猫「まーたトラブルか。少々猫の手を借り過ぎではないのか、お前達は」
北緯16度の砂漠の港町で借金取りらしき者に追われて逃げ回っていたのは、マリーの知らない、リトルマリー号の元水夫だった。
八か月前、私がレッドポーチに出向いた時のリトルマリー号の乗組員は四人だった。その時の私は、こんな小さな船ならそんなものかと思っていた。
だけど本当はもっと居たのだ。カートン、ピロ、バクロ。リトルマリー号には他にも三人の若い水夫が乗っていた。
「何でリトルマリー号の元水夫がこの港で燻ってるんですか。そもそもあの人達はどうしてリトルマリー号を降りたの?」
「カートンは元々、新世界で一山当てる事を夢見ていて……リトルマリー号に乗っていたのも、フォルコンがあいつらをそう焚きつけていたからだったんだ」
俺の船に乗っていれば泰西洋を越える航海術も海賊に負けない戦闘術も地球上どこでも通用する商売術も教えてやる、その代わり給料は安いぞ、ハッハッハー。父はそう言って、野心に燃える若者達をリトルマリー号に迎え入れた……それが二年前の事。
そして父は若者達を一年間安月給で扱き使った挙句、この辺りの海にパンツ一丁で飛び込んで消えた。
私はその現場に行ってみたい。行ってそこにウヨウヨ居るというサメに説教をしたい。何故そのパンツ一丁の男を捕まえて食べなかったのかと問い詰めたい。
「この機会に言っておくけど、リトルマリー号に乗っていた水夫は俺達だけじゃないし、あいつらだけでもないぞ。サウロさんのように引退した人も居るし、短い間だけ稼いで行った奴や、大きな船に移籍した奴、自分の船を得て独立して行った奴も居るんだ。そいつらがその後どうなったかなんて俺達も知らないし、向こうも知らないよ。勿論フォルコンだって気にしてなかった」
一年前、ゼイトゥーンに上陸したリトルマリー号の乗組員達は、慎重にフォルコン船長の行方を捜す事になった。あまり大っぴらに声を上げるとゼイトゥーンからも追放され兼ねない。しかし全員がその案に賛成した訳ではなかった。
「カートン達はここで袂を分かつ事になった。新世界か中太洋に行く船を探して、乗せて貰うと」
不精ひげは三人に、せめてロングストーンに戻るまではリトルマリー号に残るよう説得をした。遠洋航海をする船はゼイトゥーンには寄らないし、リトルマリー号関係者はタルカシュコーンには入れないのだ。
しかし三人の、いやカートンの決意は固かった。今すぐリトルマリーから降りる。彼等はその選択肢を選んだ。
私はフォルコン号の会食室で、不精ひげから詳しい話を聞いた。周りにはウラドとカイヴァーン、アイリさんも居る。
「なるほど……ありがとう不精ひげ。よく解りました」
「解ってくれたか? あいつらは自分の意志でリトルマリー号を離れたんだ、だから船長が、マリー船長が気にするような事はないよ」
「念を押す必要はありません。ロイ爺から聞いたと思いますけど! 私は、父の尻拭いは絶対に致しません! 昔の乗組員の事なんて知りませんよ、私は私、船だってもうリトルマリー号じゃありませんし、今は首長のお使いの途中ですから!」
私はそこまで言って、タンカードの薄めた白ワインを一気に飲み干し、会食室のテーブルに音高く置く。
―― ターン!
「私もこの機会に言っておきますけど、皆さんも私に対して必要以上に義理立てするのはやめて下さいね。父の事だってあんなに何カ月も探す事はありませんでした。いいですか皆さん。今後万が一私が黙って居なくなるような事があっても、皆さんはロイ船長の元、気にせず商売を続けて下さい」
「貴女今まで何回黙って居なくなったと思ってるのよ」
―― ペコッ
アイリさんは、空のタンカードで私の空の頭を叩いた。
◇◇◇
荷下ろしは夕方には終わった。
「ここを出たら次はタルカシュコーンです。書類を届けるだけだから大丈夫だとは思いますけど、一応、少し疲れをとっておきましょう」
「えっ……泊まるの? 今からじゃ宿も取れないよ、北大陸の都会とは違うんだから」
アレクが驚いた顔をする……そうだよなあ。私、夕方には抜錨するって言ってたもんなあ、今朝は。
「じゃあご飯だけ町でいただきますかね、たまには全員で行きましょう」
カイヴァーンに代表して注文して貰った料理は、米と魚の盛り合わせだった。野菜もふんだんに使われている……そして何とも香ばしい香りがする。
「パエリアと似たようなものかしら?」
「チェブジェンっていうんだって。イカやタコは入ってないと思うよ」
大鍋に盛られて出て来た料理を、私とアレクで一人ずつの皿に盛りつけて渡して行く。砂漠と言えど夜は涼しいし、暖かい料理は有難い。
この米は魚の出汁で炊かれているのだろうか? 何という豊かな味わいだろう。
「美味しいし、暖まるわぁ……」
「米もいいもんだよね。麦にない甘さがある」
「野菜と魚の旨味が染みてますねェ……アイリさん今度船でも作って下さいよ」
「これ相当野菜の味と香辛料のバランスが複雑よ、見様見真似で再現出来るかしら」
ぶち君も煮冷ました魚のアラをガリガリと噛んでいる。
それから……不精ひげは随分急いで自分のチェブジェンを平らげた。
「ごちそうさま! 折角の陸だ、俺はもう少し羽根を伸ばさせて貰うわ、明日の朝には戻るから」
「私もこれで結構、市場で私用の買い物をして行くので気にしないでくれ」
続いてウラドも立ち上がる……チェブジェンは私達七人で食べるには少し少ないように見えるし、気を遣ってるのかしら?
「おかわりはいいの?」
「わしも、ご馳走さま。少し散歩をして帰ろうかの」
ロイ爺も立ち上がる……チェブジェン、まだありますよ? 美味しいのに。
その次に立ち上がったのはアレクだった。
「あっ! 市場に忘れ物をしちゃった! ごめん、残りは皆にあげる、それじゃお先に」
◇◇◇
「皆ごめん。船長にバレちゃいました」
「ええ……」「ああ……」「うむ……」
私はアレクの後ろ襟を掴んだまま、目を細めていた。路地裏でアレクが来るのを待っていた不精ひげとロイ爺とウラドは、揃って俯く。
「太っちょがあんな美味しいご飯、おかわりもせず飛び出して行く訳がないじゃない。それで? 何をしに行くつもりだったんですか。父を探す気ですか? それともカートンさん達を?」
「あの……わしらも悪気はなかったんじゃ、ただどうしても、船長が絡むと話が大きくなるような気がしてのう」
「言い訳は結構! もし父の事なら本当にやめて下さい、あれは死んだんです!」
畜生。涙が出そうだ……だけど私はここを探してもあの男は居ないという事を知っている。いい加減この四人には話すべきか? それは出来ない。それじゃ船で秘密を知らないのはアイリさんだけになってしまう。ではアイリさんにも話すか? それだけは……それだけは絶対に出来ない……
「解ったよ船長……正直言うとフォルコンさんの事も考えていた。一年前に協力してくれた人達も居るから、そういう人達を訪ねて回るつもりだった。だけど本題はカートン達だ……あいつらいい奴なんだけど、ちょっと夢見がちな所があってな」
「彼等も大人なら、自分の面倒は自分で見るべきだとは思うが……カートンがようやく20歳になった所で、他の二人はそれより年下なのだ、そんな若者が異国の地で二進も三進も行かなくなっているのなら、少し手を貸してやりたいと思うのだ」
そして、ほーら見ろ。船を降りた奴の事なんか知らない? 何言ってんですか、ろくに会った事も無い小娘の為に失業してまで船を売ろうとしてたお人好し共め。
「助けるつもりなら最初からそう言えばいいじゃん! とんだ時間の無駄ですよ全く! 私も昼間三人を見てるし、カイヴァーンも見てますよ、アイリさんに留守番を頼んで皆で探しに行きましょう!」
「悪かったのう船長……じゃがわしらがこうしたのは、マリーちゃんがフォルコンの尻拭いだけは絶対にしないと言い出したからで」
「こっ、これは父の悪行とは関係ありません! 貴方達四人の仲間だからするんです、私はぜーったいに、父の尻拭いはしませんよ!」







