25 手紙 (2)
ワイデマン侯爵からの手紙を受け取った後しばらくの間は穏やかな日々が続いた。
あの後、三月もすれば入学試験だというのにも関わらず、一月過ぎた頃侯爵はまたもやこの町までやって来た。
(侯爵様、二ヶ月に一度位、ここへ来てるんじゃないかしら。大丈夫なのかな…)
いくらアデルが田舎の町しか知らないとはいえ、王都との往復にどれ程の時間と労力が取られるか分からないほど無知ではない。
それでも疲れた様子を見せずに(否、実際には目の下に薄っすら隈が見えるのだが本人は頑なに疲れていないと言い張るので)孤児院へ、アデルの所へと訪れ学園の話や試験のアドバイスをくれる。
(こんなにして貰ってるんだもの。落ちる訳にはいかない。絶対に受かってみせる)
そう固く決意するアデルだった。
そうは言っても侯爵もやはり無理をして王都を抜け出してきたようで。
中2日で再び馬上の人となった。
次に逢うのはアデルが入学試験に向かう時になる。
「私が迎えに来るから何も心配せずに待っていて。
試験が終わったら王都を案内しよう。美味しいものもご馳走するからね」
そうアデルに約束をしてワイデマン侯爵は王都へと帰っていった。
ーー次に逢うのは入学試験の時ーー
侯爵を見送ったアデルはいよいよ学園の入学試験が近づいているのだと実感した。
◇◇◇◇◇
一方、その頃のワイデマン侯爵邸のとある一室では。
侯爵邸の南側、庭を見渡せる陽当たりの良い一室には今や所狭しと箱が積み上げられ、クローゼットにはサイズの微妙に違う服が色とりどりにたんまり納められていた。
執事のセバスはそれらを見渡し、ため息と共に先日の己の主との会話を思い出した。
こんなに一杯買い込んじゃって。どーするつもりですか、一体!?
だって仕方ないじゃないか! つい目がいってしまうんだ。あれも似合いそうだ、これも喜びそうだと思えば、気になって買わざるを得ないだろう。
だからって服なんて、サイズも知らないのに買っても無駄でしょうに。
服は、あの娘に似合いそうなデザインだと思って。こうして買っておけば、オーダーする時に服を見せてこのデザインでと言えば済むし、あの娘に似合うデザインを他の娘に着られずに済むじゃないか。それにサイズは当て推量だが、少し調整すれば着れるかもしれないだろう。
ふんすと荒い息を吐き、そう主張する主はかつて無い程必死の様相で、しかし息を吹き返して水中を泳ぐ魚のように生き生きとしており、以前のネジ巻き人形のようだった四角四面の人物とは別人のようであった。
ーーーやれやれ、この様な日が来るとは。
未だ会った事のない部屋の品々の主に対し、どうか己の主を傷つけるような事には至ってくれるなと、セバスは密かに案じるばかりだった。
◇◇◇◇◇
はあっ、はぁっ、はあっ、はぁっ…
前もよく見えない暗い木立の中を闇雲に走る。木の根に足を取られないように、伸びた枝に体が捕まらないように。
どれくらい走っただろうか。
今日が満月で良かった。葉陰から漏れる月影を頼りにとにかくひたすらに走る。
何処といって目的地もない。今はただ、走れるだけ走るだけ。早く、急いで、もっと遠くへ。
せめて相手が諦めるまでは走り続けないと。
そうしなければ。
ああ、足が重たい。思うように上がらない。躓いて転べば一巻の終わりだ。お願い、私の足、どうか動いて!
不意に目の前に大きな影が現れた。
ひゅっと息を呑んで立ち止まる。
行く手を阻む影からにゅうっと黒い手が伸びーーー
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