タイニャック「ヒエッ、プシィィイ!」オリオン「うわっ、くしゃみをする時は横を向いて下さいよ艦長」
ラランジェに集う運命の歯車……運命の女イルミナをフレデリクに奪われたマカーティ、レイヴンに追われながらゲスピノッサと決闘しようとしている愛娘を探していたもののアイリに会う訳にはいかないフォルコン、ゲスピノッサからラランジェを守りつつジュリアンを連れて帰りたいマリー、そしてマリーに殺されたくないゲスピノッサ。
そんな焦点となったラランジェには、アイビス王国が派遣した領事が居ます。名前はプレドラン。クヌトラ王子が自立するまでは、事実上ラランジェの最高権力者だった人です。
フォルコン号はラランジェ港の中央波止場から少し離れたラグーンの岸辺に停泊していた。ジャッカス号もすぐ隣に泊めている、まるでフォルコン号左舷の偽砲列を衆目から隠すように。
マリーはそこに一人で駆け戻って来た。船長Zは先ほどからそこで待っていた。
「姐さんッ、この金はどうしたらいいんですか!」
「アンタまだ居たの? その金を持って逃げれば良かったのに。アタシらももうここを離れますわ」
「ゲスピノッサが姐さんに差し出した金をあたくしが持って逃げられるわけないでしょう!? ちょっと! この金を持ってって下さいよ!」
Zの抗議を無視し、マリーは岸辺に泊めてある小型ボートに飛び乗ろうとする。そこへ。
「待てェェェえい!!」
少し色あせた赤いプールポワンを着た細長い男が駆け込んで来て、マリーの前に立ち塞がる。
「ヒッ!? な、何よアンタ」
「ハァ、ハァ……何よアンタではなーい! マリー・パスファインダー、お前は何故私をずーっと無視するのだ!? この私が! アイビス王国の勅任ラランジェ領事、プレドラン卿であるぞ!」
マリーはまばたきを一つすると、振り向いてZの方を見る。Zは知らないというふうに被りを振る。
「あいや、待て、待てェェェい! 聞こえなかったのか! 私は、あの、アンブロワーズ・アルセーヌ・ド・アイビス国王陛下直々の勅任を受けた、ラランジェにおけるアイビス王国の権益の最高責任者なのだ!」
「そうですかプレドラン卿、異国でのお勤めご苦労様です、故郷はどちらですか」
「えっ、あー、私の故郷はミレヨン郊外の小さな荘園、父は領主とは名ばかりの貧乏貴族で」
「それでは何かと御入用の事もありましょう、どうぞ御仕事にお役立て下さい」
―― ずしっ
マリーは無表情でそう言ってZから背負い袋を受け取りプレドランに押し付ける。押し付けられたプレドランは、その袋の重さによろめく。
そしてマリーは構わずボートに飛び乗ろうとするが、プレドランは袋を放り出しボートの舫い綱に飛びつく。
「適当に話を済ますなァァ!」
「うわああ!?」
驚いたマリーがボートから飛び退くと、プレドランは立ち上がり胸を張る。
「お前らが力ずくで連れ去ったクヌトラ王子の母親イヌバ、あれをオリッドに言って別荘に隔離し贅沢漬けにしていたのは私だ! 私はこの地のラゴンバを支配する為、あの親子を利用していたのだフハハハハ! 私はアイビス王国のラランジェ支配の重要人物なのだぞ!? ハーッハッハッハ!」
マリーは薄目を開いて、プレドランが高笑いするのをただ見ていた。領事館から駆け通して来た直後でだんだん息苦しくなって来たプレドランは、マリーを何度かチラ見した上で笑うのを止める。
「アンタ大丈夫? そんな事を言ってる所を今の王子の支持者に聞かれたら大変な事になるわよ」
「えっ……ああ、いや、その……待て待て! それを聞きたいのは私の方だ! 私が折角そうしてラゴンバ共を飼い慣らそうとしていたのに、何だってお前らはイヌバを連れ去り、奴らを焚きつけたのだ!?」
プレドランはそう言って、マリーに指を突きつける。しかし。
「じゃあアンタ、これからどうやってアンタのラランジェを守りますの? ザナドゥが台頭して来た所にゲスピノッサまで戻って来て海賊共の勢いは増すばかりですわ、アンタはその間何をしてましたの? アイビス海軍に増援でも求めてらっしゃったの?」
マリーはそう言って真っ直ぐにプレドランに指を突きつけ返す。気圧されたプレドランは半歩あとずさりする。
「かつて王国はタイニャック提督に十分な戦力を預けて送り出しましたのよ、その時アンタは何をしてましたの? 援軍を呼んだからにはちゃんと索敵や通信に協力したんでしょうね? タイニャック提督が敗北したのは、ゲスピノッサの居所も知らされず現地の海域に詳しい案内人も出して貰えなかったからですわ!」
プレドランは真っ青になった。やはりマリー・パスファインダーは他の船乗り共の言う通り、本物の大海賊なのか? 見た目は13か14歳くらいの小娘なのに、ラランジェではよほどの事情通以外知らないはずの、ゲスピノッサに敗北したアイビス海軍の提督の名前とその敗因までまで知っているというのか。
マリーはプレドランに指を突きつけたまま大股に踏み出して来る。プレドランは慌てて後ずさりするが、マリーは尚も追って来る。
「アンタは何故、援軍を呼びながらタイニャック提督に協力しなかったの?」
「待て待て待ってくれ、誤解だッ」
「誤解? それはどうかな。もしかすると領事殿は……ゲスピノッサの方に協力していたんじゃないか?」
空気を読んだZは、腕組みをして横目で領事を睨みそう追い討ちを掛ける。
その辺に積んである空き樽の山に追い詰められたプレドランは、涙目で訴える。
「違うッ!! 信じてくれぇ、私は本当に圧力を強めて来るゲスピノッサを何とかしたかったんだ、だけど私には自由に動かせる船もなくて、協力しようにも出来なかった、そもそも、私はずっと救援を求めていたのに本国は何年も救援してくれなかった、だからその、あの、」
「……ドパルドン卿をご存知かしら? アイビスの第一海軍卿ですわ。私をここに派遣したのがドパルドン卿だと申し上げたら、アンタ信じる?」
調子に乗ったマリーは、戯れにそんな嘘をつく。
しかし次の瞬間、プレドランがかましたのは。
「助けて下さい!!」
土下座だった。
「領事と言われても私に動かせるのは僅かな陸兵と小型船数隻、これでゲスピノッサやザナドゥと渡り合うのは無理です、パスファインダー閣下! 私には今海賊達の間で何が起きているのかもよく解りません、私はとにかくこの港だけは支配し続けようと、クヌトラを幽閉しイヌバを篭絡していたのです、信じて下さい! 私は確かに悪党ですが私は私に出来る範囲でアイビス王国の権益の為力を尽くして来たのです!」
マリーは軽い溜め息をついて答える。
「それは……どうかしらね」
「閣下!? な、何を疑われているのですか」
「アンタはクヌトラ殿下をしっかり教育していたそうじゃない? 家庭教師をつけ、書籍を渡して。殿下本人から聞きましたわ」
「ま、待って下さい、確かに私はそうしました、だけど王子にアイビス語とアイビス文化を教えたのは傀儡にする為ですし、書籍なんてのは……暇つぶしにしかならない、作り話の滑稽本しか与えていません、ははは」
プレドランは土下座から顔を上げ、恰好を崩してそう答える。
「その作り話の滑稽本、私も大好きですの。コルジアの機智に富んだ騎士の物語、古代グースの動物たちの寓話、ターミガンの千の夜の物語、どれも読み手を見た事もない世界へ連れて行き様々な体験をさせ人としての器を大きく広げてくれる名作ばかり、クヌトラ殿下はそれを繰り返し繰り返し、深く読み込んでますの、王子の本棚の本には色とりどりの付箋がたくさん挟まれていて、本当によく勉強してらっしゃるのがよく解りましたわ。もしかすると王子は、北大陸に居るどんな王様よりも賢いかもしれなくてよ?」
マリーが不機嫌そうにそう言う間、プレドランは脂汗を流し震えていた。
「ええっ、いや、あのっ、それはその……我らが敬愛するアンブロワーズ陛下に対し、いささか不敬では……」
「ケツあごへんてこ揉み上げ毛虫まゆげのアルセーヌおじさんがどうかしまして」
―― プッ
不意を突かれたプレドランは思わず軽く噴き出してしまう。プレドランは本当に領事として送り出される時に国王陛下の拝謁を賜り、緊張の中でその御尊顔を拝した事があるのだ。
「笑ったからアンタも同罪ですわ」
「ちょ待て! そんな、ずるい!」
「いいえ、クヌトラ殿下を強く賢い王に育て上げ、ラゴンバ連合の旗印と成して海賊達に対抗させ自らラランジェを守らせ、結果的にアイビスの交易圏を保全する、この深謀遠慮の大戦略を仕掛けたのはアタシじゃなくプレドラン閣下、貴方よ。そうですわよねえー? ユロー枢機卿にもそう報告させていただきますわ。アルセーヌおじさんはともかく猊下はレブナン港のカチコミにも御一緒したマブダチですの。その賄賂は貴方の物ですわ、どうぞこれからもお仕事に励まれて」
◇◇◇
マリーとゲスピノッサが対峙していた時には誰も居らず、全ての者が息を殺していた港通りは今、熱狂に包まれていた。大きな四辻を幾重にも取り囲んだ男達が歓声を、罵声を上げ、拳を突き上げ、飛び跳ねている。女達もまた建物の窓から乗り出し、嬌声を上げ、野次を飛ばす。
「行けェェやっちまえ覆面!」「飛べっ、飛べー!!」「きゃああああ!」
「立てッ! 早く立てゲスピノッサ!」「来るぞ、来るぞー!」「うおおおお!」
ゲスピノッサは息を切らし地べたに這いつくばっていた。コンドルは四辻の角に置かれていた樽に飛び乗り、天高く跳躍してゲスピノッサに膝落としを見舞う……しかし寸でのところでゲスピノッサは横転しコンドルの攻撃を交わす。
「ぐわああ!?」
石畳に自爆したコンドルは膝を抱えて転げまわる。観客の歓声と罵声が高まる。
そこへ。
「……天秤の船が出航してます!」
手出し無用と言われ、この一進一退の勝負を外から見つめていたネイホフは慌ててゲスピノッサに駆け寄ってそう言う。確かに。人垣の向こうのラグーンを一本マストのスループ艦が進むのが見える。
「船に戻らねえと! 魔女の狙いはジュリアンに決まってますよ!」
「畜生、俺は負けてねえぞぉ」
しかしゲスピノッサは激しい呼吸に苦しみながら、尚も覆面男と戦おうとしていた。一方、のたうち回る覆面男の方にも、群衆の足の間を這いずって、やや背の低い若い男、マカーティが飛び込んで来る。
「膝があっ、膝がぁぁあ!」
「何遊んでんだよてめぇは、フレデリクを、イルミナの誘拐犯を見失ったじゃねえか!」
周りを取り囲む男共から罵声が上がる。
「何だお前ら邪魔すんな!」「男の勝負に水を差すんじゃえ!」「引っ込めー!」
さらに。窓から見下ろす女共の中から、一際化粧の濃い、ラランジェで一、二を争う人気の高級娼婦の、鋭く甲高い野次が飛ぶ。
「〇〇タマついてんのかてめえら! 出て来んならてめえらも戦えー!」
男共、女共に煽られたネイホフとマカーティは、思わず顔を見合わせる。
「上等だやってやろうじゃねえか」マカーティは短剣を捨てシャツを脱ぐ。
「くそガキが調子乗んなよ」ネイホフも帽子を放り剣帯を外し上着を脱ぐ。
互いにダメージを受けスタミナも消耗した覆面男とゲスピノッサの戦いは、膠着状態に陥っていた所だった。二人が角に下がり呼吸を整える間に、マカーティとネイホフは前に出て機敏なステップを踏みながらお互いを牽制し、間合いを図りながら円舞のように公転する。
「やっちまえー! 狼みてえな若いの!」
「ダンディなおじさまー! そんな小僧やっつけてー!」
新たな戦士の登場で、観客の罵声は歓声に、野次は声援に代わる。







