ライオン「ガオー(笑)」カイヴァーン「うわああああああ」ゾウ「ぱおーん(怒)」マリー「ぎゃああああああ」
マリーとカイヴァーンがブルバル川の中流、内陸の交易都市ファルチャムからゼイトゥーンへと戻る旅をしている頃、フォルコン号を追い越したストームブリンガー号はタルカシュコーンに到着しておりました。またまた三人称で御願い致します。
南レイガーラントの商船ヒュッツポット号は、ロングストーンから計23日の航海を経て、タルカシュコーンの港町へとやって来た。
「いやァ長かったなあ。久し振りだよこの港は、ここは正しく! 希望の港タルカシュコーン! ジュリアン君! 見て見ろよジュリアン君!」
覆面の船長コンドルは船首楼の上で上機嫌で朝の体操をしながら、今朝も甲板磨きを始めた船で一番小さな水夫、ジュリアンを呼び止める。
「この泰西洋に突き出た大きな岬、これが巨大な南大陸の最西端なんだ。わかるか最西端って? だけどこの岬の凄いのはそれだけじゃない。ここから北と南で、全く気候が変わるんだ。ここより北、つまり俺達が航海して来た沿岸はずーっと砂漠だったろ? 大きな川の河口以外はな。だけどここから南の沿岸はどんどん雨が増えて木が増えて、しまいには鬱蒼と茂るジャングルになるんだ!」
コンドルはペラペラとまくしたてる。しかし、ジュリアンにはそれがどう凄いのか良く解らなかった。
「港に降りてみればきっと解る。ここには本当に色々な人間が居て、色々な品物が行き交っているからな! どうなんだ? 港に降りてみたいだろう?」
ジュリアンは陸には降りてみたいと思っていた。最初は相当な船酔いに悩まされたし、今だって海が少し荒れるとすぐ眩暈がする。だけど別段、言葉も通じず知り合いも居ない異国の街に降りてみたいとは思わない。
「港に降りられるのは、手柄のあった水夫だけと聞いてます、コンドル船長」
しかし、俯いて少し考えていたジュリアンがそう言いながら顔を上げると、コンドルはもうそこには居なかった。代わりにジュリアンの後ろからやって来たのは、マカーティ船長である。
「そうだジュリアン。港に降りて遊びに行けるのは……立派な仕事をした一人前の水夫だけだ! ヒヒッ、ヒーッヒッヒ!」
マカーティはたちまち後ずさりをするジュリアンの頭を真上から鷲づかみにして、無理やり自分の方を向かせ、歯を剥いて笑う。
「お前がその中に入ってると思うのかあ? ジュリアン!?」
◇◇◇
色々な人間が居て、色々な品物が行き交う。そんなのは港町なら当たり前だし、何なら自分は南北大陸の大交差点であるロングストーンから来たのだ、そんな光景は慣れっこだ……ジュリアンはそう思っていたのだが。
タルカシュコーンの港通りには信じられない数の、見た事も無い人々が居た。
肌の色、服装、髪型、そんなものの違いすら目に留まらなくなる程の、文化の見本市がそこにはあった。
赤と金の幾何学模様の服を着たへび使い。何十種類という数の角笛を売る男は白と黒の縞模様の毛皮を着ている。大きな硝子細工の水煙管の周りには頭に大きな布を巻いた四人の老人が車座になって座っていて、何事か雑談をしている。
その横を大きな襞襟のついたプールポワン姿の北洋貴族の男が澄まして歩いて行く……男はふと黄色や緑や赤い羽根のついた極彩色の衣装を着た若い女に声を掛ける。彼女の周りには素焼きの壺に入った、やはり極彩色の多種多様の花があった。彼女はその中から手早く数本を選び、茎の丈を切り揃えて花束にして男に渡す。支払いは男の後ろからついて来たニスル朝の民族衣装、ジェラバを着た男が代わりにしたようだ。友人なのだろうか。
―― ガラン、ガランガンガララララン、ガララララン……
何かの金属を打ち鳴らす、ひどく残響の長い楽器らしき物の音が、路地裏から聞こえて来る。この音はジュリアンには少し耳障りにも聞こえた。
前から老若取り合わせた女性ばかり十人程の赤い衣装を着た集団が、たくさんの輪のついた錫杖を鳴らしながら進んで来る……
「ボーッとすんなよ」
ぼんやりしていたジュリアンはマカーティに首根っこを引かれて正気に戻り、慌てて前から来る女達の為に道を開ける。周りにごった返している多種多様な人々も、その女性達の為には慌てて道を開けている。赤装束の集団は、その中を毅然とした様子で歩いて行く。
「あ……あれは何ですか?」
「裁判官だ、知らねえのか」
ジュリアンは世の中に裁判官という仕事があるのは知っていたが、あんな裁判官は見た事がなかった。
マカーティは他にジュリアンを含め三人の水夫を連れて、多種多様の人々でごったがえす宿場通りを進んで行く。
「あの……船長。どうして俺は陸で休ませて貰えるんですか」
ジュリアンはあまり期待せず、マカーティに尋ねてみた。
「お前のような子羊を連れていれば、俺は狼なんかじゃないって女共、いや人々に解って貰えるだろう? その為だ」
マカーティはジュリアンに横顔を向けたままニンマリと笑う。そのあまりの不気味さに、ジュリアンは身震いを覚える。
「船長、その角を右です」
以前にもタルカシュコーンに来た事のある水夫が、行く手の交差点を指差す……そして一行がその角を曲がると。
「船乗りさん! タルカシュコーンで一番シーフードが美味いのはここだよ!」
「お兄さん達着いたばかりかい!? 喉が渇いてるんだろ、寄って行きなよ!」
「うちは若い子しか居ないよ! となりはババァばかりだ、やめときなー!」
「何をーこのアマ!」「わははは」「あはは」
ジュリアンは思わず、目の前に現れた路地と、今まで歩いて来た大通りを見比べる。これではまるで別の世界だ、先程までの文化の見本市はどこへ行ったのか。この路地で飛び交う言葉は、アイビスやコルジアで聞きなれたものばかりだ。
この路地だけは北大陸の町と一緒なのか? そうでもない。
タルカシュコーンとその周辺に昔から住んでいるのは濃い栗色の肌の人達で、色鮮やかな装いに身を包み、音楽や踊りを好む陽気な人々だ。
一方ソヘイラ砂漠を越えてやって来るターミガン朝の人々は、モノトーンの服を着ていて、静かで思慮深い。
他にも、南大陸北西岸のニスル朝の人々、中太洋の大国、モーラの文化圏の人々、さらには大陸の東の果て、セリカにルーツを持つ人まで……様々な人々が、ある者は流暢に、ある者は片言で、ジュリアンにも解る言葉で話しているのだ。
ジュリアンがその光景に驚いていると。マカーティは彼の背中を肘で突く。ジュリアンは、船長から一つだけ仕事を仰せつかっていた事を思い出す。
「マ……マイルズ船長!! 僕、とてもお腹が空きました、何か美味しい物が食べたいです!!」
ジュリアンはそれを変な仕事だと思い、また自分がそれをやる事を考えただけで顔が赤くなる心地がしたのだが……マカーティに何度も念を押されていたのだ。俺が合図をしたら、騒がしい群衆の中でもよく聞こえるように、大きな声ではっきりそう言えと。
「なんだジュリアン、そんなに腹が減っていたのか! ようし、今日は船長の俺が飯をおごってやるぜ!」
マカーティはそう言って、ビシッと親指で自分を指差す。
するとたちまち。
「素敵な船長さん! うちはビーフステーキが食べれるよ、もちろんスパイスもたっぷりだ!」
「ステーキはうちでも食えるよ! こっちは給仕が全員女の子だよ船長さん!」
「船長さんステーキより海老にしなよ、この港の名物だよ、綺麗な女の子もたくさん居るよ!」
たちまち羽振りのいい船長さんは客引きに囲まれる。マカーティはその中から素早く吟味して目星をつける。
「よし決めた! あんたの店だ、行くぞジュリアン!」
しかし客引き達はマカーティの周りから簡単には離れなかった。
「旦那、その店は安いけど料理が小さいよ!」
「何を言うんだい、もううちの客だよ、ちょっかい出さないでおくれ!」
「魚料理、もっと美味しいよ!」「うちでは女の子の踊りも見られるよ!」
七、八人ばかりの客引きに揉みくちゃにされながらも、マカーティはこれと決めた店の方に引っ張って行かれる。ジュリアンはその様子を白昼夢でも見ているかのように、唖然と口を開けて眺めていたが、
「早く来いよ、ジュリアン」
苦笑いをしている他の先輩水夫にそう声を掛けられ、少年は慌てて辺りを見回す……すると、ちょうど目の前に。
「あ、あの、モーラの煮込み料理もおいしいです、いかがですか……」
マカーティを取り巻く客引きや先輩水夫達の後ろから、とてもそんな声では誰にも聞こえないだろうというか細い声で呼び掛ける少女の姿があった。
濃い色の肌に端正な顔立ち、深く大きな瞳……年は多分、自分と同じか一つか二つ上くらいだろう。背は自分より10cmは高い……しかしその、船長達に向けてたどたどしく差し出された手は、自分の手より一回り小さく見えた。
ジュリアンはただ目を丸くして立ちすくみ、その少女を見つめていた。
少女は自分の目の前を通り過ぎて、まだ船長達を追い掛けようとしたが、自分が彼を追い掛ける客引きの輪の中にすら入れない事を悟ったのか、肩を落とし、こちらに戻って来る。
ジュリアンはまだ彼女を見ていた。少女はそれに気づく事なく、ジュリアンの前を通り過ぎる。
その時……気まぐれな一羽のカモメが、彼女の向かい側から飛んで来て、彼女の手前で進路を変え、そのまま交差して飛び抜けて行った。少女はカモメに釣られたかのように振り返り……そして、異国の少年が自分の事を見ている事に気づいた。
「あ……」
ジュリアンは小さな呻き声を発した。少女は最初は何も言わなかった。二人は短い間、見つめ合っていた。次に声を発したのは少女の方だった。
「あ、あの……」
少女の視線が自分から逸れるのと同時に、背後からの異常な気配を感じたジュリアンは振り返る。仏頂面のマカーティは既にジュリアンの真後ろに居て、ちょうどジュリアンの頭を鷲掴みにしようとしていた所だった。
「何でついて来ねえんだテメェは、ああん? 何か俺に文句でもあるってのか?」
狼犬のように牙を剥いたマカーティは、子羊のようなジュリアンに顔をグッと近づける。







