フォルコン「ハハハ、すごいだろ、タダで拾って来た水夫見習いだぞ」ニック「気の毒で笑えないよ……」
ゼイトゥーンに居たのはフォルコン船長の忘れ形見? 二十歳そこそこの三人の元リトルマリー号乗組員達だった。
不精ひげ達も気にしていたらしい。
この話は三人称で御願い致します。
ブルバル川の岸辺の葦原に隠れるように、三人の住む掘っ立て小屋は立っていた。地元の漁師が作業用に作る物を、苦労して真似て建てたのである。
「驚きましたね、兄貴。あれがフォルコン船長の娘さんだって」
葦で編んだ小屋の壁際で、膝を抱えたピロが呟く。
「マリーちゃんかぁ……聞いていた通りの別嬪さんだったなァ」
「でも何で娘さんが船長になってるんですかね。それに聞きましたか、船の名前」
「フォルコン号……確かにそう言ってたな」
もう一人、大柄なバクロは腹を抱えて蹲りながら、二人が話すのを聞いていたが。
「フォルコン船長……船の名前になっちまっただか……」
そう、搾り出すように呟く。
「ばっ……バッカヤロウ! フォルコン船長が死んじまうわけねーだろ!」
カートンは拳を振るって立ち上がる。
「あの人がサメなんかに喰われるわけがねえよ、フォルコン船長は勝てない博打はしないんだ、駄目な時はとにかくケツまくって逃げろ、俺達だってさんざん、そう叩き込まれて来たじゃねーか!」
―― ぐぐぅぅーっ
そのタイミングで、カートンの腹の虫が大きな声で鳴く。
「ったく、何言ってんだおめーはよ……」
「ご、ごめん兄貴」
カートンが決まりが悪そうに座りなおすと、寝そべっていたバクロも背中を丸めて地べたに座りなおす。
―― きゅるるるるーぅぅ
バクロの腹の虫も、負けじと鳴いている。
三人は少しの間静かにしていた。
ピロは立ち上がり、小屋の窓から近くの川に入れてある延縄を少し引いてみる。しかし何の手応えもない事を悟ると、元の通りに座る。
「兄貴ィ、やっぱりニックの叔父貴に聞きに行ってみませんか? あれからどうなったのか」
「今さらそんな事出来るか……あのとっつぁんは一緒にフォルコン船長を探して欲しいって言ってたのに、俺が断ったんだぞ」
三人はまた暫くの間、静かになる。
「な……なんだよ! 辛気くせえ面するんじゃねーよ! 俺達の冒険は、始まってもいねーんだぞ!」
カートンは再び立ち上がり、二人を順番に見渡す。
「俺達は、泰西洋を越えて、南大陸を回って、中太洋にも行って、悪い奴は懲らしめて、女の子達は助けて、ヒーローになるんだ! そうだろ!?」
「へへ、へ、そうだよな、兄貴」
「兄貴はフォルコン船長にも負けないヒーローになるんだ! ねえ!」
「俺だけじゃねーよ、お前らもなるんだよ! ハハハハ!」
三人はひとしきり、声を合わせて笑う。
三人はこの一年、人にごろつきと蔑まれ、泥水を啜って暮らしながらも、この笑いだけは欠かして来なかった。
しかし。
―― ぐぐぐぅぅ。きゅるるるるー
彼らの腹の虫は若さと気持ちだけではどうにも出来なかった。蓄えはとっくに使い果たし、売れそうな物は全て売り、借りられる金は全部借りて、残った物は玉の体と腹の虫、そして借金と借金取りに追われる日々だけである。
三人はまた、しばらく黙り込む。
次に口を開いたのは、やはり兄貴分のカートンだった。
「やっぱり、お前らだけでもニックの叔父貴に会って来いよ。あの人は優しいから飯くらい食わせてくれるだろ」
「兄貴は……行かないんですか」
ピロが顔を上げる。
「俺はとっつぁんに合わせる顔がねーよ。ビッグな船乗りになりてーんで、居なくなった船長を探す旅に付き合ってる暇は無ェ。俺は叔父貴に、はっきりそう言ったんだ。だけどそれはあくまで俺の意見であって、お前らの意見じゃなかった」
「ば、馬鹿にしないで下さいよ!」
カートンの言葉に、ピロは俄に激高し、立ち上がる。
「俺もバクロも、兄貴について来たんですよ!? それを何だよ、大人みてーなふりしやがって、俺も、バクロも! 兄貴と同じ意見だからついて来たんですよ!」
「よ、よせよピロ」
バクロは座ったまま手を伸ばしてピロの肩を抑える。カートンはまだ俯いたままだった。
「それとこれとは話が別だ。結局の所俺は折角ついて来てくれたお前らに好きなもんを腹一杯喰わせてやる事も出来ねえ……毎日、泥鮒とモロコシのお粥だけだ」
カートンはそこで顔を上げ、叫ぶ。
「おかしいだろう!? 前途有望で勤勉な食べ盛りの若者がよォ、何カ月も土の味のお粥しか食べてねえなんて! そんなんでどうやってメジャーになるんだよ! いいからお前ら、明日にでもニックの叔父貴に会って来い!」
「そ、そんなら兄貴も来ればいいじゃないか、一緒に叔父貴に御馳走になろう」
おっとりとしたバクロの問い掛けに、カートンは間を置かずに答える。
「うるせえ! 俺は行かねえ、お前ら二人で行って焼肉でも食って来いよ!」
「嫌だ、兄貴が行かないのに何で俺達だけ行くんだ、そ、その方がよっぽど恰好悪いや!」
「俺だってなあ、俺だって本当は少しだけ後悔してんだよッ! フォルコンさんを探しに行くのを、断った事をよッ!」
腕を掴もうとするバクロを振り払い、カートンは小屋の入り口の外へ出る。
「兄貴!」「兄貴ィ!」
「お前らだって、本当はあったんだろ、フォルコン船長を探しに行きたい気持ちも……」
ピロとバクロも、カートンに釣られて小屋から出て来る。
「そりゃあ俺達だって! 俺達が水夫になれたのはフォルコン船長のおかげだ!」
「お、おらみたいな鈍臭い人間でも、ヒーローになれるって、そんな事言ってくれたのはフォルコン船長だけだ」
カートンは二人の叫びを、背中で受け止める。ピロとバクロは顔を見合わせる……そして暫くの間、静寂が流れた後……カートンはようやく、口を開く。
「シェブルの裏通りの、どうしようもねえゴミ溜めみたいな路地裏でよォ。ガキ共にはバカにされて、大人達には顔を顰められて、くだらねえ事で喧嘩しちゃあ物は壊す、文字通りのクズそのものだった俺を、フォルコン船長は拾ってくれたんだ」
カートンは斜めに振り返り、二人の弟分に横顔を向ける。
「俺はその時、どう思ったと思う? ゴミの山に寝転ぶ俺を見下ろしたそのオッサンをな、俺は、クズに金を施して悦に入ろうとしているどこかの機嫌のいい旦那なんだと思った。もしくは社会の底辺に生きるゴミに有り難い説教を聞かせてくれようとしている金持ちの御坊様かなと」
そこまで言ってから、カートンは完全に二人の方に向き直り、肩を怒らせる。
「そこで俺は卑屈な笑いを浮かべたんだ。その時の俺は一文無しで他のクズ共に袋叩きにされた後で三日間何も食べてなかった。何でもいい。コインを恵んで貰う為なら何だってしてやる。旦那様、お恵みを下さい、そんな言葉が喉元まで出掛かったその時に!」
カートンは、目の前に他の不良共からさんざん殴る蹴るの暴行を受け鼻血を垂らしてゴミの山の中で蹲っていた、その時の自分が居るかのように……左手を差し出しながら、右手の親指を立てて、上に向ける。
「卑屈に笑う必要は無い、泣きたい時は泣けばいい、だけど俺について来れば、違う明日を見せてやる。俺と来いよ、お前を英雄にしてやる。その代わり約束しな少年。俺は必ず有名になるってな……フォルコン船長はそう言って笑ったんだ!」
そこまで言うとカートンは今度は身を屈め、その時の、ゴミ溜めの中からフォルコンの手を取り立ち上がろうとする自分の姿を演じる。
「俺は答えた! 有名になんて留まらねえ、俺は有名の上の、大物になってやると! 口元を歪めて静かに笑っていたフォルコン船長はそれを聞いて口を開いて大きく笑った! そして叫んだ! ハッハー、俺の目に狂いはない、こいつは大物なダイヤモンドの原石だァと!」
「兄貴ィ!!」
「兄貴ー!!」
そして恍惚とした三人の若者は、満天の星空に向かって拳を突き上げ、笑い、叫び、歌って踊る。
暫くの間。三人はそれまでの諍いや憤りも忘れ、踊り、歌い続けた。
やがて。踊るのをやめたカートンが、星空を見上げて声を張る。
「フォルコンさんは何かの理由があって自分から消えたんだ! あの人は本物の英雄だから、助けなんて必要としてない! そんなあの人を俺らが迷子の幼児みたいに探し歩いたって、あの人は喜ばない、そんな事より! 俺はあの人との約束を守りたい、俺は! 俺達は大物になるんだ! そうする事があの人に、フォルコン船長に対する最高の恩返しになるんだ、俺はそう思ってる!」
「そうだよ! 絶対にそうだ、やっぱり兄貴は最高だァーっ!」
「兄貴と一緒に大物になるんだ、それがフォルコンさんへの恩返しだ!」
三人はまた、歌い、踊り、夜空に向かって拳を突き上げ、叫ぶ。
「俺達は必ず成功する!」
「絶対に大物になるんだ!」
「大物になってフォルコン船長に恩返しするんだ!」
そんな風に、三人はこの一年夢ばかり見て、この、母国を遠く離れた港、ゼイトゥーンを這い回って来た。
「ちくしょう、夜中だってのに血が滾って眠れねえぜ」
「兄貴、狩りに行きましょう、ここんとこ泥鮒とモロコシのお粥しか食べてませんよ!」
「ウナギ狩りに行こう兄貴、今夜はおらも本気出すだ!」
そう言って三人は、歌い、踊りながら、小屋を離れてどこかへ駆けて行く。
そして小屋の周りは静かになった。少しの間、葦原に住む虫の音だけが響く。
それから。
―― ガサガサ……
葦原が揺れ、その合間から……一匹の、鉢割れ模様のぶち猫が現れる。その後ろからは、シャツにジャーキン、ズボンにブーツに剣帯を掛けた、銃士のような姿のアイビス人の小娘が……葦の茂みの間から、這い出して来て、小屋の前の空き地に、顔を突っ伏して蹲る。
「アーォ」
猫は、小屋の前で蹲って慟哭する少女の元に歩み寄り、その後頭部をぺしぺしと前脚で叩く。
しかし、猫に導かれるままこの葦原に忍び込んで来て、三人の若者の話を全部聞いてしまった少女は、嗚咽したまま、しばらく動かなかった。







