猫「とうとう拙者に船の番をさせるようになったのか。泥棒が入ったらどうするのだ全く」
第三作で登場しました、パスファインダー商会の本拠地ロングストーンに務める経理係、クラリス。マリーより一つ年下の、眼鏡を掛けた女の子です。
こんな事なら仲間達を町に放すんじゃなかった。
私はハリブ船長に応援を頼もうと港に戻ったが、折り悪くサアラブ号はついさっき出港してしまったと言う。
サウロさんと本社の人達にも頼み、私達はロングストーンの町で遅くまでジュリアン君らしき少年を探して駆け回った。途中で見つけたアイリ、アレク、カイヴァーンにも手伝ってもらった。ロイ爺も、サウロさんから話を聞いて協力してくれた。
家出少年というのは最短では数分で帰って来る事もある。サウロさんはそう言って、クラリスには自宅で待つよう告げた。クラリスは動揺していたが、サウロさんに説得されそのようにしていた。
けれどもジュリアン君は見つからなかった。
◇◇◇
私は猛反省していた。ジュリアン君の字を見て笑うなんて。あれは彼が貧しさと忙しさの中で、何とか身に着けた文字なのだ。
私は何と傲慢なんだ、私が貧乏人の分際で読み書きが出来るのは、祖母が苦労して私に時間を作ってくれた事と、その時間で近所のジェルマンさんがただで字を教えてくれたおかげなのに。
それを何だ。ちょっと運良くオレンジが売れただけで、私は自分を商会長様だと思っていたのか。慈善家にでもなったつもりだったのか。
「ごめんね、クラリスちゃん」
「そ、そんな、どうしてマリーさんが謝るんですか」
私はクラリス達の部屋の方に戻って来た。クラリスがさぞや落ち込んでいるだろうと思ったからだ。
「マリーさんにも皆さんにも、こんなに良くしていただいてるのに……ジュリアンが我侭過ぎるんです」
「ジュリアン君はお姉ちゃんが大好きなんです、悪く言わないであげて下さいよ」
この夜はクラリスちゃんの身の上話を根掘り葉掘り聞きだしたり、私が自分の身の上話を押し付けたりして、結局私の方がクラリスちゃんに慰められるような感じになってしまった。
「とにかくマリーさんが落ち込むような事は何もありませんよ、マリーさんが元気が無いと皆さんも困りますから」
私もカイヴァーンほどじゃないけど、家族の絆に弱いのだ。
◇◇◇
翌日。厚かましくもクラリスの部屋に泊めてもらった私は、一度港に戻った。するとちょうどそこへ、ジャマル号が入港し、市場の正面へ接岸して来るのが見えた。あれもうちのヤシュム航路の船で、大柄な元海賊のサッタル船長が乗っているはずだ。
「おおっ、これはマリー親分、ご無沙汰をしとります、おかげ様で最近は堅気のような顔をして大手を振って町を歩けるようになりゃあして」
「今日はそれどころじゃないのよ! クラリスちゃんの弟が居なくなったのよ!」
「ええっ、そ、そりゃ一体どういう事なんだあ!?」
ガレー船のジャマル号は逆風でも漕いで進めるので、鮮度が命の生鮮食品を運ぶのに適している。今日の彼等の積荷はキャベツにブロッコリ、人参、そして大量のひよこだった。こんな物も運ぶのかうちの船は。
ジャマル号の船員達は栄養状態もよく、たくさん運動しているようで皆血色がよく、ゴツい。そんないかつい男達が、何十羽というひよこが入った籠を優しく運び出して来る。
私はサッタルに、事情をかいつまんで説明する。
「それじゃあクラリスちゃん、うんと心配してるだろうなあ……可哀想に。親分、俺達に出来る事は何か無いか?」
「今日もロングストーンの街中を探してみるつもりなんだけど、サッタルちゃん、アンタが手伝ってくれるなら一つやりたい事があるのよ」
私はニスル語で、サッタル船長に協力を求めた。
◇◇◇
「ひっ、ひいいっ!? まま、待ってくれ、話を聞いてくれぇぇ!」
私とサッタル船長、それに数人のジャマル号の乗組員は、路地裏に一人の小柄なおじさんを追い詰めていた。
「違うんだ、溝浚いは臭くてキツい仕事だから、仕事を教えてやっても、すぐやめちまう奴も多いから、その、し、試用期間! 試用期間だったんだ」
このおじさんは市国の衛生当局から溝浚いの仕事を請け負っていた。そして一日で銀貨8枚貰えるその仕事を銀貨3枚でジュリアンに下請けさせていたらしい。しかも最初は3枚のうち2枚を、市の持ち物である溝浚い小屋の家賃として天引きしていたそうだ。
「あの子達がこの町に来たのは十月初めだぞ! 今はもう一月も終わりだよなああ? てめえのその試用期間とやらは、いつからいつまでだったんだああ!?」
サッタル船長達は壁際に追い詰められたおじさんを三方から取り囲む。私は後ろで眉をハの字にしているだけで良かった。
「じゃあ最近は一応、銀貨3枚は払ってたのね? 仕事は月に何日あったの?」
「は、はい……10日です」
だけどこの仕事は終われば10日で済むというだけで、終わらなければ20日かかろうが30日かかろうが10日分の給料しか貰えないらしい。
「市国の保健当局にも通告するわよ……明日から溝浚いはアンタが一日銀貨3枚で請け負うって。用具小屋の家賃の銀貨2枚も、ちゃんと市国に払いなさいよ?」
「そ……そんな!」
「そんなだあ? そんなご無体なって言いたくなるような仕事を、お前はクラリスちゃんの弟にさせてたんだよなあ!? クラリスちゃんの弟ってのはな、俺の弟も同然なんだからな!」
「ひ、ひいいっ!?」
サッタル船長の小さな夢が垣間見える事はさておき、暴力はいけないので私は前に出て、おじさんに迫るサッタル船長の肩を叩く。
「そのへんでいいわよ。アンタは今日から死にもの狂いでドブさらいをしなさい。マリーちゃんとサッタルが見てるわよ」
ともかく、ジュリアンが居なくなり溝浚いが疎かになるのは私自身、ロングストーン市国の人間として困るので、その仕事をきちんと引き継いで下さいと、私はニスル語でおじさんに御願いした。
「それから。アンタはジュリアンの行先に心当たりは無い? アンタ曲がりなりにもジュリアンの上司だったんでしょ。何かそういう話は知らないの」
しかし、おじさんはジュリアンの事をほとんど何も知らなかった。
◇◇◇
正午頃にフォルコン号に戻って来たウラドと不精ひげにも話をして、私達は尚もジュリアン君を探した。
不精ひげはどこか他所の船に乗った可能性もあるんじゃないかと言い、水夫を募集するコミュニティの方を当たってくれた。しかしそちらも成果が無かった。
そしてこの話には思わぬ所からの落ちがついた。
「御願いします、皆さん、もうジュリアンを探すのはやめて下さい、これ以上皆さんの御仕事の邪魔をするのは嫌です! これは単に、あの子と私の喧嘩なんです……御願いします、私、今まで以上に皆さんの為に頑張りますから!」
クラリスちゃんからのそんな鶴の一声で、私達はロングストーンでのジュリアン君の捜索を一旦打ち切る事になった。







