24 手紙 (1)
ワイデマン侯爵からのアデルへの手紙はサミュエル司教宛の手紙と共に教殿へと届けられた。
アデルは生まれて初めて自分宛の手紙を受け取った。これまで誰もアデルに手紙をくれたりはしなかった。そもそもそんな知り合いがいない。
アデルはサミュエル司教から差し出された手紙を壊れ物のように大切に受け取ると手の中のそれを暫くじっと見つめた。
ワイデマン侯爵から送られた手紙ーーその上等な封筒の白さに目を瞠り、繊細な紙の手触りを充分堪能した後、慎重に封を切った。
開封した口から広がる香水の芳しい匂いに軽い驚きを覚え高貴な身分の習慣に感嘆し、鼻腔一杯に吸い込んだ。便箋を開けば流麗に綴られたフレデリックの文字が目に入る。アデルは幾度も指でなぞりそれはその後のアデルの字のお手本となった。
手紙はアデルの体調から勉強の捗り具合や生活の事、その他困っている事はないか等をたずねる内容が主で侯爵の細やかな気配りが感じられた。読んでいると知らない内に張り詰めていたアデルの心の緊張が解きほぐされていくようで、胸の中がじんわりと暖かくなっていく。
侯爵からの手紙はまるで護符のように肌身離さず持つようになった。
今日も孤児院の裏のいつもの切り株に座って休憩がてら、飽きもせずに何度も手紙を読み返していると、木戸の軋む音に続いて誰かが草を踏んで此方へとやってくる気配がした。
「ここにいたのか」
「あら、ダンテ。配達帰り?」
気のおけない幼馴染の登場にアデルは慌てて持っていた手紙をしまった。
「なんだよ、また侯爵さまからの手紙を読んでたのか」
「う、ん… 別にいいでしょ、読むための手紙でしょう?」
ダンテに直球で指摘され、頬を染めたアデルが少し唇を窄ませて苦し紛れに言い返すが、ダンテは怯んだ様子も無く呆れ顔を隠しもしなかった。
「カーラさんからの伝言だ。帰りに膨らし粉を買って来てくれってさ」
「え? まだ缶に半分位あったと思うんだけど」
「それが缶をひっくり返して粉まみれだったらしいぜ」
ニヤリと笑いながら話すダンテは何故だか楽しそうだ。
「カーラさん、大丈夫だったのかしら」
粉は目に入ると痛いし頭に被ると髪の毛の間に入って厄介だ。それでなくても後の掃除が大変なのに。
「カーラさんは大丈夫さ」
戯けた感じに愉快そうに断言するダンテをアデルが不思議そうに見る。
「どうしたの? どうしてそんな風に言うの?」
(やけに勿体つけた言い方をして、ダンテったら一体何が言いたいのかしら)
早く教えてーーとばかりに話に食いついて来たアデルに満足そうな顔のダンテが胸を張って答えた。
「缶をひっくり返したのはアデルんとこのおばさんなんだ。だから粉を被ったのも勿論おばさんさ」
聞いてすぐには何とも言葉が出なかったが、次の瞬間、二人は示し合わせたかのように同時にぷっと吐き出すとお腹を押さえて笑い出した。
大伯母の家に用事でやって来たおばさんが、カーラさんのいない間に台所に入ったらしい。大方小腹が空いて何か甘いものがないかと缶を開けて回っていたのだろう。
確かに大伯母の家の膨らし粉は花柄の可愛い缶に入っている。お菓子の缶に見えないこともない。けれど持った感触でクッキー等とは違うと分かりそうなものなのに。
(なんだっておばさんはそんな缶を開けたのかしら)
目の端に滲み出た涙を拭き笑いを収めながらアデルはそんな事を考えた。
蓋が固く閉まってなかなか開かない缶を抱え込むようにして力任せに引き剥がした所、勢い余って中から粉が飛び散ったらしい。飛び散った粉はおばさんの顔面を直撃し、また胸の辺り一面を白く塗り替え床にも撒き散らされた。そこへ丁度カーラさんが戻って来て現場に遭遇して……という一連の話をその後ダンテからアデルは聞いた。
「おばさんったら、缶を持った時に分からなかったのかしら」
「きっと粉砂糖だとでも思ったんじゃないか」
砂糖のような甘味料は高価で、中でも粉砂糖となるとこんな田舎の町ではそうそうお目にかかれない。
けれど大伯母の家には偶に都会の知人が粉砂糖を送ってくれていた。その度におばさんは大伯母から少しお裾分けを貰っていて、一人でこっそりパンやクッキーにふりかけたり、豆を炊いたものに粉砂糖をまぶして食べたりしていた。
おばさんはアデルに見つからないようにやっているつもりだろうが、狭い家なのだし無理がある。それに別にそんな事をされてもアデルは特になんとも思わなかった。一人で隠れて食べる姿を見てもさもしいとは思えども、それが羨ましいとは思えなかった。
二人で粉を被ったおばさんの様子を想像して込み上げる笑いを我慢出来ずに心ゆくまで笑い転げた。
カーラさんもチャキチャキとした人なので、そんなおばさんに「何やってんだい」と追い討ちをかけたという。わざわざ騒ぎ立て大伯母の知る所となり、しどろもどろのおばさんに最後は綺麗に床掃除をさせて退散させたというのだから大したものだ。
大伯母にまで知られてはおばさんもさぞかし座りが悪かっただろう。
カーラも日頃子供のアデルに大伯母の世話を押し付けておきながら、甘い汁だけはしっかりと吸いに来るアデルのおばの事を以前からあまりよく思っていなかった。
「この前のアデルの仇はとったからって、アデルに伝えてくれってさ」
笑い止んだ後にダンテに軽く言われて初めて、アデルは先日の一件でカーラさんにも心配されていたのだと知った。
アデルに知らせる為にカーラさんはわざとダンテに膨らし粉のお遣いの言伝を頼んだのだ。
(私の周りにはなんて優しい人達が多いのだろう。
きっと自分が思っている以上に私は皆に思いやって貰っているんだ。
私は独りなんかじゃない。皆からのちょっとずつの優しさで生きていけてるんだわ)
そう心の中で呟くとアデルは自分も周りの人の優しさに応える為にもっと頑張りたいと思えた。
お読みいただき、ありがとうございます。




