オクタヴィアン「ああマリー君、ついでにうちの牛舎を掃除して行ってくれ給え」マリー「かしこまりました」
イサークと何かで勝負する事になったマリー。
何をさせられるんでしょうね?
村の中央には小じんまりとした教会と広場があった。集まった村人達は教会の倉庫から柵を出して来て、広場に並べる。
そしてそこへ、五人ばかりの男達の手で若い牡牛が連れて来られる……なんだか似たような事が、前にもあったような。
「名人イサークが牛に乗るぞ! 早く早く!」「待って! 僕も行く!」
私の横を、10歳くらいの少年が二人、駆け抜けて行く。
イサークはブーツを脱いで裸足になり、準備運動のようなものをしていた。村人達は様々な仕事を放り出して、どんどん集まって来る。
「ルールは簡単、方法はフェアだ。牡牛の背中に飛び乗って、一秒でも長く乗っていられた方の勝ちだ! 挑戦は何度でも気が済むまで出来るものとする!」
肩を回しながらイサークがそう叫ぶと、村人達から歓声と野次が飛ぶ。
「汚いぞイサーク、そんなお嬢ちゃんが牛に乗れる訳がないだろう!」
「お前は村のチャンピオンじゃないかー!」
「やかましい! 決闘を仕掛けられたのは俺なんだ、だったら決闘の種目を決めるのは俺の権利だ! マリー・パスファインダーとやら! 俺が勝ったらお前はその金を抱えて、すぐに村から出て行け!」
私は目を細め、肩をすくめるしかなかった。
牛は角を切り落としてあるし、ディアマンテで出会ったやんちゃのビコほど大きくはなかった。そして盛り上がる村人達の歓声に怯えている。何だか可哀相だなあ。
私は辺りを見回す。村人はどんどん集まって来るけど、その中にマヌエラさんは居ないようだ……どこへ行ったのだろう?
やがて集まった村人の前で、イサークは柵の中に入る。牡牛は落ち着かない様子で柵の中を歩き回っている。
イサークは牛に関心がないようなふりをしながら、柵の中を周る牛に少しずつ近づいて行くと、やがて意を決し、斜め後ろから一気に牛の背中に跨る。
「ブモッ、ブモッ!」
驚いた牛は自分の背中を見ようとして回り出す。
「そら! そらさ!」
イサークは牛の首輪に捕まって背中を叩く。牛が嫌がってますます激しく回り出すと、村人達の歓声がどんどん大きくなる。
「はいや! はいや!」
見事なものだ。イサークは本当にこの競技の名人なのね。ロイ爺にはこんな立派な息子が居たのか……ずいぶん頑固ではあるけれど。
……
イサークとマヌエラさんは似てるけど、ロイ爺とイサークはあまり似てないわね。単にイサークがお母さん似なのか。私は次第に激しく暴れ出す牛を見ながら、そんな事を考えていた。
「そうれ、そうれっ、うわっ、ヒエッ!」
やがて回りながら激しく跳ねだした牛から、イサークは振り落とされた。柵の向こうから村の男達数人が飛び込んで、急いで牛とイサークを引き離す。イサークも慌てて柵の外に這い出る……危険な競技だ、牛に踏まれでもしたらただでは済むまい。
振り子で時間を計っていた村人が叫ぶ。
「イサークは12秒乗っていたぞ!」
村人がまばらな拍手をする。それと同時に野次も飛ぶ。
「ちょっと短いんじゃないのかイサーク!」
「お前、負けてもいいと思ってんだろ、負けたら金を受け取れるんだよなお前」
イサークはたちまち立ち上がり、野次に抗議する。
「冗談じゃない、負ける訳には行かないんだ俺は! さあどうするお嬢ちゃん、あんたそもそもこの競技に挑戦する勇気はあるのか? やめておいてもいいんだぞ! その場合は勿論、俺の勝ちという事になるがな」
私はレイピアのようなものを剣帯ごと外して、フリオさんに預ける。
「お嬢ちゃん、本当にやるのか」
「ええ。私だって負けられないんですよ、このお金を、どうしてもイサークさんに受け取って欲しいんです」
今イサークさんを乗せていた牛は、村の男達の手で大きな牧柵の方へ戻されて行った。代わりに連れて来られたのは、今の牛より少しばかり小柄な牡牛だ。私が小娘である事を気遣ってそうしてくれたのだろうか。
「みんな、少し静かにしてあげてくれ、女の子が牛に乗るからな」
村人達はイサークの時とは打って変わり、静かに牛が柵に入るのを見守る。皆さん優しいのね、やっぱり。或いはみんな心の中では、イサークがお金を受け取れば済む話だと思っているのか……もしかすると、私が本当に牛に乗るとは誰も思ってないんじゃないか。
私は無言で柵をまたぎ、中に入る。牛は怪訝そうな顔をして、余所者である私を見ていた。
「よしよし……ほーら、ほーら」
私も牛の世話の手伝いはヴィタリスで散々やった。私は横から声を掛けながら牛に近づいて、牛が気にしてない事を確認してから頭の上や首の下を掻いてやる。
「よーしよしよし、いい子いい子」
それから背中を掻いてやるついでみたいな顔をして、静かにそっと牛の背中に乗る。牛から見えなくならないよう、顔を覗かせながら。
私が跨っても、牛はほとんど身動ぎもしなかった。これは人々が期待した暴れ牛乗りとは違うと思うが、これなら何秒と言わず、何分だって乗っていられる。
村人達からどよめきが広がる。
イサークは顔色を青くして、わなわなと震えながら私を指差す。
「おっ……お前ッ、何かズルしてないか!?」
してます。だけどこの競技を決闘の種目に選んだのはイサークさんであり、私のせいではありません。
私が着ている銃士マリーの服には船酔い知らずの魔法がかかっている。牛は多分、私の重さをほとんど感じていないはずである。着ている人間の重さをうんと軽くする、この魔法には、そんな副作用があるのだ。
「やるじゃん! 女の子なのに!」
先ほど見た10歳くらいの生意気そうな少年がそう叫んだ。村人達も、徐々に歓声を上げ始める。すると少し落ち着かなくなって来たのか、牛が柵の内側にそって歩き出す。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……どう、どう」
煽るのは牛が可哀相なので、私は静かに声を掛けながら牛の耳の周りなどを撫で回し、その背中に乗り続ける。
牛はしばらく歩き回っていたが、ちょっと私が撫で回し過ぎたのか、一声モウと嘶いたかと思うと、ペタンと足を折り畳み、すやすやと眠ってしまった。
◇◇◇
村の男達はまた別の牛を連れて来た。
イサークさんは私の記録を破ろうと何度も挑戦していたが、その度に牛に振り落とされ、やがて精根尽き果てたという顔で地面に蹲る。
「マリーちゃんの勝ちだ!」
フリオさんがそう叫ぶと、村人達は余所者の私に惜しみない拍手をしてくれた。私は何とも申し訳無い気持ちになる……別の競技にして欲しかったわねぇ。
三人の借金取りが、やはり拍手をしながらこちらにやって来る。
「これで我々も、少しは金を返して貰えそうだな。イサーク、マヌエラの薬代は取っていいから、残りを我々に公平に返済してくれよ」
イサークさんはぐったりと倒れたまま、私と借金取り達の顔を見比べていたが、やがてよろよろと起き上がると。
「すまない! 本当にすまない!!」
ぎゃあああやられた!? まさかの土下座、ちょっと何!? イサークさんは地面に額をつける勢いで、私に土下座をしてしまった。
「頼む、どうか御願いだ、その金だけは勘弁してくれ、頼む!」
借金取り達は少しの間、口をあんぐりと開けて唖然としていたが。
「いい加減にしろイサーク!」「お前それでも男か!」「約束を守ればか者!」
そう言ってイサークを詰る。しかしイサークは構わず、平伏して私に訴える……
「御願いだマリーさん、俺の話を、話を聞いてくれッ、家族の話だからどうか、他に誰も聞いてない所で話したい、頼む!!」