第11話 スタジオできました
土曜日の早朝。
別荘の一室に置いていたダンボールをすべて片づけ。
最後の吸音材を壁に貼った瞬間、なんとも言えない達成感が押し寄せた。
「…よし。これで全部、だな」
声に出してみると、部屋の中で音がすっと吸い込まれる。
吸音材って、こんなに空気の質変わるのか。
ちょっと感動した。
床にはケーブルを束ねたバンド、ミキサー、マイクスタンド、そして実家から持ってきたギター。
電源タップの最後のスイッチを押すと、ミキサーのランプが“ぽっ”と点いた。
その瞬間だけで、なんか胸の奥がくすぐったくなる。
ギターを手に取って、軽く弦を撫でる。
「うわ、めっちゃいいなこれ」
ひとりごとが自然に漏れる。
ミキサーのフェーダーをちょっとだけ動かしてみる。
指先に伝わる“カチッ”というわずかな抵抗感が心地いい。
本当に、スタジオになったんだ。
「…うあー、これはテンション上がるわ」
窓の外では湖が静かで、ちょうど風が止まったおかげで水面が鏡みたいに光っていた。
部屋の中の機材の光と、外の湖の光。
異世界のものじゃないのに、どこか並んで存在してるみたいで不思議な気分になる。
この部屋で週末を過ごすんだ。
仕事のメールや見積もりの数字から解放されてさ、好きな音だけ流しながらゆっくりするんだ。
そう思ったら、思わず笑みがこぼれた。
「いや、マジで買ってよかったな……」
椅子にもたれて深呼吸する。
週末の始まりにしては、最高すぎるスタートだ。
そのとき。
コンコン。
玄関のほうから、軽いノックの音。
「……ん?」
誰だろう。
まだ朝だし、配達の予定もない。
僕はギターを置いて、立ち上がった。
♢
玄関を開けると、涼しい朝の空気といっしょに、
見慣れた顔がそこに立っていた。
受付の子。
今日はいつもの制服じゃなくて、軽いパーカーの下に水着がチラッと見える“これから泳ぎますスタイル”。
んでもって、肩にタオルをかけてる。
まだ湖には入ってないのが一瞬でわかる。
「おはようございます。約束、覚えてますよね?」
にこっと笑いながら言う。
「いや、実行するの早すぎでしょ」
思わずツッコミが口から出た。
彼女は悪びれた様子もなく、両手でタオルの端をもじもじ持ちながら首をかしげる。
「だめでした?」
「だめじゃないけど…まだ午前中ですよ?」
「泳ぐなら、朝のほうが水が澄んでるんです。日が高くなると、光が強すぎて水の中が見づらくて」
「それに…」
彼女が少しだけ視線をそらしながら付け加える。
「来たかったんです。……姫様だけ仲良くするなんて…ね?」
胸の奥がちょっと跳ねた。
「部屋、見てもいいですか?」
「まぁ、いいけど…散らかってますよ?」
「大丈夫ですよ。私、片づいてるほうが落ち着かなくて」
え、それはそれでどうなんだ。
「リフォームから変わってるのは…と」
彼女はスリッパを揃えて履き、まっすぐリビングを通り抜けてスタジオの入り口でぴたりと止まる。
部屋の中をのぞきこんだ瞬間、彼女の瞳がぱぁっと大きく開いた。
「わぁ……!」
その声は、湖で光る波紋みたいに柔らかく響いた。
吸音材の壁、ミキサー、マイクスタンド、ギター。
ひとつひとつに目を止めては、指先で空気をすくうみたいにそっと触れようとする。
「これ…全部、“音を操る”道具なんですか?」
「操るっていうか…まぁ、出すための道具?」
「どうやって音が出るんです?」
興味の矢継ぎ早な質問に、僕はちょっとだけ誇らしい気分になる。
ギターを手に取ると、彼女は一歩だけ僕の近くに寄った。
木の香りと、朝の湖の匂いが混ざったような甘い空気。
「ここを弾くとね——」
優しく開放弦。
ジャーン…
アンプからのクリーンなトーンが部屋に響き渡る。
受付の子の瞳が、それに合わせて揺れる。
「……きれい」
その一言だけで、部屋の空気が少し暖かくなった気がした。
「ねぇ、もっと聞いてみたいです」
「泳ぎに行くんじゃなかったの?」
「その前に、ちょっとだけ」
タオルをぎゅっと握りしめて、子どもみたいに期待した目を向けてくる。
なんだろうな。
こういうの、いちいち心臓に悪い。
僕はギターを握り直して、スタジオの空間に改めて向き直った。
♢
「この部屋、魔法の補助なしで“音を操る”仕組みなんですよね?」
「うん。まあ、そうだね」
「……好きです。こういうの。“人の手だけで作った静けさ”とか、“音を綺麗にするための工夫”とか」
そう言ったあと、彼女は少しだけ照れたように笑った。
「こちらの世界では、音ってもっと荒々しくて…魔力で投げつけるみたいな扱いが多いから」
「こんなに優しい音、滅多に聞かないんです」
“こちらの世界”ってワードが自然に出てくるあたり、もう隠す気はまったくないんだろう。
「じゃあ…この部屋、結構気に入った?」
「はい。すごく」
即答だった。
その瞬間、ちょっとした“満たされる感覚”が胸の奥に灯った。
そして──彼女はふと何かを思い出したみたいに顔を上げる。
「そういえば……」
キラキラした目が、急に意味深な光に変わった。
♢
受付の子は、スタジオの真ん中でくるりと向きを変えた。
その仕草は、さっきまで楽器に夢中だった子と同じなのに…今は、なんとなく“仕事モード”の空気が混じってる。
「ここに来る途中でね、ちょっと見たんです」
「え、何かあった?」
僕がギターを膝に置いたまま聞くと、彼女は指先で髪を耳の後ろへ流しながら、あっさりと言った。
「お隣の別荘。…買い手がつきましたよ」
一拍、脳が固まった。
「…は?」
ギターを落としかけて、慌てて支える。
いやいや、別荘って言っても異世界ですけど!?
「いや、え…本当に?」
「はい。昨日、向こうの書類が整いました」
整いました、って。
ペンションの予約感覚じゃないんだから。
「いや…ちょっと待って。あの別荘だって、ずっと売れてなかったんじゃ…?」
受付の子は悪びれもせず、むしろ軽いお茶でもすするようなテンションで言う。
「まぁ、そうなんですけど。ここ最近、うちの国の“外貨プロジェクト”が加速してまして」
出たよ。
店長や姫様の“外貨”ワードの再来。
「つまり…向こうの誰かが買ったってこと?」
「いえ、こちらの方ですよ?」
「……は?」
今度こそ本気で言葉が消えた。
「普通の、この世界の人? こっち側の?」
「はい」
受付の子は頷いた後、スタジオの窓際まで歩いて外を指した。
「ほら、もう鍵も渡してるので、来てるんじゃないですか?」
僕も窓の外を見る。
確かに、遠くの砂地に何かが動いたような、動いていないような…光が反射して、“人影っぽい揺れ”が視界の端にちらつく。
「…え、マジで…?」
「マジです」
語尾が妙にきっぱりしているのが逆に怖い。
それにしても、僕の別荘ライフはずっと“ひとりきりの静かな世界”だった。
なのに、隣に誰かが来る?
しかも、この世界の人間?
「なんか…ドキドキするなぁ」
ぽつりと呟くと、受付の子は少しだけ首をかしげた。
「そうですか? でも、変わっていくのって、悪いことだけじゃないですよ」
その言葉には、妙に含みがあった。
彼女は窓の外をもう一度見て、穏やかな声で付け加える。
「お隣さん、静かな方みたいですし。今のところは」
「今のところって何だよ…」
「ふふっ」
彼女は小さく笑って、僕のほうへ向き直った。
「大丈夫。それに何かあったら、私たちがいますから」
その“私たち”には、ドワーフの店長も、姫様も、
そしてこの子も含まれているからなぁ。
少しだけ安心して、少しだけ背筋が寒くなった。




