その頃のイルミナ「背筋伸ばしなさいこのへちゃむくれ! 何べん言わせますの!」ヴァイオリンを習うマリー「ひぃいいいい」
ジュリアンの警告とストームブリンガー号の登場によりザナドゥの襲撃を回避したゲスピノッサ。そしてマカーティの叫びも空しく、ゲスピノッサのバーグホンド号に囚われてしまったジュリアン。
これはマリー達がラランジェに着く少し前(109話目くらい)に起きた出来事でした。
「あんな態度見せたらそう簡単には返してくれないぞ、ゲスピノッサってのはとんでもないワルなんだから……お前がジュリアンを好きなのは解るけどさ」
ストームブリンガー号に戻るボートの上で、覆面の航海士コンドルはオールを漕ぎながら背中を丸めてそう言った。
「ンなんじゃねえよ気持ち悪いな。仕方ねえだろ、あんなガキでも俺達の船の見習いにしちまったんだから」
「じゃあ何で、あんな風に言ったんです?」
むっつりと答えるマカーティに、オールを漕いでいた別の水夫が尋ねる。
「だからワルなんだろあいつは、おまけに奴隷商人だ、あんな風にでも言っておかなけりゃ、どこかの密輸商人に奴隷として二束三文で売り渡しちまうかもしれないじゃねえか」
質問をした水夫とコンドルは、顔を見合わせる。
「だけどロングストーンのいい家の坊ちゃんだとでも思わせておけば、大事な捕虜として扱うし喧嘩の時は下層甲板にでも隠しておいてくれるだろう……もしかしたらロングストーンにだって連れてってもらえるかもしれないぜ? あいつの姉ちゃんが身代金を支払えるかは解らねえが」
マカーティは腕組みをしたまま、真顔でそう続けた。
◇◇◇
バーグホンド号に戻るボートの上でも、漕ぎ手の水夫がゲスピノッサに尋ねていた。
「ずいぶんあの小僧を高く買ってるんですね、親分」
「そんなわけねえだろ。ただの見習いじゃあなさそうだがな……俺達を海賊共から救ってくれた後で、わざわざボートを寄せて言う事が、小僧を一人返せだ」
ゲスピノッサはオールを漕ぐ他の水夫達を見回し、邪悪に笑う。
「ヒヒ、ヒ、あの船長、ジュリアンの家はロングストーンにあるみてえな事言ってたな? ジュリアン自身は俺を警戒して教えてくれなかったのによ、聞き出す手間が省けたぜ」
それを聞いた水夫達は、顔を見合わせて頷き合う。
「あいつ、ロングストーンのいい家の坊ちゃんなのかもしれねえな」
「奇貨居くべし、ってやつだなァ」
「おめえ海賊のくせに難しい言葉知ってんな」
ゲスピノッサも満足げに頷き、声を落として水夫達に言う。
「まァそんな訳だからな、折を見てロングストーンの優しい姉ちゃんから身代金を貰う時の為に、皆ジュリアンには程よく目を掛けてやってくれ。あれはきっと、金になる子羊よ」
バーグホンド号が率いる船団は当初の予定通り、犀角海岸と呼ばれる地域を目指して進んで行く。そしてストームブリンガー号はその船団を追走し続けていた。
「野郎、送り狼みたいにずっとついて来ますよ。いいんですかい、このままで」
「奴らはこの船に乗ってるジュリアンが欲しいんだ、こっちもザナドゥの襲撃に警戒しなきゃならねえからな、タダで護衛をしてくれてるんだと思えばいい」
その事についてネイホフとゲスピノッサはそんな話をしていた。そうとは知らないジュリアンはゲスピノッサに訴えていた。
「なあ、俺の通報は役に立ったんだろ? おいらはもうストームブリンガー号に返しておくれよ」
しかしゲスピノッサはジュリアンに嘘を教えていた。
「お前の船の船長はお前の話なんか何もしてなかったぜ? チビの見習い水夫なんかそんなもんさ、一人前の人間扱いもして貰えねえのよ。俺もな、お前くらいの年の頃はそうだった」
それを聞いたジュリアンはただ肩を落とすしかなかった。自分が役に立っていない事には自覚があったのだ。エリーとネッドが死んだ戦いでも、マカーティは自分を戦力に入れず、下層甲板に押し込めておこうとした。
◇◇◇
一方ストームブリンガー号では、イルミナの侍女キャサリンがコンドルの士官室を訪れていた。
「ジュリアンが恐ろしい海賊にさらわれたのは解ります、ですがお嬢様も、イルミナ様も恐ろしい海賊にさらわれたのでしょう、どうかその事も忘れないで下さい、お願いします、お嬢様を助けて下さい」
コンドルは少しの間、腕組みをして黙っていたが。
「そうだな……もうキャシーにだけは話そう。だがこれは本当に絶対に誰にも言わないでくれ。少々お耳を拝借するよ」
ストームブリンガーの士官室は狭いが、船内では貴重な個室の一つである。耳打ちまでしなくても、話声が漏れる心配はあまりないのだが。
「……えええっ!? 船長の娘さんが!?」
「シーッ! 声が大きいよ、男姿をしていたがあれは俺の娘のマリーだ、フレデリクなんて名前の男じゃない、簡単には信じて貰えないかもしれないけどさ……マリーは今年で16になる娘だが大した奴でね、幽霊船さえも乗りこなす豪傑なんだ」
キャサリンはただ、呆気に取られているように見えた。コンドルはその反応を予想していたので、ますます得意顔で腕組みをして話す。
「マリーが何であそこに居たのかは俺も知らないんだけど、あいつは顔も広いみたいだから、俺の古い知り合いと親友になってたり……コホン、もしかしてマリーの奴、どこかでイルミナに会ってたのかな?」
「あ、あの……フォルコンさま……」
「だめだよ、今はコンドルって呼んで」
「それが本当にコンドルさまの娘さんなのかどうか解りませんが、私、マリー・パスファインダーと名乗る女の子にお会いした事があるのです、タルカシュコーンで」
今度はコンドルが驚く番である。
「え……ええ? タルカシュコーンで?」
「ええ、正確にはタルカシュコーンから南東に徒歩で数時間離れた場所です、イルミナ様と私とエイムズは隠れ家の一つとしてそこを使っていたのです」
「いつの話?」
「確か先月の23日ですわ」
「この船はその3日前にタルカシュコーンに居たよ、俺も君達の消息を求めてたんだけど……それで? マリーは何をしてた? どうして君達に会ったんだ?」
「お待ちください」
キャサリンはそこで肩を落とし、首を振る。
「もう一度申し上げますが、そのマリーさんが本物だったとは限りません、少なくともお嬢様はきっと偽物だと言われました」
マリーと名乗る少女はたった一人でやって来た。その事は確かにキャサリンも妙だと思った。イルミナが言うには、少女は実際にはレイヴン外交部の密偵で、自分達を油断させる為一人で来たように見せ掛けているのだと。
「確かにその子はコンドル様の娘にしては背が低く痩せておられました、割り合い可愛い子でしたけど」
「それは俺の娘な気がする」
「自分がお父様の仕事を完成させるのだとおっしゃってましたわ、ローズストーンでアーサー様にもお会いしたと」
「間違いないマリーだ、なあんだ、やっぱりあいつミーナと友達になってたのか」
コンドルは笑って両手を広げ、恰好を崩す。しかしキャサリンは首を傾げる。
「友達になったようには、見えなかったのですが……」
「うーん、ミーナにはちょっと素直じゃないとこがあるだろ? 大丈夫だよキャシー、ミーナはきっと、マリーが迎えに来たから黙ってついて行ったのさ」
それを聞いたキャサリンは、今度は肩を落とす。
「長年お仕えして来た私とエイムズを置いてでしょうか……?」
「そこが少し解らないんだよなあ……これは海賊船だって言ったのは俺だけど、そこまで居心地の悪い船でもないだろ? この船」
船内でただ一人の女性となってしまったキャサリンは、そのまま一人で船長室を使う事を許されそれなりに快適に過ごしていた。キャサリンもそれを心苦しく思い調理や洗濯など出来る仕事は手伝うようにしている。なかなか器量の良いキャサリンの為に、水夫の間には小さなファンクラブも出来た。
エイムズも客人扱いだ。二人にはどこの港で降りてもいいしどこまで乗っていてもいいと、ロブも請け負っている。
「見ての通り俺も居るし……ミーナはこの船からは降りたいけど、二人には自分に構わずレイヴンに帰って貰いたかったんじゃないか」
「だけどお嬢様、そんな事一言もおっしゃいませんでしたわ……マカーティ船長の事は苦手なご様子でしたが」
コンドルはそれには答えず、士官室の奥の小さな板窓を開ける。
「コンドル様?」
「悪い男じゃないんだけどなあ……なかなかの男前だし清潔感もある、優秀な船長で一角のヒーローなのにね。何が悪いんだろう? あいつ」
キャサリンもすぐには返事をせず、黙って開かれた板窓に近づき、外の大海原を見つめ暫く黙り込む。
「……男性からは上司、同僚、友人として好まれるのも解るのですが」
「女にだけは、モテないんだよなあ……」
二人はしばらく、同じ事を考えたまま彼方の水平線を眺めていた。イルミナは黙って出て行ってしまうほど、マカーティが駄目だったのだろうか。







