マカーティ「とっとと檣楼に登れなめくじかてめえは!」ジュリアン「ノー、サー!(泣)」
ジュリアン君、一人前の男になりたいと意気込んだのはいいんですが……とんでもない船に乗り込んでしまいました。
マリーの一人称に戻ります。
ヤシュム港から南西へ、海岸線からあまり離れずに進む。
陸地には肥沃な森が、草原が、農地が広がっている。この辺りの気候というのはヴィタリスあたりとそこまで変わらないのだと思う。
フォルコン号は快調に進む。
出港から丸一日程進むと多少陸地の雰囲気が変わって来て、岩肌が見える場所が増え始める。マジュド国の南には広大なギガント山脈があり、それは北東方向へ遥か彼方、内海中南部のナルゲスの方まで続いているそうだ。
我々北大陸の人間が読む事が出来る地理の本には、その山脈の向こう側の事はほとんど載ってない。一つだけ言えるのは、そこにはギガント山脈よりさらに広大な、ソヘイラ砂漠があるという事だ。
さらに翌日になると、洋上からでもギガント山脈に連なる低い山のいくつかが確認出来るようになる……人里を見る事もだんだん少なくなって来た。
「ファラアラは次の岬を回った所だったね。ラクダのタジン鍋が出て来た所だ」
アレクが測量をしながらそう言った。
ファラアラはヤシュムから海岸沿いに350km程進んだ場所にある、ギガント山脈と泰西洋が交差する土地だ。周辺の野山は乾燥した岩肌と灌木に囲まれているのだが、ファラアラのある谷は山脈から続く水の恵みによって濃い緑に覆われている。
◇◇◇
半荷でいいと言ったのに、アレクはモロコシなどの穀物とストークの干鰯をたっぷりと積んで来た。
「マリー・パスファインダーですわよ! 四か月のお久し振りですのよ!」
私はお姫マリーを着て貨物用ボートでどーんと上陸する。
ここは前に来た時、父フォルコンの消息を知りたくて穀物や雑貨を贈ったら、大変に豪勢な宴席で返り討ちにされた曰くつきの村なのだ。ラクダのタジン鍋、クスクス、アーモンドのパイ……美味い物ばかりだった。
しかし、村の人達の様子は以前とは違っていた。
「船長……本当に戻って来たのか?」
「ダルフィーンに行く途中に、わざわざ寄ってくれたのか?」
村人達は、信じられないという顔をして恐る恐る近づいて来る。
自信の無くなった私は、小さい声でもう一度言ってみる。
「マ……マリー・パスファインダーですわよ?」
だけど村人達は、私を忘れた訳ではなかった。
「マリー船長だァァ! マリー船長が来たぞ、宴の準備だァァ!」
「近在の集落に触れ回れ、マリー船長が来たぞォォ!」
◇◇◇
海賊ゲスピノッサは一時、南大陸中西部沿岸に広い影響力を持っていたそうだ。奴等はファラアラの辺りまで来る事は無かったが、村人達はその噂は聞き、恐れていた。
「以前からゲスピノッサの一味に襲われた船が、命からがらこの村に辿り着くなんて事はあったんだ」
「アイビス海軍の討伐隊も奴等に負けたって噂が広がってからは、大陸沿いを通る船がますます少なくなって、ここも色々不自由をしていた」
「だけどあんた! あんたがそのゲスピノッサをとっ捕まえてダルフィーンのコルジア総督に突き出したって言うじゃないか!」
いやまあゲスピノッサ一味を倒したのはほぼ、150年前に沈んだ女海賊トゥーヴァー船長とその仲間達、幽霊船ハバリーナ号なんだけど(第二作)……この人達には刺激が強過ぎるような気もするので、その話はやめておく。
こういう村では水夫狩りなどある訳もなく、船に留守番も必要なさそうだ。私は猫も含めた全員に上陸を促す。
「大豪傑マリー船長の一行万歳!」
「ファラアラ村をよく覚えていてくれたな!」
「ラクダのタジン鍋が出来たぞー!」
私達はこの村に寄った後でゲスピノッサを退治しに行った豪傑として、大変な歓待を受ける事になった。
村人は日中は酒を飲まないが日が落ちたら普通に飲む。私は本格的な酒盛りが始まる前に宴席を抜け出す。
私がこの村に来たのは私掠船ごっこの自慢の為ではない。私の数少ない同性同世代の友達に会いに来たのだ。
この村に住むロヤーちゃんは私と同じ年生まれで、私と同じ孤児で、私と同じような小さな家に一人で住み、私と同じように小さな畑を耕したり村の色々な仕事を手伝ったりして暮らしている女の子だ。私と違うのは本業が海女だという事くらいだ。それから二人の男性に求婚されて困っているという事。
私は以前泊めてもらったロヤーちゃんの家に行く。しかし家には誰も居なかった、留守というより生活感が無い……これはつまり、彼女は結婚して夫の家に移ったという事だろうか?
そういう事なら仕方ないし、それでいいんだけど……私は辺りを見回す。周りには何件か家があるが、尋ねていいものだろうか? そんな事を考えていると。
「姉ちゃん! 良かった、まだ居た!」
宴会場となった村一番の大きな家の方から、カイヴァーンが走って来る。
「やれやれ、また一人でブレイビスに行ったのかと思った」
「無茶苦茶を言わないでよ、そんな訳ないでしょ」
「その無茶苦茶をやったのが姉ちゃんだろ!」
「す、すんません……」
私は自分が尋ねて来た家の事を、カイヴァーンに話す。
「じゃあ宴会場に戻って村の大人に聞いたらいいじゃないか、むしろ最初から聞けば良かったのに」
「ロヤーちゃんを巻き込みたくないのよ、私がロヤーちゃんちに行くのにゾロゾロついて来られても困るし」
そういう訳で私は近所の家に聞き込みに行く。私のニスル語が怪しいのと、この辺りの言葉はニスル語とも少し違うのともあるので、会話はカイヴァーンに通訳して貰った。
「その子はやっぱりお嫁に行ったんだって。だけど相手はこの村の男じゃないらしい」
「ええっ!? ちょっと待って、ロヤーちゃんは同じくらい仲良しの男の子二人から求婚されてたって聞きましたよ!?」
隣の家のお婆さんの話によれば、ロヤーちゃんは確かに幼馴染の二人の男の子から求婚されて困っていたが、そのどちらに決めるよりも前に、全く別の、隊商を率いる男に求婚され、応じたのだという。
「ええーっ!? 本当に三人目の男が現れたんですか!?」
「何の話なの姉ちゃん」
ロヤーちゃんは言っていた。幼馴染二人のうち一人に決めるのは辛いと。どちらも同じくらい仲良しで、大切な友達なのだと。彼女自身はどちらを選んでも後悔しない自信があるが、選ばなかった方についてはきっと後悔すると。そして、三人から一人選ぶのなら楽なのにと。私もそれは何となく解るような気がしたので、同調して笑った。
「じゃあ、ロヤーちゃんはもうこの村には居ないんですか?」
広大なギガント山脈やソヘイラ砂漠を越えて品物を運ぶ陸の商人、隊商は船乗り同様、一年中旅をしているのだろう。隊商の男に求婚されてそれに応じたという事は、ロヤーちゃんも隊商に加わったという事なのか?
カイヴァーンは隣家のお婆さんとしばらく話し込んでいた。
「姉ちゃん、このお婆さんは大反対したんだってさ」
「……どうして?」
「その隊商を率いる男は、見た目ばかりで頭は空っぽの、ただ女好きなだけの男に見えたんだって。だけどロヤーさんは本当に悩んでた。彼女に求婚してた村の二人の男は友達同士だったのに、彼女を巡って武器を取っての喧嘩までしてしまったらしい……ロヤーさんが隊商の男の求婚を受けたのは、幼馴染二人の喧嘩を止める為だったんだって……このお婆さんは言ってる」