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猫「毎回付き合うと思うなよ。此度は御免蒙る」

ロイ爺を追い掛け、まーた船を飛び出したマリー。

いい加減鈴でもつけておいたらどうですかね。

 ロイ爺は大人の男としてはやや小柄でほっそりとした人で、服装も派手ではないので、本気でかくれんぼをされたら見つけるのは大変そうだ。

 しかしロイ爺は別に隠れてなどいなかった。港を離れて丘へと続く綺麗な道を、飄々(ひょうひょう)と歩いて行く……良かった、すぐ見つかったよ。



 農園や集落が点在する道をロイ爺は歩いて行く……人とれ違う事もそこそこ多く、皆さん気さくで明るい。


「やあ、こんにちは」

「こんにちは。この季節にしてはいい天気ですね」


 これは山賊なんか居ませんね。この辺りはヴィタリスやエテルナよりずっと景気が良さそうだし、困窮こんきゅうしている人も少なさそうだ。

 心配する事無かったわね。

 まあ折角来たんだから私ももう少し、この散歩を楽しんで行こうかしら。



 丘を越え、谷間を抜け、いくつかの集落を通り過ぎて、道は続く。

 本当に晴れて暖かい日で良かったなあ。この辺りは本当に冬は降水が多いらしく、道は結構ぬかるんでいるし、低い場所にはたくさんの水溜りが残っている。この服に着替えて来て良かった。

 ロイ爺はどこまで行くんだろう? 日帰りでも良かったと言うくらいだから、そんなに遠くじゃないんだと思ってたのに。



 結局、港から一時間半程歩いた所で、ロイ爺は街道を離れ、のどかな集落へと続く道の方に曲がって行く。


 私は街道の三叉路に立ち、腕組みをして思案する。


 私は形式上ロイ爺の上司でもある。上司がこれ以上勝手について行くのは、さすがに御節介おせっかいを超えて迷惑だよね……部下には部下のプライベートがあるのだ。

 護衛が必要な道にも見えなかったし、帰りも心配無さそうだ。ロイ爺に気づかれる前に、このまま黙って帰りますかね。


 ん? ロイ爺が誰かと話して……



「……今さらどの面下げてやって来たんだい!」


 私の船酔い知らずの魔法には、若干の地獄耳効果が、遠くの声が良く聞こえてしまう副作用がある。それで私の耳には聞こえてしまった。村に居た、ロイ爺と同じくらいの歳に見えるふくよかな女性が、ロイ爺にそんな罵声を浴びせるのを。


 ロイ爺の方は身振り手振りを加えて何か弁明しているようなのだが、こちらは声を控えているようで全く聞こえない。


「どうせ歳食って船から追い出されたんだろうよ! あんたなんか養おうって奴はね、ここには一人も居ないよ!」


 女の人は凄い剣幕でロイ爺にまくしたてる。ロイ爺はまだ何か一生懸命説明しようとしているのだが……女の人は身をひるがえし、ドタドタと走り去ってしまう。


 私は道の真ん中で硬直していた。何と言う事だ。他人のプライバシーも考えず黙ってついて来たせいで、私はとんでもない物を見てしまった。

 次にロイ爺が帰って来た時、私はどんな顔をして迎えればいいのだろう?


 肩を落とすロイ爺は、尚も村の方に歩いて行こうとする。そこへ今度は……30歳前後だろうか、村のおじさ、いやお兄さんが、納屋の角を曲がって、ロイ爺の居る所に駆け込んで来る。


「まっ、また来たのかアンタは! ここには来るなと言っただろう、アンタなんかなあ、親父でも何でもないんだからな!」


 ぎゃああああこの人の声も聞こえてしまったああ!?

 私は意味もなく近くの潅木の間に倒れるようにして転がり込む。何て事だ……何て事だ……


 ロイ爺は穏やかな老水夫だ。声を荒らげるような事も愚痴を言う事もまるでなく、一日一日を大事に生きている。冗談を言って笑う事もあれば、お酒を楽しむ事もあるが、人様に後ろ指を差されるような事は何もない、水夫には珍しい品行方正な人だ……私はそう思っていたのに、信じていたのに……この爺ちゃんも結局の所、中身は他の船乗り(ごろつき)と変わらなかったのか。私の父と、同じ人種だったのか……


「お袋もあの通り、迷惑してると言ってるじゃないか、さあ早く帰ってくれ、何? ……要らない、要らないよそんな物は!」


 ロイ爺はお兄さんの方に何か渡そうとしているのだが、お兄さんはそれを断り、何度もロイ爺の肩を突き飛ばしている。


 私は限界だった。あふれる涙がほほを伝い草むらに落ちる、景色がにじんで見えない。だけどもう駆け出さずにはいられない。

 あの優しいロイ爺が、何であんな風に扱われなきゃならないんだ。だけどロイ爺は船乗り(ごろつき)でもあるので、きっとあの親子に何か酷い事をしたのだろう。あのお兄さんとおばさんは顔がそっくりだ、きっと親子に違いない。


「頼むよ、どうかこれだけでも受け取ってはくれんかね、わしはもうここに戻れるかどうか解らんから」

「要らないと言ってるだろう! アンタなんか知らないよ、俺に親父は居ない!」


「もうやめて! もうやめてロイ爺!」


 私は草地を走りながら絶叫していた。


「せっ、船長!?」

「えっ……」


 ロイ爺は駆け寄る私を見て驚きに目を見開く。お兄さんも突然現れた船長という名の見知らぬ小娘を見てポカンと口を開ける。


 そこへさらに。


「まだ居るのかいこのやくざ者が! これでもくらえー!」

「ぎゃ、ぎゃ、ぎゃあああ!!」


 あのおばさんが戻って来た、そしてあの人が手にしているのは間違いない、肥えおけ柄杓ひしゃくである! 私は全力でロイ爺の手を引く!!


「何故船長がここに」「いいから、ぎゃぎゃああ!」「お袋!? や、やめろ」

「ええい、このっ、このっ、このーッ!! 喰らえっ、喰らえーッ!!」


 ぶち切れたおばさんは肥えおけに汲んで来た肥やしを柄杓ひしゃくでばら撒く。私に出来る事は、ロイ爺の手を握り振り返らずに走る事だけだった。

 背後ではあのお兄さんの方も、ぶち切れた母親の攻撃から逃げ回っていたようである。



   ◇◇◇



 おばさんは結構な距離を追い掛けて来たので、私とロイ爺は丘の向こうまで逃げなくてはならなかった。


「か、勘弁してくれ、ワシもう、60を過ぎとるんじゃ……こんな走り方をしたら、明日にもお迎えが来るわい……」

「そういうたちの悪い冗談はやめてよ!」


 私はそう怒ってから、地面に飛びつく。


「ごめんなさい。勝手について来てしまいました。ロイ爺が山賊にでも遭ったら嫌だと思って」

「いちいち、土下座せんでくれ……はあ……とんでもない所を見られてしもうたのう……」


 私はそのまま、目を細めて顔を上げる。


「それで。あの人達に何をしたのロイ爺」

「マリーちゃんにそういう目で見られるのは、本当に辛い……まあワシも、生まれた時からお爺さんだった訳じゃ無いんじゃ。昔は色々な事があってのう」


 私もロイ爺も幸い肥え桶の中身をくらう事はなかったが、ロイ爺の精神的ダメージはかなり深いように見えた。まあ、少なくとも私がロイ爺を責めるような事は、これ以上無いようにしたい……それに。


「ロイ爺、あのお兄さんに何か渡そうとしてたよね。もしかして……老後のたくわえを残らず差し出そうとしたの?」

「船長こそたちの悪い冗談はやめてくれ……少しじゃ、少し。船長のおかげでこの半年はたくさん給料をいただけたからの、たまには寄って、少しだけお裾分けでもしようと思ったんじゃ」


 ロイ爺はそう言って笑ってみせるけど……そうじゃないと思う。ロイ爺がここに来たのは、私が新世界へ行きたいと言い出したからだ……ていうか、さっきはっきり、ロイ爺自身が言うのを聞いてしまったじゃないか。


―― わしはもうここに戻れるかどうか解らんから


 私は自分が若いので、どんな遠くに行っても、いつかまたヴィタリスに帰る事も出来るだろうと、心のどこかで思っている。

 だけど残念ながら人は歳を取る。コンスタンス婆ちゃんだって、いつまでも健康なまま、村で私と一緒に暮らすという事は出来なかった。

 こんな事を考えるのは不謹慎で不人情かもしれないけれど、ロイ爺ちゃんだって今から30年も40年も元気で船乗りを続ける事は出来ないだろう。いつかは船を降りなくてはならない時が来る。

 だけどその時、船が新世界に居たら? 船を降りる理由にもよるが、果たしてこの港に、カンパイーニャに帰れたかどうか……


 思いつきで「新世界に行こう」などと言い出したせいで、私はロイ爺に、自分はもう故郷に戻れないかもしれないという覚悟までさせてしまったのだ。


 ロイ爺とあの人達の間に何があったのかは解らない。見ての通り、あの人達はロイ爺を歓迎していないし、お金を受け取る事すら拒否してしまった。それには相当な理由があるのだと思う。

 だけどロイ爺は会いたかったのだ。もしかしたらこれが今生の別れとなるかもしれない、かけがえのない家族達に。

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[良い点] ロイ爺、悲しい…… [気になる点] 肥しをばらまくのを想像したら楽しいわ。 [一言] まるで我が家のようです。
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