罪悪感
──1月19日 木曜日 10時50分
2時間目と3時間目の合間の休憩時間。
俊翔は真人の席に向かう。
「真人、話があるんだけどいいか?」
「いいぞ」
真人は座ったまま俊翔の方を向く。
話を聞くだけなので、席から立とうとはしなかった。
「ちょっと人に聞かれるとまずい話なんだけど……」
教室には他の生徒がいる。もちろん芽唯も。
俊翔は人目のない場所で話したいと真人に伝える。
「ん?」
こんな相談をしたことは一度も無いので、真人は不思議そうに眉を寄せる。
だが、俊翔の願いを快く引き受けて真人は立ち上がる。
2人は教室を出て廊下の隅に向かう。
1月の冷たい風が吹くこの日、教室の外で話す人間は誰もいなかった。
ここなら誰にも聞かれる心配はないだろう。
「……で話って?」
真人は周りに誰も居ないことを確認して俊翔に質問を投げかける。
俊翔は一呼吸置いて、真剣な表情で話を始める。
「真剣な話なんだ。聞いてくれ」
「……分かった」
真人の口がきゅっと閉まる。
「……芽唯の恥ずかしい写真が欲しいんだ」
「……は?」
「……芽唯の恥ずかしい写真が欲しいんだ」
「いや、聞こえてるよ! 2回も言わなくていいよ!!」
真人の表情が緩やかなものになる。
「なんだよ。真剣に聞いて損したぜ」
「いや、これは真剣な話なんだ」
俊翔の表情は変わっていなかった。
「警察にはついて行ってやるから。ちゃんと自首しような」
やっぱりダメだった。
俊翔はあれから何もいい案が浮かばず、手詰まりの状態だった。
芽唯に直接聞く訳にも行かないし、佐々木さんに聞いたら絶交されそうだったので、真人しか相談する相手が残っていなかった。
「大体何でそんなのが要るんだよ?」
「いや、芽唯にいっつも馬鹿にされてるからさ。ほら、仕返しに何が良いかなって思ってさ。弱みをもっておきたくて。だから、恥ずかしい写真が良いかなって思って……」
しどろもどろになりながら答える。
デジャヴ視のことを説明する訳にもいかない。
未来で見たことを隠しつつ理由を答える。
「恥ずかしい写真って、要するにいやらしい写真だろ?」
「ち、違うよ!」
俊翔は顔を真っ赤にさせる。
必死に避けようとした話題をあっさりと出されてしまった。
俊翔はこういった話題が苦手な性格をしていた。
もしかするとそうかもしれないとも思ったが、それはないと考えを改める。
芽唯は俊翔に直接見せようとしたのだ。直接本人にそういう写真を見せるようなことはしないだろう。
もちろん芽唯とはそういう話題は一切したことがない。なので、そういうモノではないのだろう。
だからこそ、恥ずかしい写真がどういうものなのかが見当がつかない。
「それで、朝から眠そうな顔をしていたってわけか」
「うぐ……」
本心をつかれて俊翔は言葉に詰まる。
昨夜は布団に入ってからも、なかなか寝付けなかった。
「まぁでも、真剣に悩んでいるっていうのは本当みたいだな」
「頼むよ真人。おまえだけが頼りなんだ」
「……って言われてもなぁ……」
真人が腕を組み頭をひねらせる。
少しの静寂の後にゆっくりと口を開き始める。
「スマホでずっと撮影するのが一番だろうな。それで、小鳥さんがアクシデントを起こすまで待つしかないだろうな」
「なるほど。アクシデントか」
芽唯が失敗を起こす瞬間を撮影すればどうだろうかと真人が提案してきた。
一度そっちの方が思い浮かんでしまったので、考えが凝り固まってしまっていた。
何が恥ずかしいと思うのかは人によってそれぞれだ。
自分の失敗が写っている写真というのは、確かに恥ずかしいモノなのかもしれない。
「でもそれでうまくいくかな? いつ起こるか分からないし」
「それは気長に待って耐えるしかないだろ」
事が起こるのは4日後。土日を挟むので、時間はほとんど残されていない。
芽唯の抜けた性格に期待するしかない。
「よし。その方法でやってみるよ。ありがとな真人!」
「……」
「どうしたんだ真人?」
「変な気は起こすなよ」
「起こさねぇよ!!」
「犯罪だけは起こすなよ」
「だから分かってるよ!!」
俊翔は大声を上げる。
芽唯を助けようとしているのに、どうしてあらぬ疑いをかけられないといけないのか。
ちらりと腕時計を見る。
10時57分。あと3分で授業が始まる。
「そろそろ教室にもどるか」
「そうだな。ありがとな」
2人は教室に向かって歩き始める。
「犯罪だけは──」
「もういいよ!!」
俊翔は真人の言葉を途中で遮り、1人で教室に帰った。
◆
──16時01分
帰り道。
真人と佐々木さんと別れて、俊翔と芽唯がいつものように2人並んで歩いていた。
ただ、俊翔の右手はいつもと違ってポケットの中でスマホをずっと握っていた。
「──だから、──して──だよね」
「あっ、うん。そうだな」
芽唯の言葉に対して、俊翔は曖昧な言葉を返す。
俊翔の頭に会話の内容が一切届いていなかった。
(大丈夫。俺は悪いことをしていない。むしろこれは芽唯のためなんだ)
ポケットの中でスマホをぎゅっと強く握り直す。
俊翔はスマホのカメラを起動させた状態で、ずっとポケットの中で握っている。
こうすることで、芽唯がドジをしたときにすぐに写真を撮ることができる。
カメラを起動させているが録画はしていない。なので、何も起きなければ何も撮らずに終わる。
真人のアドバイスを受けて考えた最良の手段だ。
芽唯に黙って写真を撮ろうとしているので、犯罪ではないと言えど罪悪感で押しつぶされそうだった。
そのため、さっきから芽唯の言葉が一切頭に入ってこなかった。
学校で撮ることは出来ないので、チャンスはこの帰り道だけだ。
俊翔は腕時計をちらりと見る。
1月19日木曜日の16時02分。月曜日までもう日は残されていない。
残されたチャンスは金曜日の登下校と、月曜日の登校時ぐらいしかない。
(金曜日に撮れなかったら、土日に芽唯を誘うか……)
月に1度の頻度で、2人で休日に遊びにでかけている。
だが、きっかけは全て芽唯の誘いからだ。
俊翔から芽唯を遊びに誘ったことはほとんどない。というより、1回もないかもしれない。
(それはなんか負けた気がするから絶対に嫌だ!!)
俊翔にとって一番許されないのは、芽唯に負けることだ。
俊翔は芽唯を見守る立場にいないといけないから。芽唯の頼りでないといけないから。
そのため明日まで──できれば今日中に、なんとしても芽唯の恥ずかしい写真を撮らなければいけない。
俊翔は右手でスマホをぎゅっと握り、芽唯の一挙手一投足に注目する。
可能性があるのは、芽唯がこける瞬間を撮ることだろう。
芽唯はおっちょこちょいなので、たまに転ぶことがある。
なのでその瞬間をカメラに収めればいいのだが、いつ転ぶかなんて予測できないのでスマホをずっとポケットの中で構えて持つしかなかった。
芽唯は横断歩道を渡ろうとしていた。ここは信号はあるが、見通しが悪いので少し危ないことで有名だ。
芽唯はつまずいて、身体がよろけて体勢が崩れる。
「芽唯!!」
俊翔は我を忘れて、声を荒げて叫んだ。
芽唯は立て直すことが出来ずに、そのまま地面にこけた。
「アハハ、こけちゃった」
地面に座り込んだ状態で、恥ずかしさを隠すようにえへへと笑っていた。
軽くこけただけなので、どこもケガをしなかった。
芽唯はスカートを手で払ってゆっくりと起き上がる。
「……俊翔? どうしたの?」
不思議そうに俊翔の顔を覗き込む。
芽唯にしてみれば、俊翔が叫んだのが不思議でならなかったのだろう。
ただ軽くこけただけだ。車も走っていなかったので、たいした危険はなかった。
なのに、俊翔は声を荒げて叫んだ。
似つかわしくない声と表情で。今まで聞いたことのないくらいに。
「大丈夫? 顔、真っ青だよ」
俊翔の顔は恐怖で青白く染まっていた。
身体は固まっており、息苦しそうに呼吸をしてただ一点を見つめていた。
その瞳は今の芽唯の姿を捉えていなかった。
「……俊翔?」
声を掛けても反応がないので、芽唯は不安げになっていた。
「あ、あぁ。大丈夫だよ……」
ようやく俊翔が口を開く。
息を切らしながらなんとか返答したという様子だった。
「歩ける?」
芽唯は心配そうに問いかける。
当然だ。誰の目から見ても、今の俊翔は普通の状態ではなかった。
「大丈夫、歩けるよ」
俊翔は呼吸を整えて答える。
「そっか、じゃあ帰ろっか」
そう言うと、ゆっくりと横断歩道を渡り始めた。
「……」
俊翔は芽唯の後ろをついていく。
身体に異変を感じることは無い。先ほどの息苦しさも次第に消えていった。
(何だったんださっきのは……)
芽唯がこけそうになると、自分でも驚くほど大きな声を出していた。
そして、どこからか恐怖が押し寄せてきて、悪寒が止まらなくなり呼吸が苦しくなった。
一瞬の出来事だった。
芽唯がこけるのなんて日常茶飯事だ。それに、デジャヴ視で今日は大きな変化は起こらないとわかっていたはずだ。
なのに、芽唯が遠くに行って気がしまう。そんな気がしてならなかった。
(……あっ、写真)
落ち着いてきて、ようやく写真のことを思い出した。
恥ずかしい写真を撮ろうとして、芽唯がこける機会を待っていたのだった。
謎の感覚が押し寄せてきたせいで、絶好のシャッターチャンスを逃してしまった。
違和感を感じつつも、芽唯の背中を追うようにゆっくりと歩を進める。
──16時22分
いつもの解散場所に着いた。
あれから芽唯がまたこけた、なんてことはなく何事もなくここに辿り着いた。
「もう大丈夫だよね?」
心配性のせいか、俊翔の顔色がまだもどっていないのか、あれから何度も俊翔に向けて同じセリフを言っていた。
「だから、大丈夫だって」
俊翔は少し呆れ気味に、けれどもありがたいという気持ちは忘れないように答える。
あれから、身体の様子はどこもおかしくなっていない。
振り返ってみれば、あの一瞬だけだった。得体のしれない恐怖に襲われたのは。
「じゃあ、また明日ね」
「あぁ。じゃあな」
2人は別れの挨拶を交わして、それぞれの帰路に着く。
俊翔のスマホの中にはまだ芽唯の恥ずかしい写真は入っていない。
「はぁ……明日頑張るか」
小さく独り言ち、溜め息を吐く。
休日に差し掛からないよう、明日また頑張ろうと心に決めるのだった。
◆
──1月20日 金曜日 10時50分
昨日と同じように俊翔と真人が廊下で話していた。
だが、今回は呼び出したのは真人のほうだった。
「それで、撮れたのか?」
開口一番、真人が俊翔に問いかける。
「いや、撮れてない」
「昨日の今日だからそんなチャンスはないよな」
「……いや、チャンスはあったんだ」
俊翔は申し訳なさそうに正直に答える。
「マジで?」
「いや、昨日の下校中に芽唯がこけたんだよ」
「──で?」
「……撮れなかった」
「何でだよ!」
真人の反応は当然のものだった。
俊翔は撮れなかった理由は真人に伝える気はなかった。
謎の恐怖に襲われたなんて話をしても、真人が困るだけだからだ。
「俊翔は悪いことできない性格しているもんな」
真人がそういって優しく肩を叩く。
どうやら、真人は俊翔が芽唯を隠し撮りすることに躊躇した結果撮れなかったと勘違いしたようだ。
俊翔は真人の言葉を聞き、あの恐怖は罪悪感によって生まれたものだと自分の中で結論付けた。
「まぁ、今日も下校中に狙ってみるよ」
2日連続転ぶというごくわずかの可能性に賭けているが、朝に試した限りではダメだった。
教室で撮るわけにもいかないので、残されたチャンスは下校中のみ。
恐らく今日撮るのは不可能だろうと高をくくっている。
(やっぱり、帰る前に明日か明後日に芽唯を遊びにさそわないといけないかな……)
休日に芽唯を誘うのに少し憂鬱になっていた。
「それなんだけどよ。本当に写真がいるのか?」
「え?」
真人の意外な言葉にとぼけた声が出た。
状況を整理しよう。
そもそもは、芽唯のスマホカバーが割れるのを防ぐためだ。
その時に、芽唯に見せる恥ずかしい写真が必要だから真人に相談したのだ。
「弱みのためだったら、持っているフリじゃダメなのかなって」
「持っているフリか……」
俊翔は考え込む。
デジャヴ視で見た光景は、芽唯がスマホを見せようとしてその結果スマホを落としたのだった。
写真はあると言っていたが、その写真自体は見ていない。
つまり、肩代わりする際に写真を見せる必要はない。
「確かに! 持っているフリでもいけるぞ」
真人の助言により、俊翔は写真自体は必要ないということに気づいた。
「ありがとな」
「おお。というか、本当に失敗するとはな」
どうやら、俊翔が撮るのに失敗するのは真人の織り込み済みだったようだ。
「何で俺が端から失敗する前提なんだよ」
「悪いことが出来ないってのもあるけど、俊翔って臆病なところあるだろ?」
自分が臆病だと思ったことは無かったので、真人の言葉に少し違和感を感じた。
「俺が臆病?」
「俺はそう思うけどな」
俊翔はホラー映画もお化け屋敷も苦手意識はない。
反論しようと思ったが、こんな話で揉めたくなかったので何も言わないことにした。
時間を確認する。
10時57分。そろそろ教室に戻った方がいいだろう。
2人は教室に向かって歩き出す。
「このことは芽唯と佐々木さんには内緒にしといてくれよな」
芽唯はもちろんのこと、佐々木さんに言ったらそこから芽唯に知られる可能性がある。
「大丈夫だって」
真人は「分かってる」という風だった。
俊翔はその表情に安心した。
──16時17分
芽唯と俊翔が自宅に向かって歩く。
もうすぐで解散場所に着きそうだ。
今日は俊翔の右手は外に出ていた。
スマホは構えていない。もう恥ずかしい写真は必要なくなったからだ。
昨日に比べて、俊翔の足取りは軽々としていた。
罪悪感の有り無しでここまで人が変わるか。
俊翔の気持ちはスッキリとしたものになっていた。
(そういえば、今日は横断歩道を渡った時は何も起こらなかったな)
通学路なので、もちろん今日も昨日と同じあの横断歩道を渡った。
だが、何も起こることはなかった。
芽唯がこけることも。俊翔が謎の恐怖に襲われたことも。
(やっぱり芽唯に悪いことしてたのが原因だったんだな)
あの恐怖心は芽唯がこけたことから来たものではなく、隠し撮りをしていた罪悪感から来たものだったらしい。
人間悪いことをするものではないな、と俊翔は改めて思った。
解散場所に着き、腕時計をちらりと見る。
16時18分。いつも通りの時間だ。
今日は金曜日だ。
真人の助言が無ければ、俊翔はここで芽唯を休日に誘わないといけなかった。
だが、もうその必要はない。
だが、かと言って休日にすることもない。
だが、たまには自分から誘う。そういうことがあっても良いのではないだろうか。
なんの気の迷いか、そんなことをふと思う。
俊翔が口を開きかけたその瞬間──
「じゃあ、また月曜日にね」
芽唯の口が先に動いた。
「あ……うん」
俊翔はただ頷いた。
芽唯は背中を向けて家へと軽い足取りで歩いて行った。
「……ま、いっか」
別に芽唯と遊びたかったという訳ではない。ただの気まぐれで誘おうとしただけだ。
そう思いながら、予定のない休日に向かって独りで歩みを進めた。




