6 契機 (1)
大丈夫だった…よな。
誰に聞かせるでもない言葉がぽろりと口から溢れ出て、片手でそっと口元を覆った。もう片方の手には目の前に広がるバザーで購入したであろう品物を包んだ紙包を握っている。
先程までの自分を思い返し、今更のように緊張の波が押し寄せてくる。
この瞬間を想定し、話しかける場面を、科白を、態度を何度練習しただろう。
自然に見えただろうか、不審な人物と思われなかっただろうか?…おかしなことは言わなかっただろうか。
元より決して失敗の許されない出会いの時を慎重に演出する筈が、昨日の時点で想定外の事が起こったのだが、昨晩事態の立て直しを図るべく予定を練り直し今日を迎えたのだ。失敗は二度と許さない。
「大丈夫、大丈夫…だった筈。ちゃんと話せた、…よな? 変な事言わなかった…うん、大丈夫。おかしくない。普通に、自然に話しかけた筈だ」
バザーで賑わう教殿の敷地の隅で、人混みから離れて佇みながら一人ブツブツと呟く男の元へ司教が歩み寄る。
「ワイデマン卿、こんな所においでだったのですか」
でっぷり太った紳士とその夫人らしき女性と話していた司教が彼らと別れてフレデリックに近づき話しかけて来た。
「どうです、田舎のバザーもなかなかに盛況でしょう」
にこにこと話す司教の言葉とは反対に、些か眉を下げてフレデリックは情け無い表情で曖昧に返した。
二月と少し前、フレデリックは自ら馬を駆ってこの町へやって来た。
普段ならば六日程かかる行程が、急ぎ馬を飛ばした上に共も一人の身軽な旅の為にか三日目の夕刻には町に入った。
従者の止めるのも聞かずに目的の孤児院へと真っ直ぐに向かう。
扉を叩き、中から現れた人物がこの孤児院を運営する教殿の司教、サミュエルだった。
宵の近づくこのような時刻の、ましてや簡素な旅装と言えども見てすぐそれと分かる貴族の男の訪いに、驚きと疑問を露わにしながらも、何か複雑な事情を察したサミュエル司教は客を室内に招き入れ、先ずは話しを聞こうとフレデリックに椅子を勧めてくれた。
座るや否や用件について話し出す彼に司教はさして驚く風もなく熱心に話に耳を傾けてくれた。
歳の頃は十と少し。鳶色の髪の娘がこの孤児院に居はしまいか。そう尋ねるフレデリックにサミュエル司教は首を捻って返事を返す。
鳶色の髪の女の子は一人いるが、年齢が合わない。大体、子供たちは皆、十を過ぎると徐々に身の振り方を決めさせていき孤児院を離れていくのだ。よって十代の子供は数人しかいない。
ではここ数年で孤児院を離れた者の中にはいなかったか?となるが、それも思い当たらない。
話の煮詰まった所で、司教の訝しむような視線を認めてフレデリックは漸く自身が未だ名乗りすらしていない事に気がついた。
無礼を詫びて自身が侯爵である事、この孤児院で数ヶ月前に話しのような娘を見かけたと聞いた事を話した。
「それでは侯爵様はその娘を探しにいらしたのですね? 差し出口をするようですが、一体その娘とはどのようなご関係でしょうか?」
一介の司教が侯爵という高位の貴族にするには、実に差し出がましい質問だったが、これまで宮廷の有象無象を相手にしてきたフレデリックにはこの司教が信用し得る人物と見定めることができ、また尋ね人を諦められない切実な思いでここに至る経緯を説明した。
古くからの知人が数ヶ月前に件の娘をこの孤児院で見かけた事。話では自分の幼い頃と顔立ちが驚く程そっくりだったという事。自分は今は独身だが十数年前に離婚しており、別れた妻は鳶色の髪色をしている事。その元妻とはすぐには連絡の取れない状態である故、先に孤児院を訪れた事。
フレデリックの余りに切羽詰まった話ぶりに少々引き気味に話を聞いていた司教だったが、全て聞き終えると暫く沈黙していた。
「では侯爵様はその娘がご自分に縁があるとお思いなのですね?」
「それを確かめる為に来たんです」
ふむ、と唸る司教を前にフレデリックはたたみ掛ける。
「勿論、見つけても無理にどうこうするつもりはありません。もし何か困っているなら助けになれればと…」
そこまで言って言葉の勢いを無くした。
見つけてどうする、会ってどうする?
それはこの町へ向かう道中、ずっとフレデリックの頭の中を占めていた問題だった。
その娘に会って、何が分かるのだろうか。その娘に自分は何を感じるだろう。娘は自分の生まれについて何かしら知っているのか。
あまりの情報の少なさに歩みを止めそうになる自分を振り払いながら只管我武者羅に此処までやって来た。
ここへ来れば何かが変わる、その娘に会えれば何か分かる筈だと。
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