マリー「ゼイトゥーンまであと少しだよ! 急がなきゃ」カイヴァーン「姉ちゃん……アイリさんに何て言うかちゃんと考えた?」
本当にハリシャを連れ出してしまった、海賊、ジュリアン。
大丈夫なの?
タルカシュコーンの港は南大陸最西端に突き出た岬の先にある。長い航海の後でようやく上陸させてもらった船乗り達は、短い自由時間を精一杯に遊び倒す。
さらには砂漠を行き交う隊商も多く訪れる。彼等もまたあまり昼夜に拘らない生活をしている。
だからこの街の繁華街は北大陸の大きな街に負けないほど宵っ張りで、日が落ちても暫くは賑わいを続けている。
ジュリアンはいくらかの硬貨を持っていた。ただしこれはマカーティ船長の金で、使ったら後で返さなくてはならない金だった。ジュリアンはいらないと言ったのだが、マカーティが無理やり押し付けて来たのだ。
「グレナディンの飲料だよ、甘くて爽やかだ、酒は入っていないよ!」
路上のジュース売りに目を留めたジュリアンは、ハリシャの手を握ったままそちらに近づく。売り子の老婆が言うグレナディンというのは、赤く正体の解らない液体だった。ジュリアンは老婆に尋ねる。
「これは……何?」
「ザクロの果汁のジュースよ」
老婆より早くハリシャが答える。ジュリアンは気まずそうに一度目を逸らしてから、売り子の老婆に言う。
「二つくれ。ちゃんとコップの淵まで注いでよ!」
老婆の手で本当にコップの淵までなみなみと注がれたグレナディンを二人は受け取る。そしてコップからこぼれないうちに、口をつけて飲む。
本当は少し前にも煮冷ましを飲ませて貰ったジュリアンだが、今は緊張と火照りでまた喉が渇いていた。そんな少年のの体に、グレナディンは途方もなく甘美で爽やかに感じられた。
「美味い! こんなの飲んだ事ない!」
「……この辺りのお店でも、きっと頼めば出て来るわ」
そう答えるハリシャの顔を、ジュリアンは横目で注意深く見つめる……ハリシャは今、自分をどう思っているのだろう。
人買いの家によじ登って会いに行った時、ハリシャは怒っていて、自分がすぐに立ち去る事を望んでいた。
さっきあの路地裏で出会った時には、ハリシャは多分呆れていた。自分をしょうのない、幼稚で我侭な男だと思ったのだろう。
では今のハリシャは怒っているのか、呆れているのか? それとも、自分を海賊だと、誘拐犯だと知って恐れているのか。自分は彼女にナイフを見せびらかす事までしてしまった。
ジュリアンはもう一口、グレナディンを呷る。ザクロ果汁の爽やかな酸味と喉越しが、少年の心に知恵と勇気を湧き起こす。
自分はストームブリンガー号の船員見習いで、あの船になら怪しまれずに乗り降りする事が出来る。ハリシャを何とかしてあの船に乗せてしまおう。そして次の港まで何とか隠し通して、次の港でも何とかして下船休暇を貰うのだ、そこで今度は何とかしてハリシャを港に降ろす。そうすれば、少なくともハリシャは奴隷ではなくなる。
それからその港で何とかしてあの宿屋の夫婦のような、善良そうで働き手を探してもいるモーラ人を見つけて、ハリシャにまともな仕事をさせて貰う事が出来れば完璧だ。
少年は、そんな計画を立てる。
「ああ。あー。君の恰好は、少し都合が悪いかもしれない。これを飲んだら市場に行こう、きっと、違う服が必要になるから」
「市場の店はもう閉まってるわ、多分開いているのはお酒を売る店だけよ」
「ええっ!? い、いや、急げば開いている店もあるかもしれない、ああでも、ごめん、ジュースはゆっくり飲んで……飲み終わってから急ごう」
「急がなくていいの?」
自分の顔を覗き込む少女に、ジュリアンは横顔を向けたまま答える。
「君も好きなんだろ、このジュース」
ハリシャはごく幼い頃に、両親と三人でグレナディンを飲んだ時の事を思い出していた。その記憶は、唯一思い出せる彼女の両親の記憶だった。
「うん。大好き」
ハリシャの返事に、ジュリアンは意味もなく赤面しのぼせ上がる。勿論、自分がハリシャに大好きと言われた訳ではないという事くらい、解っているのだが。
結局ジュリアンはハリシャがゆっくりとジュースを飲むのに付き合い、自分も同じくらいのペースでそれを飲む。
ジュース売りの元を離れたジュリアンはハリシャの手を引き、夜の繁華街を走る。ハリシャもなるべく、ジュリアンに合わせようとはしていたが。
「待って水夫さん、私そんなに走れない」
「ご、ごめん」
ジュリアンは小柄だがすばしっこく見た目よりは力持ちの少年で、お仕着せを着ているハリシャは彼が走るのにはとてもついて行けなかった。ジュリアンもそれを悟り、走るのを止める。
ちょうど、そこへ。
「あっ……司法官だ……!」
往来の向こうから、赤い外套を着た一団がやって来る……四人ともに栗色の肌の女性で、先頭の者はディアバではなかったがディアバと同じ錫杖を持ち、辺りの酔いどれ水夫や客引きに目を光らせながら、真っ直ぐにこちらに進んで来る。
ジュリアンは思う。今、ハリシャが声を上げれば終わりだ。自分は誘拐を働いた海賊として逮捕され、厳しい処罰を受けるだろう……外の世界には何年も帰って来れないかもしれない。
しかしハリシャは道の端に避けたジュリアンに黙ってついて来て、目の前を通過する司法官達を黙って見過ごしてくれた。
「あの人達は賄賂も受け取らないの。法律にしか従わないんだって」
ハリシャは去り行く司法官達を見つめてそう呟く。
ジュリアンがハリシャの手を引き市場まで来てみると、ハリシャが言った通り、ほとんどの店や屋台は閉店していた。特に衣料品の店は全く開いていない。
しかし閉店はしているが、まだ片付けをしている店が一軒見つかった。
「待って下さい! 品物を売って、僕たちはすぐに買うから!」
「ええっ、うちはもう閉店だ、買い物がしたければ明日来ておくれ!」
しかしジュリアンは構わずに商人が片付けて持ち帰ろうとしていた服を漁る。
「これと、これ、売ってください、お金は払うから!」
「そんな適当に選ぶなよ、服を買うならちゃんと選べ! だけどこの店はもう閉店、俺の勤務時間は終了なんだ」
「待て、その男の子が彼女の為の服を選ぼうとしてるんだろ? いいじゃないか」
結局の所商人達はジュリアンの買い物に付き合ってくれたのだが。
「女の子の服なんだ、もっと明るい色の方がいい」
「本人の気持ちも聞くべきだ、君はこの二つならどちらがいい」
「待って、あんまり派手な色は困るんだよ」
二人の地元商人とジュリアンは結局、あれやらこれやら言って色々なチュニックやシャツ、ズボンを持って来てハリシャの体に当ててみる。
「動きやすくて目立たない服が欲しいだけなんだよ、そんな派手なの駄目だって」
「派手な事なんてない、このくらい元気な感じがいい、なあお嬢さん?」
ハリシャはこんな事をした経験は無かった。今まで服と言えば親方や世話役の者がこれを着ろと言った物を着るだけだったのだが。
「ねえハリシャ、このチュニックとズボンはいいだろう?」
「この彼氏は好みが地味過ぎる、このカットソーとパンツがいい、そうだろう?」
「今着てる服も可愛いが、このワンピースは一番だと思うよ、どうだい」
「そんなに服があっても、私一着しか着れないわ」
様々な服を勧めるジュリアンと商人達に、ハリシャは戸惑って苦笑いをする。
服選びは結局金を出すジュリアンが押し切り、ハリシャは動き易いチュニックとズボンに着替える事になった。地元商人達は何度も地味だと言ったが、ジュリアンはそんな事はないと思った。とにかくこれで、人買い達はすぐにはハリシャを見つけられなくなるだろう。
「それで、これからどうするの?」
「それは……コホン、黙ってついて来るんだ」
ジュリアンは再びハリシャの手を引き、港の方へと歩いて行く。船に乗せるというのは直前まで秘密にしておくべきだ。
「あー、あの、黙ってというのは行き先については聞かないでという意味で、他の事を話すのは構わないから」
「貴方の船長さんはどうしたの?」
「船長は……いや、今は船長は関係ないよ、船長はどこかで休憩してる……」
ハリシャにそう問われてようやくマカーティの事を思い出し、急に心配になったジュリアンは慌しく辺りを見回す。本当にマカーティは近くに居ないのか? 次の角を曲がった途端、急に目の前に現れたりしたらどうしよう。
自分がハリシャの手を引いている所を見たら、マカーティはどれ程猥雑な言葉で自分をからかうだろう? 想像するだけで顔が赤くなる。







