第5話 とんでもドア
金曜の夜。
終電に揺られて、半分寝ながら帰宅。
ポケットの中のカギが、ずっと気になってた。
例のカギ。
差したら別荘直通になるやつ。
「いや、今日は普通に行けばいいか」
そう思ってたけど、駅から家まで歩く間に、
頭の中で何回もシミュレーションしてる自分がいる。
家に着いて、玄関の前に立つ。
カギを取り出して手のひらにのせる。
ちょっと冷たい。
「……試すか」
深呼吸。ポケットのスマホで時間を見る。
なかなかのお時間。
別荘に行くなら今から準備してもいい時間。
手汗が出る。
いや、ただのカギだし。
普通のドアのはずだし。
そう自分に言い聞かせながら、
カギを差す。
カチリ。
手のひらがじんわり熱くなる。
耳の奥で小さく何かが鳴った気がした。
空気が少しだけ変わる。
カギを差して、ゆっくり回す。
カチリと音がして、同時にふわっと木の匂いがした。
「……気のせい、だよな?」
自分に言い聞かせるみたいに呟いて、ドアノブを回す。
心臓がバクバクいってる。
ギィ……。
開けた瞬間、視界の奥が変わった。
マンションの共用廊下じゃない。
見覚えのある別荘の玄関が、そこにあった。
床も壁も、玄関マットまでちゃんとある。
でも僕の足はまだ自宅のタイルの上。
ドアの枠を境に世界が切り替わってる。
「……これ、マジ?」
思わず口に出る。
ちょっと後ずさりしたくなるけど、踏みとどまる。
手汗でカギがすべる。
ポケットに放り込んで、思い切って一歩踏み出した。
コツッ。
踏み込んだ先は、確かに別荘の床。
感触が変わった瞬間、背中がゾワッとした。
匂いも空気も一気に変わる。
「いや、便利になっただけ……便利になっただけ」
自分に言い聞かせるように呟きながら、玄関の中へ入る。
振り返ると、外は夜のマンションの廊下じゃなくて別荘の外の景色。
なんてこった。
♢
そっとドアを閉めると、静かな音がして空気が落ち着いた。ここは、間違いなく別荘だ。
……たぶん。
「ま、いいか」
無理やり笑ってごまかす。
便利すぎるのは確かだ。
移動時間ゼロ、反則級。
玄関に立ったまま、深呼吸。
いやいや、これが異世界なわけない。
たまたま匂いがしただけ。
たまたま見た目が似てただけ。
「……そういうことにしとこう」
わざと声に出して言うと、ちょっと落ち着いた気がする。
カバンを置いて靴を脱ぐ。
足裏に感じる木の床のひんやり感、確かに別荘。
でもこれは現実、現実だ。
冷蔵庫を開けて、炭酸水とウイスキーを取り出す。
氷をグラスに落とす音がやけに響いた。
シュワッと音を立ててハイボールを作る。
一口飲んで、ため息。
「……はい、週末始まりました」
誰に言うでもなく宣言して、ソファに腰を落とす。窓から差し込む夜風が気持ちいい。
スマホを見かけたけど、あえて触らない。
こうしてると、いつもの週末と何も変わらない。
変わったのは、移動時間がゼロになったことだけだ。
それだけ。
「うん、それだけ」
自分に言い聞かせながら、二口目を飲む。
じわっとアルコールが回って、体がゆるむ。
ソファに沈み込んで、グラスを片手にしばらく動かない。窓の外から、湖の水音と虫の声が混じった音がかすかに聞こえる。
冷房の風じゃなくて、自然の夜風。
「……これ、最高だな」
口に出すと、なんか笑えてきた。
異世界とかどうとか、もうどうでもいい。
この空気とこの景色があれば、それでいい。
二杯目を作って、またソファに沈む。
氷がカランと鳴る音が心地いい。
どんどんまぶたが重くなる。
「今週もがんばった俺」
そう言いながら、グラスを置いて横になる。
窓から入る風が、ちょうどいい。
体がふわっと軽くなった気がして、そのまま目を閉じた。
気づけば寝てた。
起きたとき、もう朝だった。
窓の外が白んで、湖がきらきらしてる。
「……あ、やっぱ来てよかった」
寝ぼけた声でそう言って、にやっと笑う。
ここが異世界かどうかなんて、もうどうでもいい。
週末の始まりが、ただ最高だった。




