31 森森 (4)
「あ、あの子は勝手にいなくなったんですよ、なんで……」
小さく呟くように言いながら、最後には青くなって黙り込んでしまったおばさんを放置して、レイモンとサミュエル司教は外へ出た。
待っていた男達と集まりレイモンが捜索の指示を出す。チラリと視線をやると窓からこちらを覗く影があった。
やがて男達が三手に分かれて散っていき、レイモンとサミュエル司教は乗ってきた馬車に乗り込み来た道を戻って行った。
馬車は暫く道なりに走った後、二人を降ろすと再び走り出した。
「どうですか? 何か分かりましたか?」
司教がレイモンに尋ねるも、
「ここからですよ、さあ、我々も急ぎましょう」
と言ってレイモンは何も答えなかった。
二人は道を逸れ、目立たぬように移動を続け、やがて積み上げられた干し草の陰に身を潜めているダンテと合流した。
「どんな様子だい?」
「何も。 そっちはどうだったんですか?」
「うん? しっ! 静かに。出て来たぞ」
三人は慌てて身を潜めた。
視線の先では先程訪れたばかりの家の扉が開いて、中からおばさんが出てきた。
おばさんは辺りをキョロキョロと伺った後、何処かへ向かって歩き出した。
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捩りすぎて痛くなった手足、押し込められた狭い空間、過ぎていく時間はどうにもとめられず、焦燥と後悔の繰り返し…
今のアデルにはもう何もかもが自分を責め立て嘲笑い踏み付けてくるように感じられた。
悪いのは自分。欲張ったのは自分。身の程を顧みず、分不相応なものに手を伸ばしたのは自分だと、だからこんな目に遭っているのだ、今からでも遅くはない、元の孤児の、居候の、お情けで面倒を見てもらっている田舎娘のアデルに戻れと、世間が自分を笑って囃し立てているようで。
希望の光が眩しかった分、絶望の暗闇は深くその深淵に引き込まれそうになった時、腰の辺りにゴリッと何かが当たり痛みが走った。
丁度スカートのポケットの辺り。
そこに入れていたのは孤児院で子供達に貰ったお守りの石。ポケットから出してカバンにしまった筈だが一つポケットに残っていたらしい。
頑張ってと言ってくれた皆の笑顔を思い出す。あの時アデルは返事したはずだ、なんでも出来そうだと。
それなのにこんな所で挫けて何もかもおばさんの思う通りになってしまうの?
「そんなことない、大丈夫」
幾度目かの暗い思考が浮かぶのを無けなしの活力でもって振り切り、ついでに目元に湿った何かが迫り上がってきたのも瞬きで振り払う。
「私は、悪くない」
それは理不尽な目に遭った時の幼い頃からのアデルのおまじない。
「まだ、もう少しだけ我慢するの。それ位、頑張れる」
そうして自分を何度も鼓舞して頑張ってきた。
大丈夫、自分で自分を信じなくて、誰が信じるの?
何度目かの思考の渦に巻かれつつあった時、アデルの耳に微かに草を踏み鳴らす音が聞こえた。
誰か来た? それともまた森の獣だろうか?
似たような音を聞く度に恐れたり期待したりと気持ちは綯い交ぜになったがしかし、そのどれも空振りに終わりこれまで小屋の扉が開く事は無かった。
けれど今回は、サクサクと草を踏む音が人の足音のようにも聞こえる。それに、微かに人の声らしきものも。
じっとしていれば、自分に気が付いて貰えずに立ち去ってしまうかもしれない。何とかして小屋まで入って来てもらいたい。そう思ってアデルは自分を隠すように積み上げられた薪を見上げ、不自由な両足で力一杯に何度も蹴った。
「王都の人もこんな所まで探しに来て物好きなもんだ」
最後尾を行く男がずっと非難めいた言葉を口にしていた。
「オレなら街道を追っかけますね。きっと今頃隣町で買い物でもしてんだ、女ってのはそんなもんだ」
男は頻りに持論を展開するが、先を行く二人は耳を貸す風もなく黙々と草木をかき分け進んで行った。
「もうすぐそこです」
先頭を行くダンテが後ろのレイモンに告げる。
そのダンテの頭の向こうに森の木々とは違う茶色い塊が枝の合間から見えていた。
薪小屋に着くと扉に鍵が付いていた。新しくはないが錆びてもいない。
「鍵を開けくれ」
レイモンが言うと
「鍵? ああー、うっかりしてた。鍵を持ってくるのを忘れたなあ」
すんませんと肩をすくめて笑うジンキムを冷めた目でレイモンが睨んだ。
「おかしいよ。いつから鍵なんかつけたんだ? 前は付いてなかったじゃないか!」
ダンテがジンキムに詰め寄った。
「前はな。
オレが管理してんだ。付けようが付けまいが、オレの勝手だろ。
さあ、どうするね。一回引き返してオレがまた見に来てやろう。アンタ、また来るのは二度手間だろ」
ニヤニヤ笑いながら話すジンキムをレイモンは呆れた様に見ていたが何かに反応するや"しっ"と手を軽く上げて場を制した。
シンと静まり返る周囲には森の小鳥の囀りと風が木の葉を揺らす音しか響かない。
「何が…」
小声で話しかけたダンテの耳にもその音が聞こえた。
"ゴンッ"
「あ…」
微かな微かな音。何かがぶつかるような振動を伴った低い鈍い音。
そんな物音が聞こえたような気がして、二人は耳を澄ました。
「さ、さあ、もういいだろう。帰ってくれ。関係ないヤツは小屋に近寄るな」
突然怒ったように喋り出したジンキムからさらりと身を躱し、レイモンは小屋の扉に体当たりした。
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