俊翔の能力
──1月16日 月曜日 15時02分
少年は愛用の腕時計で時間を確認するが、授業が終わるまでに20分以上あることを知り軽く絶望する。
「はぁ、暇だな」
少年は授業中の先生の言葉を聞き流し、窓の外を眺めるという高校生にあるまじき行為を始める。
彼の名前は岸 俊翔。
自宅から徒歩25分の高校に通う、帰宅部の男子生徒。学年は2年生で歳は17。成績は中の上で、スポーツは中の下。背丈は164cmで少しコンプレックスを感じている、ごく普通の高校生だ。
生まれも普通で、顔も普通。特徴と言えば、左右にはねたくせっ毛ぐらいなものだ。本人にとっては、このくせっ毛も背丈同様にコンプレックスに感じているのだが。
その2つを除けば、秀でているところも無ければ劣っているところもない、ただの平均的な男子高校生だった。
だが、俊翔は人とは決定的に違う能力を1つだけ持っていた。
彼はそれを『デジャヴ視』と命名している。
『デジャヴ視』
端的に説明すると、未来へ飛んでデジャヴを意図的に起こすことが出来る能力だ。
俊翔は今から5日後までの1分間の未来へ飛ぶことが出来る。
(今ならできるかもな)
俊翔はこっそりと周りを見渡す。
机に突っ伏している生徒や隠れて必死に内職をしている生徒もいたが、大半の生徒が前を向いていて黒板に集中していた。
『デジャヴ視』が出来る状況であると確信する。
("バグの俺"が何かしでかすかは不安だけど……まぁ今までの経験上平気だろう)
一抹の不安を感じたが、俊翔はデジャヴ視の実行に移る。
やり方は簡単だ。
ただ、右手で左肩を触り目を閉じるだけ。
だが、少しコツがいる。意識をこの世界の外に飛ばさなければいけない。
ここではない世界に。意識を。
──遠く。とおくへ……。
(デジャヴ視発動!)
心の中で詠唱する。
俊翔は意識を飛ばした。
その瞬間、俊翔の精神はこの世界から消えた。
◆
目に光が入る。耳に音が入る。
身体に意識が入る。
どうやら成功したみたいだ。
何百回も未来へ飛んだが、この瞬間はどうにも身体が強張って仕方がない。
身体なんて動くはずがないのだが。
視界から入ってくる情報を読み取る。
俊翔の身体は教室にあった。
(ええと、今は授業中で。先生は変わっていないから、物理の授業と)
目に入ってくる情報を整理する。特段変わった様子はなく、飛ぶ前の世界と全くといっていいほどの同じ光景だった。
腕時計が見えたので時間を確認する。
──1月16日 月曜日 15時05分
最大5日間先までの未来へ飛ぶことが出来るというのに、飛んだ先は今よりもたった3分先の未来だった。
景色が全く変わらないのも当然の結果だった。
(せっかく未来にきたのに、たったの3分後かよ)
俊翔は肩を落とす。実際に肩が動くことは無いが。
(今回もまた何ごともなく1分経つだけなのかな)
この前デジャヴ視を発動した時もたいしたことが起きなかったので、どうせ今回も何も起こらないのだろう。
そう高をくくっていた。
だが、予想とは裏腹に何かは起こった。
「じゃあ、この問題を岸君。解いてもらえるかな?」
先生が俊翔を指名した。
「は、はい」
俊翔の身体から、俊翔の声が発せられる。
立ち上がり、目線が高くなるのを感じる。
(頼むぞ、俺!)
意識を飛ばしてきただけの俊翔はただ祈ることしか出来ない。
俊翔は、俊翔の回答を待った。
「わ、分かりません」
「そうか。座りなさい」
俊翔は席に着いた。
(やっぱりだめだったか)
デジャヴ視を発動した3分前の俊翔が分からなかったのだから、3分後の未来の俊翔が分かるはずがなかった。
俊翔の身体は席に着き、黒板に書かれている文字を必死にノートに写している。
すると、視界がだんだんと暗くなり意識がもうろうとしてきた。
(そろそろ1分か)
タイムリミットだ。
デジャヴ視で見える未来の世界は1分間だけ。
俊翔の意識は強制的に元の世界へと戻される。
◆
俊翔の精神が戻る。
周りを見渡すが、当然物理の授業の真っ最中だった。
俊翔は腕時計を確認する。
──1月16日 月曜日 14時03分
デジャヴ視を発動してからちょうど1分後だった。
「フッ」
俊翔の口から自然と笑いがこぼれた。
未来を見てきた彼にとって、この先何が起こるか手にとるように分かるからだ。
(さぁ、来い!)
カチカチっという秒針の音が俊翔の耳に届く。
時刻は15時05分。
俊翔が未来で見てきた1分間がついにやってきた。
10秒。15秒。
時間は進むが、まだ何も変化はない。カッ、カッ、というチョークの音が教室にこだまする。
先生は黒板に文字を書くだけで一切こちらを向いてこない。
俊翔はじっと、先生の背中のただ一点を見つめる。
そして、先生がこちらを向いてきて俊翔と目が合う。
「じゃあ、この問題を岸君。解いてもらえるかな?」
一言一句全くもって一緒だった。
実際には一度も体験したことがないはずなのに、すでにどこかで体験したように感じる現象。
俊翔はまさに今、身をもって"デジャヴ"を体感した。
「はい!」
意気揚々と立ち上がり、俊翔は自信をもって答えた。
「分かりません!」
俊翔のはつらつとした声が教室に響き渡る。
「……そうか。座りなさい」
先生の呆れた声とクラスメートの笑い声の中、俊翔は顔を赤らめながら席に着く。
「熱心に前を見て聞いているかとおもったんだけどな。聞くだけじゃなくて、しっかりと理解しろよ」
そう言って、先生は別の生徒を指名した。
問題に身構えて先生をじっと見ていたことが、かえって仇になったようだ。
(ま、こんなもんだよな)
確かに未来を見ていた通り、まったく同じことが起こった。全く同じ時間に、全く同じ問題に、全く同じ指名のされ方で。
だが、結局分からないものは分からない。たとえ未来が分かったところで、それを回避できるかどうかは別問題だ。
(もう少しこの『デジャヴ視』の使い勝手が良かったらなぁ)
──デジャヴ視
5日間のうち、大きな変化がある1分間の未来へ飛ぶことが出来る能力だ。
未来へ飛んでも、自身の身体に意識が入るだけで、身体を動かすことはできないし、声を発することもできない。未来の俊翔が動く様子を俊翔の目で見て、未来の俊翔の声をの俊翔の耳から聞こえるだけ。働くのは視覚と聴覚だけで、未来の俊翔が何か触ったところで、今の俊翔には体温も固さも感じない。何か食べても、味もしなければ匂いもしない。
例えるなら、未来の自分の目線でテレビを見ているような感覚だ。
(でも、特に大きなことが起こらなくて良かったな)
問題を間違えて少し恥をかいただけ。
大急ぎで教科書を見れば答えが分かったかもしれないが、今回は避けるほどでもないと思い俊翔は甘んじて未来を受け入れた。
俊翔は腕時計を見る。
──15時11分。
授業は滞りなく進んでいる。何も変わった様子はない。
授業中にデジャヴ視を発動するのは少しリスクがあったが、飛んでいる間は"バグの俊翔"が俊翔らしい普通の行動をしてくれたようだ。
(よし。今回のデジャヴ視も問題なしだな)
未来で見てきた通り、ただ問題を間違えただけ。他に何の問題もない。
俊翔は清々しい気持ちで居られるはずなのに、隣の席の彼女がそれを邪魔してくる。
俊翔が横に目をやる。彼女と目が合うとほくそ笑み、笑いを拭きこぼす。
あれから5分以上経ったというのに、彼女は俊翔をバカにするようにまた口から笑いをこぼしていた。
「いつまで笑ってるんだよ、芽唯」
先生に気づかれないように、俊翔は小声で芽唯に話しかける。
「だって、ツボに入っちゃって──」
隣の席の彼女は両手で口を押さえ、笑いを必死に抑える。
彼女の名前は小鳥 芽唯。
一見男子に見紛うほどの短髪だが、目元はくりんとしていて女性らしさを帯びている。身長は小さめで、性格は天真爛漫で活動的。ボーイッシュな女の子というのが彼女を表す最適な言葉だ。
俊翔と芽唯は小学4年生に初めて出会った。幼馴染というわけではないが、とはいっても短くない関係だ。家も近所で、昔は2人公園で遊んでいたりもしていた。今も、下校の時にたまに公園に寄るのであまり関係性は変わっていない。
2人は登下校も一緒で、教室でも会話が多いので恋人に間違えられたことが何度もあるが、あくまでも2人は仲の良い異性の友達という関係だ。少なくとも俊翔は芽唯に対して特別な感情を抱いていない。
(いや、"見過ごせない"ということに対しては特別な感情か……)
デジャヴ視を使って芽唯を助けて以来、俊翔は芽唯のことが気になっていた。女性としてではなく、トラブルメーカーとして。
彼女は活動的なせいか、そそっかしいところが多くよく抜けた行動をする。
何かにぶつかったり。何かを忘れたり。何かを落としたり。デジャヴ視で見る未来は芽唯に関することがほとんどだった。
その度に、簡単に助けられる場合は芽唯のことを助けていた。だけど、芽唯は自分が失敗する未来を知らないので助けられたことに気づいていない。これがデジャヴ視の欠点の1つだ。
俊翔は視線を横に向ける。
「あんなにはっきり『分かりません』って。そりゃ笑うしかないでしょ」
芽唯が冗談めかして言ってきた。。
俊翔はただ未来が分かっていた故に勢いよく答えてしまったのだ。「未来を見て何が起こるか分かっていたからなんだ!」と説明したかったが、ぐっとこらえた。
芽唯はデジャヴ視の存在を知らない。
クラスメートは当然そうだし、家族だって俊翔がデジャヴ視を使えることを知らなかった。
俊翔はデジャヴ視のことを誰にも明かしていない。
言っても信じてもらえないだろうし、もし、信じてもらえたとしても悪用されたら困る。
悪用されなかったらどうなる? 人体実験のために研究施設へ送られるか、テレビで見世物にされるか──いずれにせよ、デジャヴ視を知られることで良い方向につながることはないだろうと俊翔は考える。
俊翔はこの能力が異常だからと認知しているからこそ、この先も誰にも明かすつもりはない。俊翔は普通の人間としてこの先も生きていたいから。
だから、デジャヴ視で避けれる未来をわざと避けようとしないことが多い。そうしたら、普通の人間から外れてしまうから。
(まぁ、避けられないことが多いっていう方が正しいけどな……)
この能力の使い勝手の悪さは俊翔がよく知っている。
能力とは言うが、アニメやゲームの世界の主人公のように、華麗に未来を変えて世界を救うことは出来ない。
なぜなら、この能力には最大の欠点があるからだ。
「やっぱり俊翔は面白いね。クヒヒッ」
そんな俊翔の苦悩も知らない芽唯は、周りには気づかれないように小さく笑い声をあげていた。
相変わらず変わった笑い方をするなと俊翔は思い、芽唯を無視して授業に集中することにした。
先生が青いチョークに持ちかえ、まっすぐ線を引く。
「『エネルギー保存の法則』っていうのは覚えているよな?
エネルギーは一定の総量を保つ法則だな。簡単に言えば、どこかでマイナスになればどこかがプラスになる。逆に、どこかをプラスにするためにはその分どこかをマイナスにしないといけない。つまり……」
(エネルギー保存の法則か……)
まさにデジャヴ視にぴったりな法則だなと俊翔は思う。
デジャヴ視で未来を大きく変えるには代償が必要になる。
例えば、3日後の未来でクラスメートが道で1万円を拾ったことを聞いたとする。今の世界に戻り、クラスメートが拾う前に1万円を俊翔が拾うことは可能だ。その場合未来は変わり、3日後にクラスメートから1万円を聞く話は無くなる。だがその代償として、俊翔は3日後に無意識に1万円をどこかに落とすことになるだろう。
これが「代償のルール」。デジャヴ視の最大の欠点だ。
たとえ大けがをする未来が見えたところで別の場所でけがをするだけで、テスト中の未来が見えて20点アップさせることが出来ても他の教科で20点落とすだけだ。
何か大きく未来を変える場合、必ずその代償が必要になる。
恐らく、この世界がバグを埋めるために代償を用意するのだろう。
けがをする未来が決まっていたならどこかでけがをするように、テストの点数が大きく変わらないように別の教科で調整をする。
この世界はバグを嫌う。決まった未来に沿うように、この世界はバグを埋めていく。
俊翔が未来へ飛んだ際に俊翔の身体に別人格の精神が意識に入ることも、バグを嫌うためだろう。俊翔の身体に誰の精神もないというバグの状態を嫌うために代償として別の俊翔が用意される。
このため、デジャヴ視で飛んでいる間の身体に入る代わりの俊翔を"バグの俊翔"と呼んでいる。
バグの俊翔は、俊翔らしい行動や俊翔らしい受け答えをする。だから、誰も違和感を覚えない。
この話は全て人から聞いたものだ。俊翔とバグの俊翔は全く別の存在だから、俊翔自ら確認するすべはない。
周りの人間は、デジャヴ視で未来へ飛んで別人格に入れ替わっているなんて思いもしないだろう。
バグを隠すようにこの世界が動いていることを俊翔だけが知っている。
だが、バグを嫌うというのも、全て俊翔の想像にすぎない。
本当の理由なんて少なくとも俊翔には確かめようのないことだ。そもそも、どういう原理で未来へ飛べるのかなんて分かっていない。
だが、俊翔は未来へ飛ぶこともできるし、未来を変えるのに代償が必要なことは何度も体験している。
俊翔の日常は、この「代償のルール」があるせいで普通の人間の日常とほとんど変わらないものだった。
せいぜい不幸な未来に対して心の準備をするだけだ。
世界の破滅を救うヒーローにはなれないし、誰かの幸せを奪う悪役にもなれない。
今まで大災害による事故のニュースをデジャヴ視で何度も見てきたが、俊翔はなにもできなかった。
当然だ。俊翔だって結局はただの一般人でしかないのだから。
(もっとすごい能力になったらなぁ)
俊翔は届くはずも無い想いを馳せる。
俊翔だって思春期の男の子だ。いつかこの能力が覚醒して、みんなのヒーローになって──と妄想を膨らませるが、5年以上使ってきたこの力に変化は一切なかった。きっとこの先も変わることは無いだろう。
だが、未来を変えることは全く不可能かと言われるとそうではない。ほんの少しだけ未来を変える場合なら「代償のルール」は適用されない。
俊翔は実際に代償なしで、何度も未来を変えることに成功している。
数年前、買おうとしていた新商品のお菓子が手に入らない未来をデジャヴ視で見たことがある。デジャヴ視で見たお店とは違うところに行ったら普通に買うことが出来た。その後も、お菓子を落とすなんてことはなかった。
他にも、擦り傷を負う未来を見えたが気をつけて歩くだけでできたこともある。
このように、小さな出来事ならば代償なしで未来を変えることは可能なのだが、変えることが出来るその大きさというのはとても曖昧だ。数値に変えられるものでもなければ、どちらの出来事の方が上かなんて人によって様々な意見があるだろう。
俊翔は、経験則として次の日まで影響が出ないくらいの大きさの未来は代償なしで変えることが出来ると定義している。
デジャヴ視で未来を変えることで、パラレルワールドは生まれるのか?
なぜ出来事の大きさによって、完全に未来を変えられることが可能になるのだろうか? この世界は少しだけのバグなら許容するのだろうか?
考えたところでこれらの問いに答えてくれる人は誰もいない。
俊翔から見たらどれも別次元の話だ。確かめるすべもなければ、確かめる気もない。なんとなく想像して、自分の中で結論付けることにしている。真実はどうだっていい。
今回、先生の問題をきちんと答えたところで代償は必要なかっただろう。だが、周りから変わった目で見られるのも嫌なので、わざわざ避けるほどの未来でもない場合は、甘んじて受け入れることにしている。
変えられない大きな出来事や、変えるほどのないとても小さな出来事はそのまま受け入れ、避けれる程度の未来が見えた時に初めてデジャヴ視が役に立つ。
このようにたとえ未来が見えたところでそのほとんどが、ただいずれ訪れる未来に覚悟を決め、実際に起きた時にデジャヴを覚えるという使い方しかできない。
これが、彼が『デジャヴ視』と命名した理由である。
俊翔にとってデジャヴ視は、自分だけが持ってる特別なおもちゃのようなものだった。
効果は未来を見て心の準備をするだけ。暇つぶしにはうってつけだ。
能力を身につけた時は1日に何度も使っていたが、最近は暇になった時、3日に1回ぐらいのペースで使っている。 そして、避けられる程度の不幸な未来が見えた時に避けるだけ。
(未来で訪れるピンチから颯爽と救うヒーロー、ってのは夢のまた夢の話だな)
心の中でぼやきながら、俊翔は授業の終わりのチャイムを待ち続けるのだった。




