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 29 森森 (2)

 



 後ろでジンキムが何やら叫んでいたが、その声は駆け出したアデルの踏みつける落ち葉の音にかき消された。


 ジンキムの言動を不審に思ったアデルが鎌をかけた所、彼はまんまと引っかかった。

 カラムの実はずっしりと重く、どうしたってあんな軽い茸と間違うはずがない。

 という事はジンキムは籠なんて知らないのだろうし、おばさんの籠は勿論薪小屋には無いのだろう。


 来た道を走って戻り、背の高い藪を潜り抜ける様にして道なりに曲がる。もうすぐ森の入り口に辿り着こうかという先にーージンキムの待ち構える姿があった。ジンキムはアデルを見つけるとニヤリと嫌な笑いを浮かべた。



いやだ。絶対に捕まりたく無い。



アデルは思わず二、三歩後退ると、左手の木立の立ち並ぶ森の中へと走り出した。


そこからはもうどこをどう走ったのかも覚えていない。

兎に角ジンキムから逃れる為に、生い茂る枝葉の間を通れる道を求めて只管に突っ走った。


 森に着いた頃はまだオレンジ色の雲が薄ら伸びてきただけだった空もいつの間にか怪しげな薄紫色に変わり森の中は明かりのない暗闇に染まりつつあった。

 枝を避け倒木を跨ぎ木立を縫う様にしてアデルは必死に駆けた。後ろから追う人影を確かめる事すら恐ろしく、今や来た道を見失い戻る方角すらあやふやだった。


 そうこうしている間にも森は夜の帳に覆われていき、気がつけば木々の合間からは明るい満月が垣間見え、その優しい月明かりが走り続けてすっかり重くなった足を懸命に動かして進むアデルを励ましてくれているように感じた。




 ああ、足が重たい。思うように上がらない。けれどここで躓いて転べば一巻の終わりだ。お願い、私の足、どうか動いて!




 優しく照らしてくれていた月明かりを塞ぐように、不意に目の前に大きな影が現れた。

 ひゅっと息を呑んで立ち止まる。

 行く手を阻む影からにゅうっと黒い手が伸びーーー





 そしてアデルは捕まった。





 ******




 ーー翌日。




 大伯母の家ではいつまで待っても姿を見せないアデルに、何かあったのではないかと朝から大伯母とカーラがやきもきしていた。そこへサミュエル司教が見知らぬ男を一人伴って訪れた。



「わざわざおいで下さったのに、申し訳ありません。今、ダンテを使いにやりましたので、暫くお待ち下さい」



 大伯母は司教と侯爵の使いだという男性を居間に招き入れた。


 本来ならばワイデマン侯爵自らアデルを迎えに来るという話だったのだが、男の話では侯爵は急用で来れなくなり、自分が代わりにアデルを迎えに来たのだという。王都での滞在中も帰りの道中も全て自分が一任されているので安心して任せて欲しいとレイモンと名乗ったその男は告げた。


 三人でその様な話をしていると、カーラさんがダンテを連れて入ってきた。

 ダンテは余程急いだのか息が荒く額には汗が滴れている。



「ダンテ一人なの? アデルは?」



 大伯母が怪訝な顔でダンテに話しかけた。



「…っ、行ってきたけど、アデルはいなくて、アデルのおばさんが、これを…」



 ダンテが顔を歪めながら握りしめていた紙を大伯母、リンド夫人へと渡した。



「なんてことだろう…」



 一目見るなりリンド夫人は眉を寄せた。そしてその紙を司教へと渡すと、サミュエル司教も目を通した途端に怪訝な表情を浮かべ考え込み出した。



 事態が飲み込めないレイモンは黙って事の成り行きを見守っている。やがて司教が口を開いた。



「ダンテ、家を訪ねたらアデルはいなかったんだね? それでアデルのおばさんが出てきたのかね? 最初からどんな様子だったか話しておくれ」



 司教に促されて漸くダンテも落ち着いて話し出した。



 アデルの家に着いたらおばさんが出てきてアデルはいないと言ったこと。

 おばさんが起きた時にはアデルはもういなかったらしいこと。

 テーブルの上に手紙が一枚残されていたこと。

 おばさんは「アデルはきっと怖気付いて逃げ出したんだよ、傍迷惑な子だ」と言ってこの手紙を大伯母に渡すように頼まれたこと。



 一同の間に重い沈黙が落ちた。



「宜しければその手紙を私にも見せて頂けませんか」



 そうレイモンに言われて司教が手紙を渡すと、レイモンは手紙をじっくりと読み、余白や紙面の裏を返したりしてみた後、三人に尋ねた。



「この字は間違いなくアデルさんのものですか」



「ええ、私はアデルの勉強をみていたので知っていますが、それは彼女の書いた字です」



「そうですか。紙も汚れも皺もなく綺麗ですね。

 昨日アデルさんは何か変わった様子はありませんでしたか?」



 サミュエル司教がリンド夫人へ視線をやると夫人も(かぶり)を振っていた。



「…そんな訳ない…」


「ダンテ?」


「アデルが、逃げ出すなんて、そんな訳無いじゃないか! アデルは楽しみにしてたんだ。王都の学校のこと! 勉強が楽しいって! 侯爵さまの期待に応えたいって! なのに!」


「ダンテ…」


「昨日だって! もう荷造りは済んでるって。今日侯爵さまが来たら直ぐに発てるようにしてあるって。司教さまとの最後の仕上げが終わったらすぐに帰って早めに寝るんだって、カーラさんと俺に言ってたんだ」



 その話を聞いてレイモンが司教に向き直る。


「昨日は最後の仕上げを? どんな感じでしたか? 別れる時の彼女の様子は?」


「ええ、もう言う事なんて何もありませんでしたよ。これならきっと合格すると太鼓判を押しました。アデルにきちんとそう伝えましたし、彼女も嬉しそうにして帰っていきました。そう、それなのに…」


「それなのに?」


「いえ、今言ったように、アデルは非常によく学んでいたのです。なのにこの手紙では、"(わたし)"と書くところを"あたし"と書いている。それも二回も。こんな書き方をする子ではないんです」


「ふむ…」



 レイモンは再び手紙に目を落とし暫く考え込むと、アデルのおばさんについて細かく質問しだした。

 訪ねた時のおばさんの服装、様子、何をしていたか、普段の二人の関係、交流のある人々、暮らしぶり等々。



 大人三人が頭を抱える中、ダンテが痺れを切らしたように大きな声を挙げた。


「きっと何かあったんだ! 俺、アデルを探してくる!!」


 そう言って飛び出しかけたダンテの後ろ襟首をむんずと掴む手があった。驚くダンテが振り向くと礼儀正しそうな穏やかな笑みを浮かべたレイモンが宣言した。



「口の固い者を数名集めて下さい。アデルさんを探します」







 司教とダンテの口伝てで人数を集めレイモン指揮の元捜索隊が繰り出され普段は物静かなリンド夫人の家をバタバタと人が出入りし、やがて全員が出ていくとカーラは片付けの為居間に入った。

 脇の小机の上に広げられた紙に目を落とすとやれやれといった風に首を振り早く無事に見つかりますようにと祈った。







 悪いのはあたしです。

 全部、あたしのわがままでした。

 ごめんなさい ーアデルー






お読みいただき、ありがとうございます。

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