マリー「もう無理だよばあちゃん、終わりだようちの畑も」コンスタンス「諦めるんじゃないアンタあたしの孫だろうが!」
きちんとマリーに道理を言い聞かせて送り出した不精ひげ。大人ですね。
不精ひげに後方支援を託したマリーは単身、新たに見つけた隠れ家のような場所に乗り込みます。
思えば遠くに来たものだ。北緯7度の三月の太陽は75度、ほとんど真上から降り注いで来る。帽子を持ってくれば良かったなあ。
私はその石煉瓦造りの建物に、盗賊のように身を潜め、裏手から注意深く近づく。騎兵と歩兵の分隊は既に柵で囲まれた敷地の中に入っていた。
一方、建物を囲む牧柵の外に、一見すると畑のように見える場所があった。そこだけ四角く地面が掘り起こされていて、自然に生える草が全て除去されており、代わりに別の植物が人為的に植えられているのだ。
植えられているのはミントのように見える……ここは湿原の一部でサバンナに比べれば潤いは多いが、こんな暑い場所で定着するのだろうか。
畑では背の高い細身の男性が働いていた。その様子は農夫と言うよりは何かの学者のようだった。身を屈めて小さなシャベルで土を掘り返しながら、手にした木版に何事か書き込んでいる。
何とも場違いな、不思議な光景だ。ここは南大陸の奥地のはずなのに、まるで故郷の村の郊外を散歩しているかのような心地である。
「……こんにちは」
私は思わず、普通に近づいて手を振っていた。男性もこちらに気づいて立ち上がる……歳は不精ひげより少し若いくらいだろうか。
「……これは何とも珍しいお客さんですね。それとも、私はいつの間にか故郷へ帰って来てしまったのでしょうか」
お兄さんはそう言って微笑む。柔和な表情だ。だけどこんな人がこんな場所で何をしているのだろう。
「それはミントですよね? とても強い薬草ですけど、こんなに暑い場所で育つでしょうか」
「この地でも半日陰に植えれば育つ事は解ってはいるのですが、私はこの日差しに負けない強いミントを生み出したいと考えています」
やはり学者さんなのか。よく見ればミントは一種類ではない。様々な種類のミントが幾何学模様を象るように植え付けられている……一般的には、違う種類のミントは離して植えるものだが。
「ここで繁殖出来るミント、ですか」
「ええ。グランドカバーとして、土地の保水力を高める為にね。この大陸はレイヴンやアイビスよりずっと旱魃が起きやすいんです。雨季に一滴も雨が降らないまま乾季が来てしまう事もある。そうなれば人間だけでなく、全ての者が渇きに苦しみます」
乾燥は乾燥を呼び、潤いは潤いを呼ぶ。昔マリキータ島で父が自慢げに話してくれたっけ。
大昔、その島は緑に覆われていた。しかし人類が住み着いてたくさんの山羊を放ち草を食わせた結果、島は禿げ上がってしまった。
雨の少ないマリキータ島には草原を復活させる力はなく、干からびて固まってしまった土にはますます草を生やす力がなくなり、結局島は緑の島から岩砂漠の島に変わってしまったのだと。
「植物は大地が過剰に温められるのを防ぐのです……私の夢は、いつかこの大陸を旱魃のない緑に覆われた大地にする事です」
お兄さんはそう言って、手を広げてみせた。
「それは……大きな夢ですね」
「ふふ、そうですね、夢物語ですよ」
そう言って私に背を向けたお兄さんは、庭園の片隅に立つ簡素な農具小屋の方に歩いて行く……前から見ると線の細い学者のように見える人だが、後ろから見ると屈強な戦士のようにも見える。背中の筋肉が、とても大きい。
私はもう一度庭園を見回す。かなりのお手並みだ……私も百姓の端くれなのでそのくらいは解る。
ミントは恐ろしい奴だ。
その昔。ヴィタリス村の粉引きのフェーヴルさんの奥さんは素焼きの鉢を地面に埋めてその中にミントを植えていた、だけど奥さんが亡くなった時にその事は忘れられてしまった。そしてその古い鉢はいつの間にか割れ、ミントはその隙間から根を伸ばし脱走した。
最初に気づいたのはうちのコンスタンス婆ちゃんだった。雑木林の中から現れたミントの集団が、ジャコブさんの小麦畑に襲い掛かったのだ。婆ちゃんは周辺を全部掘り起こしてミントの根を退治すべきだと主張したが、ジャコブさんは地上から見える奴だけ引き抜いて終わりにしてしまった。
果たして。地下で生き延びたミントの根はさらに勢力を拡大しより広い範囲に蔓延り出した。ジャコブさんもようやく事態を理解し、ジスカール神父は村に非常事態宣言を出した。
戦いには私も駆り出された。ミントは巧妙にも雑木林や藪の中を通り、村人共に気づかれないようにして生息地を広げていたのだ。我々はミントを見つけ次第、深い穴を掘って根こそぎ取り除いて行った。これは酷く骨の折れる作業だった。
ジャコブさんは結局小麦畑を一枚諦める事になった。ミントを退治する為に小麦は青いまま刈り取られ、ジャコブさんは「コンスタンス婆さんの言う通り、最初に見つけた時に掘り起こすべきだった」と悔やんだ。
真夏のヴィタリスで、我々は粘り強く戦い続けた。オドランさん達、衛兵団も協力してくれた。
そしてようやく村中のミントを退治し終えた、そう思われた瞬間。
「大変だぁぁ! 西の牧草地が……」
村人も警戒していなかった訳ではない。数日に一度は、秋になったら使うその牧草地の見回りをしていたはずなのに。
深く静かに根を伸ばしたミント共は、その牧草地一杯に芽を出そうとしていたのだ。
「もう無理だ……ここを全部掘り返せる訳がない……」
疲弊したヴィタリスの村人に、牧草地一杯に広がったミントと戦う力は残されていなかった。幸い、村の牧草地はそこだけではない。もうこの牧草地はミント共にくれてやり、我々はこのミント畑と付き合って行くしかない……百姓衆は、そう覚悟を決めた。
しかし神は我々を見捨てていなかった。ヒーローが現れたのだ。突然現れた彼らは瞬く間に大増殖し、ミント共に襲い掛かった。
そのヒーローとはハダニの一種だった。ミントとその香りが大好物で他に植物があってもミントがあればまずそれを食う、頼もしい奴らだった。
西の牧草地を占拠したミントはハダニの大群に食われ、冬までには絶滅した。その冬はいつもより雪が多く降り、春にはヒーロー達の姿も消えていた。
自然というものはよく出来ているのだなと、その時は幼心にも感動したものだったが……恐らく南大陸のこの地に、あのヒーローは居ないだろう。
ミントは交雑しやすい性質を持っているので、例えばアップルミントとペパーミントは普通は離して生育させる。
そんなミントをこれだけの種類、一同に集めて同じ過酷な条件の下で育てたらどうなるのか。もしかするとこの中から、高温も旱魃も物ともせず天敵の居ない南大陸の大地を覆い尽くす、悪魔のミントが生まれてしまうかもしれない。
私は腕組みをしてミント達を見つめていた。ミントはとてもいい奴でもある。美味しいハーブティが気軽に作れるし虫除け効果を持つ一面もある。食せば消化を助け疲労を回復し塗れば打ち身捻挫に効く、そして決して高価ではない、我ら庶民の味方の薬草なのだ。
ふと見ると、農具小屋で木版を入れ替えて眺めている学者のお兄さんの元に、誰かが駆け寄って行く。あれは……さっきの騎兵についていた歩兵の一人じゃないかしら。知り合いなのかな。







