フォルコン「私が来たからにはもう大丈夫! 安心しなさいお嬢さん、私が貴女をプレミスまでお帰し致します(ムキッ)」
せっかくアイリが封じ込めたのに、ほうれんそう不足で結局一人で飛び出してしまったマリー。フォルコン号の大人達はみんな詰めが甘いんですよ。
私はイマード首長とクスクスを食すぐらいの軽いノリでこの話を切り出した。
タルカシュコーンの王宮は武装兵士も少なく、平和でのんびりしているように見えた。これなら私が王子様を食事に誘うくらい構わないのではないかと。
「宜しいのでしょうか、本来なら我々が貴女の為に宴席を設けるべき立場なのだと思いますが」
「あはは、お気遣いなく、私はご覧の通りの子供の使いですから」
私はそうして、このふくよかな王子を気軽に、ただ一緒に昼食を食べる為に町へと誘ったのだが。
「王子が外国の公使とお出掛けになられるって!」
「まさか明日にも何て事はないよな? ええっ、今から!?」
たちまち儀仗兵やら女官やら、大勢の人々があたふたと集まり出し、その数は百人を超える……
「あのごめんなさい、小さなお店なんです、そんなに一緒には入れませんから!」
◇◇◇
私がアイビス語と怪しいニスル語と少しのターミガン語と身振り手振りで説得した結果、随行員は十人まで減らされたものの。
「お出掛けですか、アミール殿下!」
「王子ー! その小さい子は誰ー!?」
「おやまあ、殿下のお出掛けだよ!」
モーラ料理を食べに行くだけの一行は、方々で市民の皆さんの笑顔に囲まれる。
殿下もそちらこちらで、立ち止まり、手を振って応える。国民に愛されてるのねアミール殿下。優しそうだものなあ。
「モーラの煮込み料理はいかがですかー? 今日は山羊の煮込みがありますよー……あっ……昨日の船長さん!」
そしてお昼前の賑やかな通りでお客さんを呼んでいたハリシャちゃんも、こちらに気づいた。
「ハリシャちゃーん、お客さんを案内して来ましたよ」
◇◇◇
ハリシャちゃんの言う通り、今日の主役の煮込みは山羊肉が柔らかく煮込まれたものだった。それから大根とインゲン豆の煮込みがあってこれも美味しい。だけど一番驚いたのはバナナをベースに数種類の果物を煮込んだ煮込みである。
「甘辛さと酸っぱさの絶妙なバランスがたまりません、これはやみつきになりますねぇ! 私はずっとこの町に住んでいるのに、こんな美味しいお店を知らなかったなんて。マリーさん、貴女はどうして見つけられたんですか?」
「いやあ、食いしん坊なだけですよ、チェブジェン、チェブヤップ、この国の料理も美味しいですけど、モーラ料理はこの町で初めて食べました! タルカシュコーンは素敵な町ですねえ!」
目の前に居るのが王子様だという事も忘れ、私は三種の煮込みを存分に楽しむ。殿下も大変気に入って下さったみたいで良かった、いやー、きっと気が合うんじゃないかと思ったんですよ。
随行の人達にも相伴していただいた。初めは皆さん殿下と同席は畏れ多いとおっしゃっていたが、その殿下に是非にと勧められると、喜んで席について下さった。
食事の後はモーラ風のお茶をいただく。ミルクをたっぷり入れたデザートのように甘いお茶が心を満たす……
あー。こういう時ばかりは、船乗りになって良かったなぁと思う。ヴィタリスのお針子のままだったら、モーラ風のお茶をいただく日は来なかったよね。
「さて……このお話、しない訳には行かないのだと思いますが」
ずっと笑顔だったアミール殿下が、不意に申し訳なさそうな顔をされる。あれ? 私何か失礼な事をしたかしら。
「貴女のお名前がマリー・パスファインダーさんなのは、偶然ではないのでしょうね。一年前、この港では一つの事件が起きました。商船リトルマリー号の船長、フォルコン・パスファインダー氏が、寄港していたレイヴン海軍艦、ブラックバード号を略取し北へ向けて出港したと」
私は危うく、口に含んでいた香り高く味わい深いモーラ風のお茶を吹き出しそうになった。
「貴女の乗艦の名前がフォルコン号なのも……申し訳ない、父もそれ故に警戒しているのだと思います、マジュドとの連携には異存はないのですが、レイヴンとの関係がこれ以上こじれるのは良くないと」
ちょっと待て。
ムスタファ陛下はイマーム首長の親書の内容じゃなく、使者がパンツ一丁の関係者っぽい事を嫌って返事を躊躇われたって事!?
じゃあもしも、この交渉が上手く行かなかったら……それは私と、パンツ一丁のせい!?
イマード首長は知らないのよね。私の父がパンツ一丁のフォルコンだという事。
いや落ち着けマリー、この事は全く予想していなかった訳じゃないんだ。
「あの、殿下。私はマジュドの騎士であり、イマーム首長の使者としてこの地に来ているのです。私の名前がマリーで、私の船の名前がフォルコン号なのは本当に偶然です、フォルコン号は去年の六月に進水したばかりの船なんです、それはもう、隼のように速い船で、その為に色々なお使いに使われているのです、真夏のハマーム、真冬のスヴァーヌ、コルジアやフェザント、レイヴンの港を訪れた事だってあります、私共は決して! 人様の船を乗っ取るような狼藉者ではございません」
私はそう、アイビス語でまくし立てる。少し早口だったろうか? しかし……アミール殿下には全て伝わったように見えた。
殿下は、少し寂しげに微笑む。
「ああ、いえ……悪いのは貴女ではないし、誰でもないのです……恐らく。強いて言えば、私の見た目が悪かったのでしょう。はは、は……」
え……王子の見た目? ふっくらして可愛くて、だけどとっても頼りになりそうな方に見えますが……いやいやそれ以前に、一体何の話?
◇◇◇
ムスタファ国王の一人息子、アミール王子は10年連れ添った御妃様と死別された後、しばらく一人身で居られた。御妃様との間に子供は出来なかった。
そこにやって来たのが何とかと言うレイヴンの高等外務官だった。レイヴン国王はタルカシュコーンとの友好を非常に重視していて、王室同士、親戚になる事を望んでいると、その為に先々代の国王の妹の曾孫で、伯爵令嬢のイルミナ・リンデン嬢を、アミール王子の後妻として嫁がせる事を申し入れて来た。
「父は北大陸の強国との結縁に、半信半疑ながら賛成しました。私は北大陸のお嬢さんが我が国の気候や風習に耐えられるかどうか心配でしたので、結婚ではなく婚約として、暫くここで暮らしてみてはと提案したのです」
そしてレイヴン本土からブラックバード号で送られて来たイルミナ・リンデン嬢は、アミール王子の宮殿で暮らし始めたのだが。
「この港に来てから二週間程経ったある日、イルミナさんは船旅の思い出に浸りたいとおっしゃって、港に係留していたブラックバード号に出掛けられました」
ブラックバード号が盗まれたのは、正にその夜だったという。下手人の名が商船リトルマリー号の船長、フォルコン・パスファインダーである事は、港湾役人に提出されたリトルマリー号の書類と、多くの目撃者の証言、後の状況証拠からも、間違いないらしい。
レイヴンの駐在公使とレイヴン海軍は、自分達は被害者であると主張した。この政略結婚を主導した高等外務官は既にタルカシュコーンを離れていて連絡がつかない。
ブラックバード号はゼイトゥーンとの間の切り立つ岩に囲まれた入り江で発見され、ただちに奪還されたものの、下手人フォルコンはサメがウヨウヨ居る海にパンツ一丁で飛び込んで消えた。
そしてブラックバード号に乗っていたはずのイルミナ嬢は、ついに見つからなかった。
レイヴン人達はイルミナ嬢が、海賊の手籠めにされるくらいならと自ら海に身を投げたのだと主張したが、ムスタファ国王はそのようには考えなかった。
「父はレイヴン人達が息子……私を侮辱したと考えました。レイヴン公使にはタルカシュコーン市内からの退去を要求し、レイヴン船籍の船にも港湾施設の利用を認めない決定を下しました」
そう言ってアミール王子は、申し訳なさそうにかぶりを振る。
イルミナ嬢はこの政略結婚を嫌がっていた。いくら王子だと言われてもそこは宗教も風土も違う遠い異国、そして若く美しいイルミナ嬢から見れば、自分は肥満した肌の色の違う醜い中年男に過ぎなかったのだろうと。







