ハリシャ「あの……こういうお仕事って、やっぱりよくあるんですか?」ロイ「50年近く海に居るが、初めての仕事じゃ」
資料室に今回の事件の舞台の概要図を掲載しました。興味のある方はご覧下さい。
ストームブリンガー号の船尾から、見知らぬ船に救難信号を出したイルミナ。だけどその船はフォルコン号だった。
それがイルミナだと気付いたマリーはただちに救難計画を立てた。マリーはこのピンネース船をコンウェイで見たゲスピノッサの船かもしれないと思っています。
「お前らはボートを寄せてイルミナ嬢の安全を確保しろ、俺はあの男をどうにかする!」
―― ドボォォン!
マカーティは慌ただしく上着を脱ぎ捨てると、砂州に守られた河口の穏やかな汽水の海へと飛び込み、力強く煙幕の雲に向かって泳いで行く。
「さすが船長だ! 俺達も行くぞ」「オウ!」
マカーティの勇気に触発された水夫達も、先程イルミナらしき声のした浮標物の方へボートを力強く漕いで行く。
一方のフレデリクは黒煙の中でもがきようやく視界の効く所まで出て来た。そしてマカーティが凄い剣幕で真っ直ぐに自分に向かって泳いで来る事に気づいた。暴発した煙幕弾は水面に落ちてなお煙を上げていて、岸まではまだ距離がある。
そしてマカーティは見る見る迫って来る!
「フレデリクゥゥ!!」
「ヒッ……うわああっ」
そして凄まじい水飛沫を上げて泳ぐマカーティがあと10mまで迫り、フレデリクがやむを得ず短銃を取り出した瞬間。
―― ざばぁあ(笑)
フレデリクとマカーティの間に浮上した、体長3mの二頭の汽水ワニは大きく口を開けた。
「のわあああ!?」
さすがのマカーティもワニの口の中に飛び込むわけには行かず、慌てて90度方向を変える。しかしお腹の空いていたワニ達はすぐには諦めず、マカーティを追って泳ぎ出す。
フレデリクは青ざめ、硬直していた。勿論彼はこの河口にこんな生き物が潜んでいるとは知らなかった。知っていたら、板切れに跨りパドリングをして海賊船に近づいたりなどしなかった。
ともかく、わざわざレイヴン王国の全てを敵に回してまで処刑台から救い出した奴が目の前で、遅く起きたワニ達のブランチになるのを黙っては見過ごせない。フレデリクは水面を蹴って加速し、ワニの背中に飛び乗る。
「やめろっ、おまえら! やめろっ」
フレデリクは手を伸ばし、もう一方のワニの眉間を短銃の台尻でポコポコ叩く。陸に棲む二足動物にそんな事をされた事のないワニは驚き、慌てて潜水する。
フレデリクが飛び乗った方のワニも異変に気づき兄弟を追って潜水するが、フレデリクはその直前に板切れの方に飛び戻っていた。
「ふう、やれやれ……」
安堵し一息つくフレデリクの足に、藻が絡みつく。フレデリクは足元を見下ろす。彼の足首を掴んでいたのは藻ではなく、上半身裸でニンマリと狼の笑みを浮かべた、マカーティの左手だった。
「あ」
次の瞬間、フレデリクの意識ではなく乙女の生理的本能が、狼の眉間に短銃を向け引き金を引かせていた。
―― ドォォン!
撃ってしまってからフレデリクはますます青ざめる。まさか自分が躊躇もなくこんな事をするとは!? まあ今回は救出作戦という事で事故があったら困ると思い、短銃には火薬だけを籠め弾丸は入れてなかったのだが。
そんな事とは知らないマカーティは瞬間的にフレデリクから手を離し水中に逃れ、青ざめていた。
―― 完全に殺る気だったろ今のは! そうかよフレデリク……だったら俺も容赦しねえ! そもそも俺は! 俺の運命の女、イルミナの為に……
マカーティは水中から輝く水面を見上げそんな事を考えていた。
しかし今の彼には解決しなくてはならない別の問題があった。二頭のワニは今日のブランチにこの狼男を食う事を全く諦めていなかったのだ。
濁った汽水の海中を、黄色い目を光らせ何かが迫って来る。
「うおおおおおおお!?」
マカーティは必死に水を掻き水面に飛び出し、闇雲にワニから逃れるように泳ぎまくる。二頭のワニは音もなく水を掻きマカーティを追って行く。
フレデリクはとにかく偽装ボートを岸まで押して行こうと思ったが、漕ぎ手を八人乗せた海賊のボートも間近まで迫っている。
「待ってくれ、僕はマカーティの敵じゃない!」
フレデリクはそう叫ぶが、水夫達はついさっきこの少年が彼らの船長めがけ躊躇いもなく火を噴く銃口を向けたのを見ている。
「ふざけんなァァ!」「船長の仇!」
怒りに燃える漕ぎ手達のうちの二人が、オールを離しマスケット銃を取ってフレデリクに向けようとした、その瞬間。突如海賊達の乗ったボートの下から小さくない水柱が湧きあがり、ボートを大きく傾けた!
―― ザバァァァン!!
「うわあああああ!?」
マスケットを向けようとしていた二人はバランスを崩して海中に落ち、残り六人も木の葉のように揺れるボートの上でバラバラに倒れながら必死で船縁にしがみつく。そこへさらに。
―― ざばぁ(笑) ざばざばぁぁ(笑)(笑)
マカーティを追っているのとは別の小振りなワニが三頭、大口を開けて浮上して来て、ボートとボートから落ちた海賊達を取り囲む。
「ひいいっ!? こっちにも化け物だああ!?」
海賊達は一旦追跡をやめ、オールを振り回してワニ達を威嚇し、落水した仲間を引き上げようとする。
何だか解らないが今のうちに偽装ボートに乗せたイルミナを岸へ連れて行こうと、フレデリクは辺りを見回す。
すると偽装ボートはいつの間にか煙幕の中から抜け出し、岸に向かってゆっくりと自走しているではないか。
「ええっ!? な、何で……?」
しかしフレデリクは考える時間を貰えなかった。
「待ちやがれぇぇぇえ!」
二頭のワニを引き連れながら、マカーティが再び水面を突進して来るのだ。
「わぎゃっ!? わーっ! わぁぁーっ!」
フレデリクは偽装ボートの方へと逃れるが、マカーティも偽装ボートを追い掛けているので自然、フレデリクも追い掛けられているような恰好になる。
これ以上何が起きても驚くもんか。フレデリクはそう思いながら必死に水面を蹴って逃げる、だけどこのままではマカーティに追いつかれる……ワニが空を飛んで来たのは、その時である。
「ぎゃぎゃぎゃああ!」「なんだそりゃあああ!!」
海賊のボートの方から飛んで来た小振りと言っても全長2m近くあるワニは、今にも追いつかんとしていたマカーティとフレデリクの間に仰向けになって落ちた。マカーティは勢いを殺しきれず、飛んで来たワニの脇腹に抱き着いてしまう。
何が何だかわからない、わからないけどとにかく今が逃げるチャンスだ、そう思ったフレデリクは今度こそ絶対に何が起きても驚かないという覚悟を決め偽装ボートを追う。そこへ水面を割りフレデリクの目の前に高々と飛び出して来たのは、派手な覆面を被った上半身裸の筋骨隆々の男だった。
「マ」
覆面男が何か言おうとしたその瞬間、フレデリクは宙に浮かんだその男の眉間に短銃の台尻を叩きつけていた。
「わあああああああ!」
声もなく水面に落ちた上半身裸の覆面男に構わず、マリーは必死で偽装ボートを追い、追いついて、その艇尾からボートを押す。
背後は混乱に包まれていた。マカーティは三頭になったワニに追いまくられ死にもの狂いで逃げ回っていた。転覆しかけた海賊のボートでは落水した水夫が必死に水上に戻ろうとするのを仲間の水夫達が助けていた。
もう一人、パンツ一丁の覆面男は仰向けに水没しながら遠ざかる水面を見上げていた。
―― なんてこった。初めて娘に殴られた。まあ、突然過ぎて俺だって解らなかったんだろうけどさ……ショックだなあ。昔はどこへ行くのにもついて来て、村を離れる時は行かないでー、なんて言ってわんわん泣いてたのになあ……
だけど良く考えたら最近背中にドロップキックを喰らった事もあったし、ヴィタリスでは雑炊をつまみ食いしてたら鍋の蓋で叩かれた事もあった。
気を取り直したパンツ一丁の覆面男、コンドルは、先程やむを得ず水中から揺らしてしまったボートの仲間を助ける為、サメのように機敏に水中を泳いで行く。
潜水で偽装ボートに泳ぎつき切れた釣り糸を引っ張っていたのはカイヴァーン だった。
岸では不精ひげとアレクが待ち構えていて偽装ボートを引き揚げ、泥だらけの枝などを取り除ける。レイヴン人の伯爵令嬢はその下から現われた。
「皆さまが助けて下さいますの?」
「えっ、ああそうだよ、こっちへ急いでくれ」
場違いなドレス姿の伯爵令嬢は服も顔も泥だらけだった。そして不精ひげの指示通り、スカートの裾をつまんで砂州を横切り外洋側へ走る。
「今日の作戦は無茶苦茶だよ船長!」
「お叱りは後で」
遅れて上陸したカイヴァーンとフレデリクは偽装ボートはそのまま残し、仲間達を追って外洋側に走る。
外洋側にはフォルコン号の貨物用のボートとウラドが待っていて、不精ひげとアレクと伯爵令嬢、そしてカイヴァーンとフレデリクを乗せるとすぐに沖で待つフォルコン号へと漕ぎ出す。







