22 打擲 (3)
孤児院に来たアデルのいつもと違う様子にサミュエル司教も気付いていた。何かあったのだろうか?その疑心を裏付けしたのはその後こっそりやって来たダンテの言葉だった。
「アデルの顔が腫れている。きっと叩かれたんだ。腕も怪我してるみたいだった」
必ず事情を聞き出して怪我の確認をして欲しいと、朗らかで明るいダンテがいつになく悲しげで真剣な顔をして言うのに承知の返事をし、ダンテを帰して炎症を鎮める薬草水の小瓶を手にアデルを探した。
アデルは一人庭の隅で貸し与えた歴史の本を読んでいる所だった。
(いつもならここでは計算問題や文章題などの勉強をするのに)
本を読むだけなら家事の合間や時間の空いた時に出来るからとアデルは孤児院での纏まった時間には筆記問題などの解説や添削が必要な勉強をしていたのに、今は帳面を広げる事もなくひっそりと目立たない場所で本を読んでいるだけ。やはり何か違和感があった。
そうして近寄って話を聞いてみれば案の定、家に帰るなりぶたれたという。話すうちに取り乱したアデルの心配を要約すると、ぶたれた事実よりぶたれる程反対された事で話が大きくなり学校に行けなくなる事のようだった。
(きっと昨日、リンド夫人がアデルの学校の件を話したのだな。リンド夫人はなんの心配もしていないようだったが)
「おばさんが反対したからと言って、アデルが学園に行けなくなることはないから、安心おし」
そうはっきりとサミュエル司教に告げられて、アデルは少しほっとした。
アデルの心配は唯々、学園に行けるかどうかの一点にあった。
元はと言えば侯爵に勧められて決めた事ではあったが、日を追う毎に夢が膨らみ、今では学園に行く事はアデルにとって唯一の希望の星となっていた。
「…本当ですか?」
「本当だとも」
薬箱を仕舞いながら司教はアデルを安心させる為に殊更気持ちを込めて応えた。
ぼろぼろと泣き出ししゃくり上げていたアデルが落ち着くのを待って、その後場所を奥の物置き部屋(小さい子達にはお説教部屋として恐れられている)に移し、アデルは右肩の怪我を司教に丹念に調べられた。赤紫のアザが右腕の上部に広範囲に広がり、若干腫れていたが、結果は単なる打ち身で済み、痛みのある間は余り動かさないようにと言われた。
小瓶に入っている水を布に浸し、頬を拭った。ハーブのスッと爽やかないい香りがした。
優しく手当され言葉で慰められ不安の要因をしっかりと否定されて、昨夜から消えなかった胸の中の底冷えするような重たい気持ちがやっと軽くなっていった。
「私からリンド夫人に彼女によく言ってきかせて貰えるように話をしよう。それならー」
「いいえ、司教さま。そんな事しなくても大丈夫です。おばさんも、もうぶったりはしないと思います。私が今まで通りにちゃんとおばさんの言いつけを守って大伯母さまの用事もすれば、おばさんももう怒らないです、きっと」
アデルの余りにも真っ直ぐな返事に、(そうそう世の中が単純に行くとは…)と返すには、アデルの純粋な心根を穢すようで憚られ、困り顔になるサミュエル司教だったがこの時、もっとしっかりと世の中の醜い側面についても説いておくべきだったと後から後悔する事になった。
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