入学②
「この学園の敷地内で正当の許可なく抜剣するのは校則違反だ。如何なる理由があろうとも看過されることはない。そこの君、剣を収めたまえ」
その低い声には、小生の個人的な事情などに価値を認めない、絶対的な響きがあった。
その声に冷水を浴びせかけられ、小生は慌てて刀を鞘に戻して頭を下げた。
「こ、これは相すまぬこと……どうか平にご容赦を」
そう言った瞬間、ふん、と目の前の青年が鼻を鳴らして小生を睨んだ。
おや、この反応は……と小生がぽかんとすると、青年は顔を歪めて吐き捨てた。
「ふん、誰かと思えば、噂の特例で入学を許された東洋人か。入学早々この歴史ある学園の敷地内で騒ぎ立てるとは――やはり黄色人種は野蛮だな。君のような人間が行くべきところはここではなく、祖国の森の中ではないのかね?」
あまりにも直接的な侮蔑の言葉に、小生は一瞬、怒るとか憤るとかいう前に、単純に驚いてしまった。
はっ、と思わず呆気にとられた小生を一瞥して、青年は踵を返した。
「いずれにせよ、この学園は君のような野蛮人が来るべきところではない。次にこの学園を騒がせたときには君の席などあっという間になくなるぞ。せいぜい気をつけて生活することだな」
青年はそれだけ冷たく言い捨てると、脇目も振らずに校舎に歩いていく。
その毅然とした足取り、立ち居振る舞い、全てが完成された武人の所作とはわかったが――不可解なのは今の言動である。
小生が、何? 森に住むべき野蛮人、と言ったのか?
「――あなた、入学早々どえらいことをしてくれたわね……」
不意に、隣の女子生徒が呻くように言い、小生は横を向いた。
女子生徒は手のひらを額に当てて苦い顔をする。
「今の人、この学園の上級生よ。しかもかなりの実力者。そんな人に目をつけられるなんて最悪だわ。ただでさえ私の国は国際関係では立場が軽いってのに……」
「ぬっ、やはりそうか! 今の立ち居振る舞いや視線の配り方、いずれもが熟練の剣士のそれであった! やはりこの学園にはかなりの実力者がいる様子……!」
「なぁにを喜んでんのよ、このスカタン!」
「うぇ!? す、スカタン――!?」
突如として罵声を浴びせられ、小生は仰天して仰け反った。
女子生徒はぐいぐいと顔を近づけて罵倒を続ける。
「今の人! ゆくゆくは【剣聖】になるって誉れ高い三回生のアデル・ラングロワよ! そんな人に向かってどペーペーのあなたや私のような人間が立ち居振る舞いがどうのこうの品評する資格なんてないでしょうがッ!! あなた自分の立場わかってんの!?」
「え、えぇ――!?」
「そんな凄い人に目をつけられたら今後の学園生活がどうなるかぐらい想像がつかないのかしら!! 今この瞬間にあなたと私の学生生活はハードモード確定じゃないの! わかってんのあなたはッ!!」
思わず首根っこを竦めて、手で落ち着けという動作を繰り返すと、女子生徒の怒りはようやく落ち着いたらしかった。
腰に手を当て、偉そうに小生を睥睨した女子生徒は、ふん、と形の良い鼻を鳴らした。
「……とりあえず、今後のために忠告よ。この学園内ではあまり目立つ行動はしないことね。ただでさえここは国際関係の縮図、弱いもの弱い国の人間はあっという間に押し潰されて立場を無くす。よく覚えときなさい」
「は、はい……」
「わかったならいいわ。今後、あなたとはなるべく接触がないことを祈るわ。全くもう、開始早々とんでもないやつに出会った――」
そこですたすたと歩いていこうとする女子生徒の手を、小生は素早く取った。
歩き出そうとしていたところに急制動をかけられ、ギャ、と女子生徒が短く悲鳴を上げる。
「な、こ、今度は何――!?」
「そう言えば、自己紹介がまだであったな。小生はクヨウ・ハチスカ。遥か極東の島国、大八洲帝国からの留学生だ」
「は、はぁ――?」
女子生徒が怪訝な表情を浮かべて小生を見る。
小生が身体を開いて包容直前のような体勢になると、女子生徒が困惑全開でそれを見つめた。
「袖擦り合うも他生の縁、というもの。早速にも友になろうではないか。な?」
その言葉に、女子生徒が数秒かけて、思い切り顔を歪めた。
おや、この表情は――と小生が不思議に思うと、女子生徒が素っ頓狂な声を発した。
「あのね、今の話聞いてた――!? あなたどんだけ世間知らずなの!? さっき今後の接触がないようにって言われておきながら堂々と友だちになりたいなんて言い出すとか正気なの!? ただでさえファーストインプレッションが最悪だったのに!」
「それはもう過ぎたことである。今からまた出会い直せばよろしい。さようなら、はじめまして。――では改めて、友になろうではないか」
「どういう理屈よ!? あのね、あなたの国ではそういう文化があるのかもしれないけれど、ただでさえこっちの世界では特に親しくもないうちに女性にホイホイと交際を申し出るなんて物凄く無礼な行為――!」
と――そのとき。
小生が左手にまだ握ったままの抜身を見て、はっ、と女子生徒が沈黙した。
「あれ――? あなたの剣、刀身がなんか変――?」
「ん? ああ、刀を見るのは初めてであるか?」
「カタナ?」
女子生徒が不思議そうな顔で復唱した。
小生は刀を右手に持ち替えて刀身を示した。
「これが小生の国における伝統的な剣、カタナである。この僅かに入った反りが美しいであろう?」
「何よこの剣――こんなの、見たことがないほど精巧ね……」
流石この学園の生徒と見えて、女子生徒は興味津々の顔で刀に顔を寄せ、じっくりと観察し始めた。
鋒、帽子、物打ち、脛巾、鍔、柄――と、じっくりと十数秒もかけて観察した女子生徒は、ほう、とため息を吐いた。
「綺麗――なんというか、まるで芸術品みたいな……」
「ふふっ、芸術品、か。それはあながち間違ってはおらぬな。小生の国では既にそんなものの仲間入りを果たして久しい。小生の国の民は既に大半が刀を捨てておる」
「大半が、って――あなたの国ではみんなが剣を持ってたの?」
「ああ、サムライにとっては魂であるからな」
「サムライ?」
女子生徒はしばし何かを考える表情になり、手を顎に添え、眉間に皺を寄せた。
「そう言えば聞いたことがあるわ……極東にある島国、そこではサムライという勇猛な戦士たちがいるって。確かその国は最近、眠れる獅子と呼ばれていた大国、シンと戦争して、しかも圧勝したって……」
小生の国がシンと呼ばれる大国と戦争をし、勝利を収めたのは一年前のこと。
今、辺境の小国という古い着物を脱ぎ捨て、世界を統べる列強に名を連ねようと躍起になっている我が国にとっては、世界に名だたる大国であったシン国を降すことが出来たのは、その戦争の理非は別にして、幸先の良い門出だったと言えたかもしれない。
小生がそんなことを考えていると、女子生徒が小生を見た。
「ということはあなた、そのサムライなの?」
「もはや我が国に本当の意味でのサムライはおらぬよ。全てをお上に返して久しい。一般市民になったものもおれば、小生のように軍人になったものもおる。それに、サムライとは士族身分であればそうであるというものでもない」
「どういうこと?」
「そうだな――サムライとは身分であるというよりも、サムライという生き方なのだ」
女子生徒が理解に苦しんだ表情になる。
小生は刀を鞘に納めつつ説明した。
「サムライとは武士道と呼ばれる道徳、もしくは価値観に生きる人のことを指すのである。努力を怠らぬこと、無精をせぬこと、言行を正しくすること、何よりも誠たること――それら全てがサムライの徳目である。たとえ百姓でも、子供でも、たとえ我が国の人間ですらなくとも、武士道を奉じ、武士道に生きる者がいれば、それはサムライなのである」
小生の説明に、女子生徒はしばし何かを考え、何度か頷いた。
「私たちが教えられた騎士道――みたいなもの、かしらね。私たちが持つ騎士道は――」
「ああ、死が訪れるその瞬間まで己に恥じぬ生き方をすること――であるな?」
女子生徒が少し驚いたように小生を見つめた。
「驚いた、ちゃんと知ってるのね……」
「これでもこの学園に入学する身であるからな。最低限のことは頭に入っている。だが騎士道と武士道は少し違うのだ」
「え、違うの?」
「そうだ。一言で言えば、騎士道は善く生きるための道だ。だが武士道はその逆、善く死ぬための道なのである」
「し、死ぬため、って――!」
物々しい言葉に、女子生徒が息を呑んだ。
「そう、我々武士道に生きるものが求めるものは、如何に善く死ぬかなのである。人間はいずれ死ぬ。ならばその限りある命をどう使い、何のためにどう散らすか――これこそが武士道の蘊奥、究極の悟りの境地――」
小生がそう言うと、女子生徒が怪物を見るような目で押し黙ってしまう。
その反応を見て、小生は苦笑した。
「まぁ、初めての人間には少し難しい教えであろうな。小生もまだ全てを理解できているわけではないのだ」
「そ、そうなの……? なんだか東洋の人の価値観ってよくわからないわね……」
「それを申すならおあいこである。そう言えば、あの西洋人がやる挨拶、あれは一体どういう理念であんなことをしておるのだ?」
「え? 挨拶って?」
「男女が人目も憚らず公衆の面前でチューチューチューチュー頬に唇で吸い付きおって。ここに来てから既に十回は見ておる。あれは我が国ではとんでもない行いだぞ」
さっき降り立った駅で行われていた行為を脳裏に思い返し、小生はどこか興奮しつつも、口では奮然と言った。
「大体淑女というものは気安く男に触れるものではない。それどころかしゃぶりつくなどとは不埒も不埒、破廉恥な行いである。小生にとってはそちらの方が余程理解に苦しむ文化であるのだがな……」
「は、破廉恥って何よ!? チークキスのことを言ってるならアレは単なる挨拶じゃない! 別に唇にしてるわけじゃないからいいでしょ! どこが破廉恥よ!」
「な――!? く、く、唇だと!? 異人たちはそんなこともやるというのか! 口吸いなどというものはたとえ夫婦の仲にても滅多にせぬ破廉恥行為ではないか!」
「こっちだって滅多にやらないわよ! いい!? あなたそんなことこの学園で口にしたらみんなに袋叩きにされるわよ! こっちに来たならこっちの文化に慣れて!」
「はっ――!? と、と、いうことは! 小生はあなたと友になったらアレをやられるということか!? や、やめろ! 小生は断るぞ! 友への挨拶などというものは少し頭を下げるぐらいでよいであろうが!」
「な――!? 現時点で一体何を想像してんのよ!? まだ友達にもなってないレディに向かってなんてことを想像して――!」
その瞬間であった。視界の横から飛び込んできた何かが、小生と女子生徒の間をすり抜けるように走り去ってゆく。
うわっ!? と女子生徒が仰け反ると、その男子生徒が一瞬、女子生徒に何故なのか、意地悪い笑みを向けた。
「おっと、悪いな!」
その目に含まれた険に目を細め――。
小生は素早く右手を伸ばし、走っていこうとする男子生徒の腕を掴んだ。
ぎょっ、と、掴まれた手首を見て男子生徒が顔を驚かせた。
「うおっ!? ――な、なんだよ急に!」
「女性にぶつかった非礼は見逃してやる。だが流石に、その手に握ったものは返していけ」
「は、はぁ――!? 何を言って――!」
「これはこの方のものであろう?」
その言葉とともに、小生は掴んだ男子生徒の右手ごと、首飾りを持ち上げた。
銀と思しき素材で作られた、まるで星のように飾りがついた不思議な形の十字架の首飾り――。
それはこの女子生徒が腰に帯びる剣の柄に巻かれていたはずのものであった。
あ、と、女子生徒と男子生徒が同時に声を上げた。
「そ、それ、私のロザリオ――! あ、あなたまさか――!」
「あ、い、いや、これは――!」
「ただ、間違って掴んでしまっただけでござろう?」
小生の言葉に、えっ? と男子生徒が目をひん剥いた。
小生は微笑みとともにもう一度問うた。
「こういうことはよくあることなのである。たまたま意図せず掴んでしまった――そうなのでござろう?」
「あ――そ、それは……」
「そうであった方がよいのだ。ゆくゆくは同窓、もしくは朋輩になる仲とはいえ、まだ我々は入学の手続きも終わっておらぬ。要するに現時点では赤の他人だ。――ならばこれは巾着切りも同様の所業、場合によっては無礼討ちも十分に有り得る、ということだ」
小生が男子生徒の手首を握った手に力を込めると、ぎしっ、と手首の骨が軋み、男子生徒が短く悲鳴を上げた。
「ひ、ひぃ……!? わ、悪い、その通りだ! たまたまなんだよ! わ、悪かったって……!」
「そうか。ならば赦そう。……そちらはどうだ?」
「え? ――あ、ああ、別にそれが返ってくるならいいけど……」
「ならば一件落着である。そら、首飾りを返したら、もう行け」
小生が男子生徒の手から首飾りを受け取って手を離すと、しばし掴まれていた右手首と小生の顔を交互に見比べた男子生徒は、そのままよろよろと駆けて行ってしまった。
「ほら、お宝は取り戻したぞ。大事なものなのであろう?」
「――ありがとう。その通り、とても大事なものなの」
女子生徒は首飾りを受け取ると、両手で包み込み、胸に押し当てた。
己が魂である剣に巻き付けているのを考えれば余程大切なものなのであろう、という小生の予想は当たっていたようだ。
しばらく安堵するかのように瞑目して――女子生徒はなにかに気づいたように長いまつげに縁取られた目を開けた。
「……まさかあなた、さっきの一瞬でこれが盗られたのを見てたの?」
「そりゃあ、まぁ。なんだか妙な間合いで飛び込んで来たのもあるがな。これぐらいの目がなければ武人は務まらぬよ」
「それに比べて、私は未熟者ね……自分の命に等しい宝物なのに、スリ盗られたことにも気づけないなんて……」
女子生徒は悔しそうに唇を噛み締めて俯いてしまった。
おや――なんだか相当に落ち込んでいる様子である。
小生がなにか慰めの言葉を吐こうとすると――急に、女子生徒が小生の顔をまっすぐに見つめた。
「エステラ」
「は――?」
「私の名前、エステラ、っていうの。エステラ・マリナウスカイテ、よろしく」
「ま、まりな……? 相すまぬこと、もう一度……」
「マリナウスカイテ。東洋人のあなたには呼びにくいでしょ? エステラでいいわ。それに敬称も不要よ」
そう言って、女子生徒はまるで手刀のように右手を差し出してきた。
え? と小生はその手と女子生徒――エステラの顔を見比べた。
「ち、チューじゃない――のか?」
「これは握手。これも西洋では立派な挨拶の作法よ」
「そ、そうか、どのようにすればよい?」
「何よあなた、英語は話せるのに握手は知らないの?」
そう言って、エステラは呆れたように笑った。
はっ、と思わず息を飲むほどに、儚くて、そして美しい笑みだった。
「痛くない程度に私の手を握って、少し上下に振る。それだけでいいわ」
「そ、そうか。いざ失礼する――」
「じゃあ、お互いによろしくね、えーと……クヨウ・ハチスカ、だったかしら?」
「ああ、小生の方もクヨウ、で構わぬ。よろしくな、エステラ」
小生はエステラに言われた通り、エステラの手を握った。
武人のものとは思えないほどに華奢で、冷たさの奥に仄かな温かさを感じる手であった。
そう思っていただけましたら、
何卒下の方からご評価をお願いいたします!!
もう少しポイント取りたいんです!!
よろしくお願いいたします。