コンドル「ぐぉぉおー。ンゴゴゴ……んがあああー……ZZZ」
またちょっと三人称ステージを挟ませてください、マリーとフォルコン号がヤシュムを離れた頃に、別の場所で起きた出来事です。
ロングストーンから、一隻のピンネース船が離れて行く。水と食料の補給を終えた南レイガーラント船籍の商船、ヒュッツポット号は帆を張り増し、南西へと針路を変える。
「南東……9時の風ってとこか。まあまあだな」
ヒュッツポット号の積荷はいくらかの北大陸製の刀剣や銃砲、それに申し訳程度のオリーブ油くらいで、喫水は浅くなっていた。程よい風を受け、船は快調に速度を増す。
「各檣楼員、一人ずつ減らせ。先は長いからな、力をとっておくんだ」
ロングストーンの大きな岩山も、次第に遠くなって行く。
ここは海の中でも特に通航量の多い所で、内海へ行き来する船、北洋へ向かう船、南大陸周航へ向かう船、新世界へ向かう船、大小様々な船が交差する場所だ。ヒュッツポット号は他の船から十分な距離が取れるよう、用心して舵を切って行く。
そんな中。
「あっ……おい、何だこいつは!?」
下層甲板で、一人の水夫が怒声を上げる。
「どうした? ああっ!」「そっちへ行ったぞ!」「待てこのガキ!」
怒声は休憩していた他の水夫達にも伝染し、ドタバタと走り回る音もする。
「下甲板! 何だ! どうした!?」
「野郎! 捕まえたぞ!」「上甲板! 密航です、密航者が居やがりました!」
やがて両脇を水夫に抱えられ、一人の少年が甲板に引き摺り出されて来た。見た所、10歳にも達して居ないような子供である。
「何だ、チビじゃねえか……かくれんぼでもしていて紛れこんだのか?」
甲板に居た、自身もあまり背の高くない、水夫達のリーダーらしき若い男が腕組みをして少年の前に立つ。
「……あ、あの……」
少年は若い男を見上げ、ゴクリと息を飲む。何かを言おうとするのだが、声も体も震えてしまい、うまく言葉が出ない。
「何だあ? ビビッてんのかお前? ロングストーンから乗り込んだのか。それなのにもう母ちゃんのおっぱいが恋しくなったか? しょうがねえガキだな! ハハハハ! いや、笑いごとじゃねえ」
若い男は一瞬笑う。水夫達も笑おうとしたが、男がすぐに真顔に戻ったのを見て笑うのをやめる。
「クソッたれが……仕方ねえ、そのへんの漁船に声を掛けてやれ。ロングストーン側に戻るかどうか、迷子を一人乗せてくれるか聞いてみるんだ」
「……へえ」「おーい檣楼、そのへんの漁船に……」
そして若い男の指示で、水夫達が檣楼員に声を掛けようとした、その時。
「迷子なんかじゃねえ! おいらはジュリアン、水夫見習いだ!」
少年は、そう叫んだ。
若い男は少年、ジュリアンに背中を向けたまま立ち止まる。
「水夫見習いの前はロングストーンで溝浚いの仕事をしていた、仕事がイヤになったわけじゃないけど、どんなに頑張っても月に銀貨30枚までしか貰えないんで辞めた、おいら、一人前の男になりたいんだ! せ、船長さん! おいらをこの船で雇ってくれ!」
若い男は、ピクリと肩を震わせただけだった。
代わりに周りの水夫が口を開く。
「水夫見習いだァ? お前みたいなチビが? あのなァ、見習いだってガキに勤まるもんじゃねえんだ、第一お前、歳はいくつだ、9歳とかそんくらいだろ」
「きゅっ、9歳はあんまりだ、おいらは12歳だ、背丈だって今から伸びる!」
「12歳だって!?」
水夫達は今度は我慢出来ずに笑う。ジュリアンは12歳にしてはだいぶ背が低く、またかなりの童顔だった。
「わははは」「12歳には見えねえなあ!」
嘲笑う水夫達を見つめ、ジュリアンはじっと耐えていた。
「そのへんでいいだろう。俺も自分の身長があまり高くない事は気にしてるんだ」
若い男がジュリアンに背を向けたままそう呟くと、水夫達はピタリと笑うのをやめる。
「船長さん……お願いします、どうかおいらを」
「父ちゃんや母ちゃんはどうした。ロングストーンに家族は居るのか」
「……姉ちゃんが、一人だけ」
若い男はそこで突然振り返り、ジュリアンに顔を近づける。
「姉ちゃんだと? 姉ちゃんは何歳だ? お前に似てるのか?」
「ね……姉ちゃんは」
「どうなんだ!? 似てるのか!?」
「はっ……はいッ! でも……」
ジュリアンは近所の人から、よく姉に似てると言われていた。アイビスでもロングストーンでも言われたが、それはジュリアン少年にとっては恥ずかしい事だった。彼は美人の姉に似た男になりたいのではない、男らしい男になりたいのだ。
しかし若い男は尚も食い下がる。
「それで歳は!? 離れているんだよな、そうだろ!? 20歳くらいか?」
「い、いいえ……2つ上です……」
若い男はそれを聞いて眉を顰め、腕組みをして天を仰ぎ、小首を傾げる。
「14歳かあ……14歳……うーん……」
そんな若い男を見て水夫達はヒソ、ヒソと、二、三、ささやき合う。
「あの、それでおいらは……」
「……それで。てめえはそのたった一人の姉ちゃんを置いて何処へ行こうってんだ。この船の行き先がどこだか知ってんのか」
若い男は再びジュリアンに背中を向ける。
「行き先は……どこでもいい! おいら、一人前の男になるまで姉ちゃんの元には戻らないって決めたんだ!」
「姉ちゃんは一人にして大丈夫なのかよ」
「姉ちゃんは……海運会社で算盤仕事をしてるから……大丈夫だ」
ジュリアンの語尾が濁る。本当は姉の事は何よりも心配なのだ。だけど、まずは自分が一刻も早く一人前の男にならなければ、姉を守る事だって出来ない。ジュリアンはそういう覚悟をして、船乗りになる事を決めた。
「御願いします!」
ジュリアンは両脇を固める水夫の手をすり抜け、甲板に両手と両膝をついた。
「おいらをこの船の見習いにして下さい! おいらチビだから、他の船の船長達は相手にしてくれなかったけど、根性なら他の12歳には負けません! 船長さん! おいら何でもしますから、どうかこの船に置いて下さい!」
そこまで言ってジュリアンは、音を立てて甲板に頭を打ち付けた。
「なあ、坊主」
船長と呼ばれた若い男は、ジュリアンに背を向けたまま口を開く。
「俺はつい最近、ある男に言われたんだ。土下座っつーのは軽々しくやっちゃいけねえってな。やられた方も迷惑すんだよ、そういうのはよォ……」
「ご……ごめんなさい!」
―― ゴン
ジュリアンは再び額で甲板を打つ。若い男は溜息をつく。
「それに、何でもするなんて無闇に言うもんじゃあねえ。それでお前、何でこの船を選んだんだ? 俺の顔が女子供にも優しそうに見えたからか?」
「い、いいえ……南レイガーラントの旗が見えたから……レイガーラントの船には色んな国の人が乗ってるから、おいらも雇ってもらえるかもしれないって思って」
「そうか……そいつは気の毒になあ……」
「……え?」
若い男は。狼のような風貌に、残忍な笑みを浮かべて振り向いた。
「坊主、残念だが南レイガーラントの商船ヒュッツポット号ってのは真っ赤な嘘でよ。この船はな……本当は無国籍の海賊船、ストームブリンガー号だ」
「えっ……ええええっ!?」
ジュリアンは跳ね起きて後ずさりしようとしたが、若い男はたちまちジュリアンの奥襟を捕まえてしまった。
「俺はレイヴン海軍の裏切り者、船長、マイルズ・マカーティ。最近ブレイビスで死刑判決を受けたんだが、昔の仲間が逃がしてくれてな、断頭台に首を載せられた所からここまで生き延びて来た、筋金入りの極悪人よ」
「ひいっ、ひっ、ひいいい!」
狼は、いや若い男マカーティは牙を剥いて笑う。ジュリアンは真っ青に蒼ざめ、震え上がり、涙ぐむ。
そこへ。
「おい! また船長って聞こえたぞふざけんなァァ!! 何の騒ぎだよこれは、俺の船なんだからちゃんと俺に報告しに来いよ!」
船尾の部屋からドスドスと、酷く肥満した男が飛び出して来る。
「それで何だ? この小僧は」
「密航者です親分、この船で働きたいんだそうで」
別の水夫が肥満男に説明する間、ジュリアンは小刻みに首を振っていた。彼は船乗りになりたい、一人前の男になりたいとは思っていたが、海賊になりたいとは少しも思っていなかった。
「俺達の正体を知ったからには、もう漁船に乗せて返してやる訳にはいかねえなあ……姉ちゃんに心の中でさようならを言いな! ジュリアン、お望み通りてめえが一人前の男になれるよう、俺達が鍛えてやろう」
マカーティは狼のように残忍な笑みを浮かべたまま、ジュリアンを見下ろして舌なめずりをする。他の水夫達も同じように、ジュリアンを取り囲んで腕組みをして不気味に笑う。
「ま……仕方ねえなそりゃ。ジュリアン! この船の船長はこの俺、通称機械音痴のロブただ一人だからな! おーいオロフ、こいつにハンモックと毛布を見繕ってやってくれー」
「へーい」
肥満した男、ロブ船長はストーク人水夫にそう一声掛けると、下層甲板の会食室へと降りて行く。