第2話 いわゆるクラス転移
ここはどこ、私は誰? まさかこんなアホらしい自問自答を実際にすることになるとは思わなかった――そこまで考えて、少年は一つ深呼吸をした。
少し落ち着いて、文庫本のページをめくるように彼は自分の頭の中を整理していく。
名前は……、名前は【松平マグナ】だ。確かにそんな名前のはずだ。ハーフかとよく聞かれるけれどそうではないし、珍しい名前だとは言われ慣れている。
――いや、待て。マグナという名前には漢字表記があったはずだ。……しかし思い出せない。自分の名前なのに。
次にここはどこか、だが。確か……修学旅行へ向かう途中だった。同じ3年2組のクラスメイトとバスに乗ってそれで――だめだ。
そこで彼は記憶を遡るのをやめた。思い出そうとすると、まるで酷い風邪をひいた時みたいに頭がぐわんぐわんと揺れる。
年は十八歳の高校生で、性別は男――そこまではわかる。けれど自宅の住所だとか電話番号、そして家族の名前を思い出そうとすると、先ほどと同様に酷い頭痛が走って思い出せない。
(……いったい何がどうなってんだ?)
今の体勢はうつ伏せ。硬い石の床の感触がひんやりとある。
五分ほど経って頭痛もおさまってきた。動ける。そう思ったマグナはゆっくりと目をあけて周囲を確認。目の前に誰かの足。それからぐっと身体に力をいれて、上半身を起こした。
「あっ、松平君も起きた?」
「瀬名さん? ……ここは?」
話しかけてきたのはクラスメイトの【瀬名セイラ】だった。人当たりの良い穏やかな性格の女子で、男女問わず人気。ボブカットの黒髪が似合うバドミントン部だ。
「わかんない。私もさっき起きたところなの」
瀬名セイラは「さっぱり」と、両手をあげたジェスチャーも交えて答える。
マグナが周囲を見渡すと、堀の他にもクラスメイト達が男女の別なく硬い床の上に寝ていて、何人かは目覚め始めている。ざっと見た感じ三十人全員いるみたいだ。それに担任の太田先生に、バス運転手の男の姿も見える。
「どこかはわからないけれど、ここってなんだか神殿とか教会みたいじゃない?」
「神殿……」
言われて見ればそうだ。彼らがいる場所は、荘厳な神殿を思わせる白い壁に白い床だ。天井は高く、上を見上げれば見事なステンドグラスから陽光が差し込んでいる。他にも十メートル程でモスグリーン色の、異形な騎士像の様な彫刻が何体か。
「勇者様方、お目覚めですかな?」
聞き慣れない老人のしわがれ声が響いた。ついでコツコツと床を鳴らす音が聞こえ、幾人かの集団が現れた。
「コスプレ?」
起きていた女子の誰かが言った。確かにマグナの目にもそうにしか見えない。
おそらくしわがれた声の主だろう老人は魔法使いのような杖を持って、これまた魔法使いのような鼠色のローブ。周囲の数人の男女は、日本の侍とヨーロッパの騎士を足して割ったような見慣れない鎧姿だ。
「イオバルディ様、合計三十二名の“勇者召喚”に成功したようです」
「ほう、三十二もか。記録だな、老ウォルデン」
「ホホ、この老いぼれの名前もガルダナ大陸の歴史に刻まれましたかの」
「そうだな、話を耳にすると誰もが驚くだろうよ。……世界が変わるほどに」
騎士たちのリーダー格らしき赤い鎧の男――【イライジャ】が、魔法使いのような老人――【ウォルデン】といくつか言葉を交えている。耳にしているのはマグナにとって聞き慣れない言語のはずなのに、なぜか理解できる。
「イオバルディ様、そろそろ……」
「そうだな。――失礼、お待たせいたしました勇者様方。私の名はイライジャ・イオバルディ。この【アルクス雅国】に仕える騎士です」
赤い鎧を身にまとった男は一歩前に出ると、そんな自己紹介をした。その髪も瞳も鎧と同様に赤く、顔は整っていて若く見える。物腰柔らかな感じだ。
聞いたことのない国の名前、騎士という階級。そして“勇者”に“召喚”とくれば、それになりにマンガやゲームを嗜むマグナはピンときた――。
「――異世界転移! 異世界転移ですかあッ!?」
上ずった声でテンション高く叫んだのはマグナじゃない。二次元にヨメがいると公言して憚らない痩身の男子、【中川】だ。
その光景に気恥ずかしさを感じるが、だけどそうだ。きっとこれは異世界転移だと心の中で確信を覚える。勇者として召喚されたり、ゲーム世界にインだったりする例のアレだ。
「ご名答。理解が早くて助かります。さすがはニホンの方々」
「で! で! 誰が勇者なのですか!?」
「誰がと問われれば、あなた方全員がです。三十二名、全員が勇者」
「全員!? ふむふむなるほど……」
マグナは興奮する中川とは対照的に、二人の会話を落ち着いて聞いていた。
ニホンという単語が飛び出したあたり、相手はマグナたちの素性をある程度知っているのだろう。そこで一つの疑念が浮かび上がる。彼らは一体何の目的でマグナ達を“召喚”したかだ。
少なくとも目の前に、侍風味だが騎士がいる。たぶん魔法がある。そんな世界で勇者として召喚される。つまり何かと戦わせたい可能性が高いということだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「なんでしょう、ご婦人」
待ったをかけたご婦人というのは、マグナ達のクラス三年二組の担任である【太田教諭】だ。大学を卒業して三年目の二十五歳で、日本史担当の女性教諭。優しくて責任感も強く、生徒たちに親しまれている存在だ。
「ここがどこだか分かりませんが、今すぐ私たちを――生徒たちを元の場所に返してあげてください! 人質が必要なら私が! だから生徒たちは――ヒッ!?」
生徒たちの事を考えて、熱心に解放を訴えかける太田シズカ先生。その彼女の首筋に――イライジャによって刀がつきつけられた。
「返す? 残念ですがそれはできません。あなた方には勇者として我がアルクス雅国の為に戦っていただきたい」
「た……戦う……? そんな! 生徒たちにそんなことは! 私には担任としてこの子たちを守る義務があります!」
「――チッ」
舌打ちが聞こえた。なおも訴えかける太田教諭を前に、イライジャからは穏やかな雰囲気が消え、どんどん周囲の空気が重くなり、そして――、
「――ま、まあまあ先生、ここは落ち着いて!」
――緊張が頂点に達そうとしたその時、バス運転手の男――マグナの記憶だとたしか【松永】といった――が、太田教諭を取り押さえた。
「松永さん!? 放してください! 私には義務が――」
「まあまあ。まだ状況もわからんでしょ? まずはこの人たちの話を聞きましょうや。そちらの旦那もそれでよろしいですかい?」
「……。ええ、もちろん」
さっきまでの殺気が嘘みたいに穏やかな雰囲気に戻ったイライジャは、そう言うとシュルリと音をたてて刀を鞘に納めた。
「食事を用意させてあります。話はそれを食べながらしましょう」
「待ってくれ! 先に俺達を何の目的でここへ連れてきたのかを教えてくれ!」
思わず。そう、思わずだ。マグナはすっと立ち上がって、立ち去ろうとしたイオバルディの背中に向かってそう声を投げかけていた。
「ほう?」
振り向いたイライジャの視線が、そして周囲のクラスメイトの視線が集まり、マグナはうっと身じろいだ。
「何の目的で……ですか」
「そうだ」
緊張しながらも、声が上ずらないように落ち着いて返答する。
そもそもマグナは決して前に出る性分じゃない。うっすらとした彼の記憶の中でもそうだ。しかしこれだけは聞いておかないと、大人しくついて行くこともできないと本能的に感じていた。
「それなら簡潔です」
イライジャはそれだけ言うと、パチンと指を鳴らした。
それが合図だったのかもしれない。それまで静かだった聖堂の中に、「ゴゴゴ」と低い地鳴りのような音が響き渡る。「地震か!?」「なんなの!?」戸惑うクラスメイトの声が響く中、マグナは巨大な何かが動くのを感じた。
「ちょ、彫像が……!」
誰かがそう叫んだので注意を向けると、彫像が――いや、それまで彫像だと思っていたモスグリーンの巨大な何かが動き出し、イライジャの後ろに四体控えた。
二足で歩き、モスグリーンの騎士と侍のあいの子じみたイライジャらの鎧姿をそのまま拡大した様な外観。頭部装甲の奥にはふどういう原理か、巨大な一つ目がピンク色にギラリと輝く。そんな物体だ。
「あ、あれは! ロボット……、なのか?」
「ニホンではそう言うようですね。しかしこのガルダナの地では〈魔錬機〉と申します」
「〈魔錬機〉……」
呼び方なんてどうでもいい、とマグナは心の中で吐き捨てた。目の前に四体――いや四機が並ぶ十メートル大のそれは、どう考えてもマグナが知るところの巨大ロボット以外の何物でもない。
もっとも、“知る”と言ってもそれはフィクションの世界に限る話であって、目の前にそんなものが現実として存在すること自体、冗談みたいな話なのだが。
「これらは我が雅国の主力魔錬機である〈単眼鬼〉です。皆様には、これらの騎乗者となっていただきます」