3 遭逢 (2)
下箱の自重の力に取り残された蓋が一瞬浮いたが、伸ばされた手によって再びあるべき所へと押し戻される。
ふーっ、危なかった。
ひやっとしたが箱は無事だった。アデルは蓋のずれを直して大事な箱をしっかりと持ち直すと、ビスケットの救世主を見上げて礼を伝えた。
「どうもありがとうございます。とても助かりました」
目の前にいたのは上質な上着を着込み高級そうな香水の匂いのする自分よりも頭一つ以上背の高い紳士だった。
さらさらのハニーブロンドの髪に濃いブルーグレイの瞳が此方を見下ろしているのに視線がぶつかる。
途端にアデルはこの紳士に何故か既視感を抱いたのだった。
「危ない所だったね。大丈夫かな? 怪我はない?」
優しく問いかけられて、アデルは急に恥ずかしくなった。自分の粗相をしっかり見られていたのだろうか。先程あげた変な声も聞かれていたのだろうか?ああ、考えれば考える程、顔に熱が集まって熱くなってくる。
慌てて首を横に振り、大丈夫だと伝える。紳士は満足そうに肯くとその箱には何が入っているのかと尋ねた。
「とてもいい匂いがするのでね」
大の男がお菓子の匂いにつられているようで恥ずかしいのか、弁解めいた言葉を繋ぐ。
アデルは紳士の質問に精一杯答えようと、逃げ出しかけた己の落ち着きを心の熊手でかき集めた。
「ビスケットなんです。明日のバザーで孤児院で出品する物なんです」
眦を下げ少し苦笑しながらも紳士は穏やかに話し続けた。
「重そうだね。何処まで持って行くの? 孤児院かな?」
アデルが頷くと紳士は柔かな笑みを引き締め畏まった態度で言った。
「私にレディーの代わりに箱を持ち供をする栄誉を下さいますか?」
紳士は恭しく右手を胸に当てて身体を少し傾けた。それは普段アデルが見たことも無いような洗練された仕草だった。
アデルが紳士の言葉に驚いている所へ別の声が割り込んできた。
「アデル!」
家業の雑貨屋の配達をしているダンテだ。大伯母さまは彼のお店の古くからの常連で、週に二度、用事を聞きに寄ってくれる。先程アデルを呼んだのは彼だったらしい。ダンテは紳士の方に向かって軽く頭を下げるとアデルに向き直って話し出した。
「今から孤児院行くのか? 俺も行く所だから、荷物持ってやるよ」
紳士の言葉に固まっていたアデルだが、漸くダンテの言葉に現実を取り戻し、紳士の方に向かって感謝の言葉と共に有り難い申し出を辞退した。
「ご親切なお申し出に感謝します。ですが友人が手伝ってくれるので、遠慮します。重ね重ねありがとうございました」
アデルが箱をダンテに渡し、言い慣れない丁寧な言葉遣いで礼を言い、紳士に向き直ってしっかりと頭を下げると紳士は残念そうにしながらもそれ以上押し切ろうとはせず、「じゃあ、気をつけてね」と言って去って行った。その後ろ姿を暫く見送っていると痺れを切らしたダンテに早く行こうとせっつかれた。
「待ってよ、ダンテ」
アデルよりも二、三拍早く踵を返し歩き出したダンテの後を慌てて追う。何故だろう、なんとなくだがダンテの機嫌が悪いような気がする。
こういう時は余計な事は話しかけずに、黙っているのが一番いい。
そう考えたアデルはダンテの隣を遅れないように気をつけながら一生懸命に歩いた。
「さっきの人…」
「え、なぁに? ごめんなさい、よく聞こえなかったわ」
「…いや、なんでもない」
「そう」
「アデルの知ってる人か?」
「今の男の人の事? いいえ、知らないわ。ダンテは? 知ってるの?」
「………」
「ダンテ?」
「ほら、行くぞ。みんな待ってる」
アデルの質問に返事もせずに急にスピードを上げて歩き出したダンテに、アデルは訳も分からずただ付いていくだけだった。
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