マリーのヴァイオリン「ボエー ボエボエ ボエエエー♪」イルミナ「今の貴女なら上出来ですわ」
資料室に、南大陸中西部の地図がございます。
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前の話でマリー達が居るのは⑧のラランジェから内陸へ200kmほど進んだ所にあるトムバという町です……すみません地図にはありませんね。
そして今回は⑦のアマレロという港で、一週間くらい前に起きた話です。マリーがラランジェにつく少し前ですね。
熱帯雨林が続く沿岸の港アマレロは、最初から北大陸人が作り始めた港だった。最初に来たアンドリニア人からレイガーラント人が利権を奪い、その後レイブン人が戦争で奪った。
それで港にはレイヴン国王が派遣した領事が居るのだが、レイヴンは新世界や中大洋の経営に忙しくこの地にはほとんど資源を割いて来なかった。やがて周辺海域に悪の勢力が蔓延る事になってもだ。
「ブレイビスの役人はタルカシュコーンばかりを重視して、ここには船も人も金も送ってくれない。私は領事だなどと呼ばれているが、仕事といえば如何にして領事府で働く人々に給料を払うか……毎日毎日、そんな心配をする事くらいしか出来ないのだ。見てくれ、だから私はこんな服を着て執務せねばならん」
領事はそう言って自分が着ていたジュストコールの裏地を見せる。それは糸がほつれて剥がれかけたままになっていた。
「領事閣下がそんな様子じゃいけねえ。閣下は立派に振る舞って人々を安心させなきゃならねえのに、ああ、あんたの苦労は誠に気の毒だ」
領事は立って歩き回っていたが、領事の客は古びた応接椅子にどっかりと座っていた。その客が指を鳴らしてみせると、別の男が領事の執務机に近づき、ずしりと音がする革袋を置いた。
「旦那……コホン、いや、貴公の寄進に感謝する、その金は、その、アマレロの港を悪者から守る事に役立てよう」
「悪者、ねぇ……」
椅子から立ち上がったその客は、決して背の高い男ではないし、決して一目で豪傑と解るような男ではなかった。しかし領事は声を上ずらせ、一歩後ずさりする。
「もっ、勿論貴公、貴方の事ではない! あ、あの、私の部下が貴方の意にそぐわない事をしていたのなら教えて欲しい、私は必ずその部下を厳しく指導する!」
客の名はゲスピノッサ。半年前までこの港を実質支配下に収めていた、悪の英雄だった。その頃の領事は、日常的にゲスピノッサからの賄賂を受け取っていた。
ゲスピノッサがシハーブ諸島で戦いに敗れコルジア軍に捕まったという知らせを聞いても、領事はすぐには行動を起こさなかった。
しかし残された部下が跡目争いを始めたのを見ると、誰につくべきか迷った挙句、一番勢いがあるように見えた海賊ザナドゥに加担する事にし、他の者を悪の勢力ゲスピノッサの残党として排斥し、逮捕させた。
ザナドゥは領事の仕事ぶりに満足し、領事に賄賂を贈った。
「いや……仕事の邪魔をして悪かった。また来るぜ、領事閣下」
ゲスピノッサが最後にアマレロに寄港したのは九ヶ月前。全てを失い処刑されたと伝えられたのが半年前。しかしゲスピノッサは今日、4隻の武装船と3隻の貨物船を率いてアマレロに現われた。
「親分、どうにも俺は学がねえんで今回の事は腑に落ちません。あの領事、ぶち転がしてしまっちゃいけないんですかい?」
領事館を出た所で、ゲスピノッサの腹心ネイホフが憤りを露わにする。領事の執務机に金貨がたっぷり詰まった革袋を置いてやったのもネイホフだが、その時もネイホフは怒りに震えていた。
ゲスピノッサ達は領事館に来る前にアマレロの監獄に押し掛けていた。そこには多くのゲスピノッサの部下や関係者が囚われ、酷い暮らしをさせられていた。海賊であった大人の男達は仕方ないとしても、海賊ではない無関係な兄弟姉妹や女房子供まで捕らえられていたのだ。
「俺達は海賊で悪党ですけど、それを隠さないだけの矜持は持ってます、だけどあいつは悪党に悪事を働かせてその金を巻き上げながら、悪党じゃないフリをして生きてる、悪党以上の悪党ですよ、あんな奴生かしておいていいんですか」
真面目で武闘派の悪党であるネイホフは居住まいを正してそう言う。ゲスピノッサは苦笑する。
「そうだなァ……お前の言う事も尤もだ。だけどな、俺には自分は悪党であって正義の味方じゃあないっていう矜持もあるんだ。悪党にムカついて損得勘定抜きでぶちのめす、そういうのは正義の英雄の仕事であって、悪党の仕事じゃねえ」
「そうですけど……」
「あの領事はチョロい男なんだよ、隙を見せればつけあがるが、締め上げてやりゃ何でも言う事をきく、金さえやってりゃ歯向かわない……あいつを転がしたらどうなる? レイヴンだって領事が殺されたら意地になるぞ、他の植民地に示しがつかないからな、きっと賄賂も通じねえ勇敢な新領事に恐ろしいレイヴン海軍艦をつけて送り込んで来る」
ネイホフは天を仰ぐ。
「聞けば納得しかねえ話です、全く親分の言う通りだ。俺達はあのクズの領事を我慢するべきだと思います」
「仕方ねえじゃねえか。堅気の人間達は俺達みたいなクズの悪党に本当にムカついているだろう。俺はそれを申し訳ないと思わないでもないが、悪党も生きて行かなきゃならねえからな。悪党は自分が世間様に嫌われてる事を忘れちゃならねえ……それを忘れると足元を掬われるんだ。ヒヒ、ヒ」
◇◇◇
一方。
フレデリクの奇襲を受けイルミナを誘拐されたストームブリンガー号は、沿岸の主だった港を順に訪れフォルコン号を探していた。
「改めて聞くけどよォ、俺たちがフォルコン号を探してるのは本当に正しい事なのか? 俺が知ってるフォルコン号はお転婆な女の子が船長の気さくで居心地のいい船だったぜ。俺はそんなフォルコン号を乗っ取ろうとしてレイヴン海軍の沿岸警備艇に捕まったのに、その子はわざわざプレミスの司法局にまで来て俺を保釈してくれたんだ」
ロブとマカーティは、船首楼の上で話していた。
「ああ? 海賊に船を乗っ取られそうになったのに、その海賊を助けに来たと?」
「俺もう感激しちゃってさ、やべえ、あの時の事を思い出すと今でも涙が出らァ、あの時俺は、もう二度と海賊はしないって誓ったんだ」
「結局やってるじゃねえか。とにかく、俺の言ってるフォルコン号はお前の知ってるフォルコン号とは全く別の船だ」
マカーティはロブから顔を背け、ため息をつく。
「船長のグランクヴィストは真冬の北極海で14隻の海賊団をたった一人で地獄送りにした悪魔だ、あの海賊イノセンツィでさえ奴には顎で使われてるように見えた」
「え……あ……いやいや! いくら何でもそれは誇張だろうお前! ていうか誇張じゃないんならそんな船追い掛けるのはやべーだろ」
「誇張じゃねえが追い掛けなきゃなんねーだろ、お前も同意したじゃねえか、女の子を攫われて黙ってたら海賊の沽券に関わるってよ……ん?」
マカーティは話を中断し水平線の方向に目を凝らす。この時、海面付近には霧がかかっていて視界は500mくらいで寸断されていた。
ロブは首を傾げる。
「どうかしたのか?」
「檣楼! 何も異常はねえか!?」
「は、はい! ありません!」
マカーティの叫びに檣楼員は応える。そこにジュリアンが駆け寄って来る。
「船長の皆さん、船長用の食事が出来ました」
「おー! 今日は豚のカツレツだったよな?」
報告を聞いてロブはすぐに恰好を崩す。しかし。食べる量ではロブにひけを取らないマカーティは、眉間に皺を寄せ、霧に隠れて見えない水平線方向を凝視していた……そして。
「全員伏せろォォ!!」
突然そう叫ぶなりジュリアンに抱き着き、甲板に押し倒して覆い被さる。それとほぼ同時に、霧の向こうでいくつかの光が花火のように煌めく。そして。
―― ボボボォォーン! ドゴォォォ! バン! バラバラバラ!
少し遅れて遠くで立て続けに発砲音のような物が鳴ったと思うと、いきなり甲板で何かが破裂したような爆音が響き、木片が飛び散る。帆に穴が開く。
この船は今、霧の向こうから大砲で撃たれたのだ。
「ぎゃあああ!」「うわああ!」
甲板の複数の箇所から、男達の悲鳴が轟き、
―― ドボタンッ……!
マストから甲板に一人の水夫が落ちる。その水夫の顔にはもう命があるようには見えなかった。マカーティはジュリアンの肩を掴み甲板に押し付けたまま、体を起こして叫ぶ。
「左舷装填しろ撃ち返すぞ掌砲手!! 海兵、いや手の空いてる奴は負傷者を下に運べ、動け! 生き延びる為に撃ち返せ!」
「な、何で……どうして……」
ジュリアンは組み伏せられたままどうにか顔を上げ、甲板に落ちて倒れたままの水夫を見て、そう絞り出す。マカーティはその胸にジュリアンの顔を抱き込み、立ち上がって昇降口へ走る。
「てめえは下を手伝え!」
「船長!?」
マカーティはジュリアンを昇降口に押し込むと、船尾付近の指揮台の方に走りながら叫ぶ。
「ボート降ろせー! 甲板に水を撒け、コンドルお前はキャサリン嬢の近くに居てやれ!」
遠ざかるマカーティの声。ジュリアンは昇降口の階段から離れて震えていた。
海戦は先日経験したが、あの時は港を襲う海賊をストームブリンガー号が出し抜き、一方的に打ちのめす戦いだった。
だけど今日はストームブリンガー号が出し抜かれてしまったのだ。正体不明の敵から先制攻撃を受けたこの船は、あの時のキャラック船のように真っ二つに割られ沈められてしまうのか?
大人の水夫達は、いつもと変わらないマカーティの怒鳴り声を聞き、いつものように次々と階段を登り甲板へと駆け上がって行く。
みんな怖くないのだろうか。
ジュリアンは思う。怖くない訳がない。それはきっとあのマカーティだって。だけど皆が力を合わせなくては戦いには勝てないのだ。負ければ、船は沈む……
「俺も男だ! マカーティ船長、俺にも仕事を下さい!」
ジュリアンはそう叫んで立ち上がり、近くにあった海水汲み上げ用のロープ付きの桶を手に、階段を駆け上がる。







