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 5 遭逢 (4)

 


 振り向いた先には穏やかに微笑む昨日の紳士がいた。


 昨日と同じ上質な上着にアスコットタイ、その上今日の紳士は昨日は被っていなかった品のよい中折れ帽を被っていて、それがとても良く似合っている。

 我知らず見惚れてしまっていたアデルに、紳士は優しく目を細めると、「こんにちは。いいお天気になって良かったね。昨日はあれから大丈夫だったかな?」と話しかけてきた。



「はい。昨日はどうもありがとうございました」



 そう言ってアデルは慌ててお辞儀をした。どうしよう、恥ずかしい。きっと馬鹿みたいにポカンとした顔をしてしまったに違いない。


 だが紳士は相変わらずアデルを柔かな笑顔で見つめている。アデルがちょっと頬を染めてときめいてしまっても仕方ない。



「バザーを見かけてもしやと思ったんだ。また会えて良かった。この売り場の担当なの? お嬢さんが作った物はある? 見てみたいな」



 アデルは台の上に並んだ物からドイリーを二つと付襟を一つ、それと飾り釦を入れているボウルを手に取って見せた。

 紳士は受け取って編み物類を丹念に見終わると、次はボウルから釦を選び取り二本の指で摘んで眺めた。



「上手だね。綺麗によく編めている。そのドイリーと釦をいくつか貰おうかな。お嬢さんは刺繍はしないの?」



「少ししますが、バザーに出せる程の物は作れなくて」



 それはちょっとした嘘だった。実際にはアデルの刺繍は出来映えが良く、作品はおばさんに取り上げられて売られてしまっていた。大伯母もその辺りは知りながらも目を瞑っているようだ。残った糸で刺しても色合いが微妙になってしまい、碌な物にならなかったし、アデルもそうなると分かってからは、刺繍の作品はそれほど沢山は作らなくなった。けれどこんな些細な嘘でもこの紳士に吐くことを、アデルは恥に思った。



 困ったように弱い声で話すアデルを気遣うように、紳士は言葉を繋いだ。



「編み物がこれだけ出来れば充分だね。本当に良く出来ているよ。編み目が細かいし目も揃っている。他のも欲しかったが、私が女性用の付襟をする訳にもいかないしねーーああ、そうだ! 土産にいいかもしれない。そうしよう。それなら全部貰おう」



 軽い冗談を交えた紳士の明るい声。一緒にくすりと笑いかけて、続いた最後の言葉にアデルは驚きを隠せなかった。



 え、全部? 全部って、何を? 釦だろうか。いや、今付襟がどうのという話の流れだった筈で…。



 付襟は一つを仕上げるのにそれなりの時間と技量が要る。その為お値段も少しばかり張ったものとなっている。


 結局紳士はアデルの作ったドイリー二つと付襟一つ、飾り釦丸ごとと全てを買い上げた。



「こんなに沢山買って下さって、ありがとうございます」



 品物を紙に包みながら礼を述べる。いきなり沢山売れたからだろうか、興奮してしまって手元が覚束ない。やっぱり恥ずかしい。



「どういたしまして。私の方こそありがとう。それはそうと、昨日抱えていたビスケットはもう売れてしまった?」



 驚いた。紳士がお菓子を気にするなんて。もしや今日の目当てはそちらだったのだろうか?



「いいえ、ビスケットは向こうで売っています。あ…、でも、もしかしたらそろそろ売り切れたかも…」



 そう言って視線を移した先には残り少なくなったビスケットが台の上に並んでいるのが見えた。



「ああ、あれだね。まだ間に合いそうだ。良かった。私の助けたビスケットだからね。私にも一つ位手に入れる権利があるはずだ。早速買いに行ってこよう」



 そう言って紳士はアデルに少し悪戯っぽく口の端を上げてみせる。

 包みを受け取り大事そうにポケットに仕舞い立ち去りかけたかに見えた紳士が物言いた気にじっと立ち止まる。はてなと小首を傾げたアデルに、小さく咳払いをした紳士が少し掠れる声で尋ねた。



「お嬢さんのお名前を教えて貰っても? 私はワイデマン。フレデリック・ワイデマンというんだ」



「あ……アデル、です。ワイデマン様」



 一瞬口籠もり、返事をする。



「アデル。良い名だね。また会おう、アデル」



 中折れ帽を軽く上げてみせると紳士は踵を返して去って行った。勿論、ビスケットの売り台の方へと。




お読みいただき、ありがとうございます。


ここで出てくるビスケットは、拳ほどの大きさのものを想定しています。


飾り釦も布地で作ったクルミ釦に刺繍をした物などを想像して下さい。


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