションを置き、ちんまりと座る。
6月7日から11月28日まで5ヶ月もあったのに、残された日本人の遺伝子1000人分は存在していた。放っておくと、遺伝子が複製され、販売されてしまう。犠牲者は1000人にとどまらない。何回も複製すれば、無限に販売できるのだから。
「ルーツ。どした?」
森羅だった。
「え、何?」
「すっげー怖い顔してた」
「もう。こーゆー顔なの」
「あっそ。な、ヒメさんさ」
「え?」
「順調かな」
「どしたの? いきなり」
どっちかってゆーと、タイムマシンにしか興味なさげなのに。
「日本人消滅解明PJはさ、ヒメさんがメインじゃん」
「そーなの?」
「ハオラン氏はタイムマシンを使えそうだから呼ばれた」
「そーだった」
「コオロギが日本人に有害って分かったら、このプロジェクト終わりじゃん」
「言ってたね。ミーティングで」
「オレら、どーなるんだろ」
「里親?」
「そんとき、ルツとオレって離されるんかな」
「一緒の家じゃないよね。たぶん。1カップルの里親につき、子供1人でしょ。きっと」
「だろーな」
♡
森羅ったら、そんなに私と離れたくないんだ? 私もだよ。
「きっと会えるようにしてくれるよ」
前は、21世紀に帰れみたいなこと言ってたのに、本当は一緒にいたいんだね。うふっ。
「どこだろーな。オレ、今のままがいい。ハオラン氏やサミュエルさんやヒメさんといるの、楽しい」
「うんうん。私も楽しい」
「正しくてどーしよーもない人しかいないとこだったらどーしよー」
「ん?」
ハオラン氏は正しい人だよ。
「ちょっと不安」
「ヒメさんにそれとなく聞いてみる?」
「お、行こ行こ」
ルツと森羅は、コノハナサクヤヒメさんのところへ向かった。いつものようにコオロギの部屋か、その隣の実験室にいるだろう。足音を消してくれる廊下を歩きながら、日が傾き始めて薄暗くなった空を眺める。
コオロギ部屋は建物1階の1番奥にある。1つ手前の実験室にコノハナサクヤヒメさんはいなかった。
「いないね」
「じゃ、こっちかな」
ルツは、卵が孵ってから足を踏み入れていない。森羅は日本人NGを守っていたので初めて。
部屋に近づくにつれて、何やら聞こえてくる。シャーという雑音。
廊下に面したドアが開くと、その音はいきなり大きくなった。前室で体を覆う防護服に着替え、酸素ボンベまで装着。次のドアを開けるとコノハナサクヤヒメさんが、整然と積み上げられた飼育箱の間の通路を歩いていた。
「**。***」
何か言われてもはっきり聞こえない。頭を覆っているし、雑音がうるさすぎる。
「******」
コノハナサクヤヒメさんは、防護服など着ていない。頭に何も被っていない。
「聞こえません」
ルツは言ったが、その言葉も周りの音にかき消されているだろう。
「****」
ただのコオロギじゃん。
ルツは我慢できず、頭に被っていたものを脱いだ。
「ルツ!」
驚いたコノハナサクヤヒメさんが、離れた場所から駆け寄ってくる。
ルツはその場で静止した。




