サイモン「フォルコン号、パスファインダー船長……ついにこの時が来たか……!」
間隔が開いて申し訳ありません!
今回は王様の親書を届けるという地味で安全なお仕事ですから、あまり刺激的な事は無さそうですね。マリーも牛車ならぬ駱駝車に揺られ、のほほんとしております。
幌屋根のついたの四輪馬車が城門をくぐる。
タルカシュコーンの王宮の中庭は綺麗に片付いた幾何学模様の庭園になっていた。瑞々しい花壇には大きな葉を広げた大きな花が、競い合うように咲いている。
私は若輩者の田舎の百姓な割には、幾つもの王様の棲家を見て来た。コルジアの女王と王子は大変大きな城にたくさんの衛士を並べて暮らしていたし、空から見たレイヴンの王宮は驚く程大きくやはりたくさんの兵士が居た。
タルカシュコーンのあるこの国の王宮はさすがにコルジアやレイヴンと比べたらうんと小さく、ハマームと比べてもこじんまりとしている……その事を差し引いても、この王宮には武装した家来が少ない。さすがに城門の前には鎚矛を提げた兵士が居たが、それも四人ばかりだった。
決して人が少ない訳ではない。庭師や給仕や荷役夫、女官、料理人に大工や左官、中庭にはたくさんの民間人が居る。
官吏と思われる人も居る、しかし彼らが手にしているのは儀礼用の錫杖や、土木作業に使うような六尺棒ぐらいで、短剣一つ提げていない。
「この国はとても平和なの? 不精ひげ」
「そうでもないよ、近隣の国との衝突は少ないけど、海賊や密輸商人の取り締まりには手を焼いているし、北大陸列強の圧力は悩みの種だろう」
中庭の奥の方まで車で連れて来ていただいた我らマジュド使節団は、そこにあったピクニックテーブルでコーヒーをいただく。
そう。コーヒーだ。私だってコーヒーぐらい知ってますよ。
飲むのは初めてだけど。
「どうぞ」
オレンジ色のワンショルダーの服を着た栗色の肌の素敵なお姉さんが、深い艶のある木の腕に煎れてくれた、黒に近い濃茶色の液体……知ってますよ。これがコーヒーなんでしょ、ええ。飲むと元気が出るそうじゃないですか。
私は木の腕を取り口に運ぶ……熱いから気をつけて……うへえ、苦い……それに凄い香りですよ、今までに経験した事のない香りだ、これ、飲んで大丈夫なの?
給仕のお姉さんはあらかじめ私が使節の団長だと聞いていたので私から一番にコーヒーを提供してくれたのだが、私の次にコーヒーを注がれたアイリはテーブルにあった小さな壺の蓋を開け中に入っていた黒砂糖を木の腕に二匙入れる。
「マリーちゃんはコーヒーは砂糖を入れずに飲むのね。覚えておくわ」
アイリより後にコーヒーを注がれた不精ひげとカイヴァーンは顔を見合わせ、自分の椀に砂糖をドバドバ入れる。
ちょっと待て! そんなんありか、私にも砂糖を下さいよ、これ苦過ぎるよ!
私がそう思った瞬間、給仕のお姉さんが微笑む。
「コーヒー本来の味を楽しむには、無糖が良いとも言われてます。マリー様はコーヒー通なのですね」
私は苦いコーヒーを苦いまま最後まで飲んだ。
◇◇◇
中庭とコーヒーで小一時間ほど待たされた後、私達は王宮の中に通された。国王陛下は毎日様々な使者や請願者に会うので、大変忙しいらしい。
「いよいよ王様に会えるのね! 何しろ王様でしょ? ワクワクするわ!」
「アイリさんはイマードさんにも会ったじゃないですか、あの人、王様ですよ」
「えっ……そういえばそうだけど……でもあの人あんまり王様っぽくないじゃない、私が会いたいのは、いかにも王様! って感じの人なの、こう、特別な空気が漂ってて、すごくお金を持ってそうで」
アイリさんはそんな事を言うけれど、私に言わせるとイマードさんってむしろ王様らしい王様なんだよなあ。私もアイリさんもアイビス人だけど、アイビスの王様なんてとても王様とは思えない、とんでもない人なのよ?
そんな事を考えながらやって来た謁見室で待っていたのは、一言で言えば小柄な小太りの、温厚そうなおじいさんだった。
「マジュドから来られたと、ようこそお越しなされた……女性の騎士とは珍しい、それに何ともお美しい方だ」
黄色地にきめ細かな刺繍を施されたゆったりとした服を着たそのおじいさんは、椅子から立ち上がるとアイリさんの前に歩み寄る。
「さあどうぞこちらへ、あちらの椅子に掛けて楽になさい」
「ありがとうございます陛下、あの、マジュドの騎士マリーはこちらですわ」
「マリー・パスファインダーと申します陛下。拝謁を賜りまして恐悦に存じます」
「おやおやこれは失礼、随分と若い騎士殿だね」
このやり取りも、いつもの事である。
◇◇◇
私は多分国王陛下だと思われるそのおじいさんが、イマード首長の親書を読み終えるのを待つ。
親書の内容はイマード首長からも聞いていたし、私も目を通しておくよう言われた。同じ南大陸西岸の国として、北大陸列強に好き勝手にやられないよう、連絡を取り合い、何かの時には共同歩調を取ろうというものだ。
この北大陸列強というのには、アイビスも入ってるんだよね……アイビスは新世界や中太洋進出では後れを取っている代わりに、南大陸北西部には様々な形で進出している。
それでゼイトゥーンでもタルカシュコーンでも、結構アイビス語が通じちゃうんだよな。それはこの地に生きる人にとっては、どういう意味を持つのだろう。
「マジュドの騎士よ……改めて御足労に礼を申し上げる」
親書を読み終えた国王陛下は、肩を落として溜息をついた。そのお言葉とは裏腹に、あまりポジティブな反応では無いと言える。
「返書は数日中には書き上げる、それを持ち帰って欲しい……イマード殿との友好の為に。頼まれては頂けないか、マリー殿」
「勿論です、陛下のお役に立てる事を光栄に存じます」
話はそれでおしまい。私達は謁見室を辞して退出する事になった。
「これだけ……? ねえマリーちゃん、さっきの王様の話、どういう事? 陛下はイマード首長の親書を見てどう思ったのかしら?」
アイリさんはそうせっついて来る。我々はまだ王宮の中に居るんですから、あんまりこういう話をしたくないんだけど。
「あまり乗り気じゃないみたいですね。理由はよく解りません」
行きに乗って来た馬車の馭者が帰りも送ると言ってくれたのだが、私はそれを遠慮する。折角来たのだから、この異国の町を歩いてみたい。
「先に帰りたい人は居ませんね? じゃあ一緒に帰りましょう、皆で」
「船長、仕事が終わったなら俺は遊びに行っていいか?」
「一緒に帰ろうって言ってるでしょ! フォルコン号までは付き合ってよ!」
「先に帰りたい人は居ないかって今言ったじゃないか……」
町には浮かれた水夫らしき者が大勢居て、朝から開いている飲み屋で騒ぎ立てている。
この港から新世界へは西なら5000km、南西なら3000kmは離れていて、そこへ行って来た者にとっては本当に久し振りの陸だし、これからそこへ行く者にとっては当分お別れとなる陸である。それは羽目も外したくなるだろう。
だけど不精ひげはゼイトゥーンでたっぷり休んだばかりじゃん。この後だって王様が返書をくれるまで待って、ヤシュムに帰るだけだ。
「姉ちゃん、俺そろそろ上着脱いでもいい? この首輪もキツくて……」
「スカーフでしょ、いいよ取って、ほら」
「えー、折角可愛くしたのに」
私はカイヴァーンがジュストコールの上着を脱ぐのを手伝う。北緯14度のこの町は二月とはいえ結構暑い。
「みんなお腹空いてない? どこかで何か食べよう、せっかくだから、この町じゃないと食べられないようなものを」
私はフレ……少年風の声でそう言ってみる。
私の鼻がその香りを嗅ぎつけたのは、その瞬間だった。
この香りは胡椒? 似ているけど少し違うような……何と言う刺激的な香りだろう、こんな香りは嗅いだ事がない。嗅いだ事がないのに。私の本能が、この香りの先にとても美味い物があると告げている。
「ねえアイリ、これは何の香りだろう?」
「そうね……胡椒のような、胡椒じゃないような」
「アレクの兄貴なら知ってるかな」
「俺は嫌な予感がする、何か食べるならそこのケバブの店の方が」
不精ひげはそう言って、店頭の炭火で串焼きを焼いている店を指差す。私は素早くその左腕を捕まえる。
「人生は冒険だよ! 僕の父が昔そう言っていた。牛の串焼きなんてどこでも食べられるじゃないか、この謎の香りを追い掛けてみよう」
「いやこの臭いは危険だって、何かおかしい」
私は構わず、不精ひげの袖を引いてこの素敵な香りがする方へ歩いて行く。
勘を頼りに角を曲がり、様々な文化圏の人々が入り乱れる通りを歩いて行くと、長い黒髪を綺麗にまとめた可愛い女の子が居て、通りすがりの人々に声を掛けているのが見えた。この香りはあの女の子が呼び込みをしている店のものではないか。
「モーラの煮込み料理はいかがですか。焼きたてのチャパティも美味しいですよ」
モーラというのは中太洋北中部の大国だ。なんと、そんな遠くの料理が食べられるんですか! これは凄い、絶対に食べないと!
「待ってくれ船長、モーラでは牛肉を食べないんだ、俺は今牛肉の口になっていて、熱々の牛串を井戸水で冷やしたビールで」
「四人入れるかな、お嬢さん」
不精ひげの抗議に構わず、私はその女の子に声を掛ける。
「は……はいっ、ただ今ご案内いたします!」







