21 打擲 (2)
孤児院の手前でダンテの姿が見えた。手ぶらなので配達の帰りのようだった。
今会うのは憚られ、アデルが歩みを進めるのを躊躇していると先にダンテに声をかけられてしまった。
「アデル!」
「お疲れ様。私、今から孤児院に行く所なの。急ぐからじゃあね」
俯き加減でダンテの右側を急ぎ通り過ぎようとしたアデルをダンテの右手が捕まえた。
「どうした……」
「あぁっ!」
右腕を掴まれた瞬間、アデルの口から小さな悲鳴が上がった。
驚いたダンテが慌てて手を離すとアデルは反対の手で庇うように右腕を抱え込んだ。
「ご、ごめん。痛かったか? そんなに強く掴んだか?」
オロオロと謝りながらアデルの顔を覗き込んだダンテは途端に表情を変えて黙り込んだ。
「…何でもないの。ちょっとびっくりしただけよ。ダンテのせいじゃないわ。急ぐからまたね」
「アデル!」
口早に言うと、ダンテの呼ぶ声にも足を止めずにアデルは逃げるようにして小走りに去った。ここであれこれ聞かれ、余計な心配をされて事を大きくしたくはなかった。大丈夫。こんな事、大した事じゃない。
子供達への授業も終え、孤児院の庭の隅で本を読んでいるとサミュエル司教がやってきた。手には小瓶を持っている。
今日のアデルの勉強は今読んでいる歴史の本を読んで理解し覚える事なので、サミュエル司教自ら教えてもらう勉強はなかった筈なのだが、何か他の用事だろうか?
「アデル、その本は難しくないかな。分からない所や、おかしいと思った所も訊いていいんだよ」
「ありがとうございます、司教さま」
顔を上げずに礼を言うアデルを司教は哀しげに見つめると
「アデル、これを」
と言って手に持っていた小瓶を差し出された。
「炎症を鎮める薬草水だ。気休め程度だろうが、女の子の顔は大事にしないと」
「…ありがとうございます…司教さま」
やはりサミュエル司教には分かっていたようだ、今日最初に顔を合わせた時には何も聞かれなかったのでこのままやり過ごせると思ったのは甘かった。
アデルは膝の上の本を右手で押さえたまま左手でその小瓶を受け取った。
「今少し塗るといい、開けてごらん」
開けようとして左手で栓を引くがなかなか抜けない。力が入りすぎたのか、小瓶が右手から飛び出して地面に転がった。
「あっ」
サミュエル司教は小瓶を拾うと俯くアデルの正面にしゃがみそっとアデルの両腕を手で掴もうとした。
司教の手が腕に届く直前でアデルが右肩を後ろに引く様子に司教は見当を付けると今度はアデルの手に小瓶を握らせそのまま両手でそっと優しく包み込んだ。
「アデル、頰だけでなく肩や腕も怪我をしているね? 何があったのか、話してごらん。どうか怖がらないで」
こうなってしまっては逃れられない。お腹の中から黒く重たいものが喉を押し上げてくるようだった。
「司教さま、私、だめですか? もう、学校に行けないの? どうしよう。どうしたら…」
「アデル、落ち着いて。ゆっくりでいい」
アデルは昨日家につくなりおばさんにぶたれた事をサミュエル司教に打ち明けた。
「おばさんは私なんか学校に行けないって。本当ですか?」
話しているうちに、昨日の恐怖が甦ったのか、アデルの顔色が酷く青くなっていった。
「よく話してくれたね。痛かっただろう。こんな事はよくあるのかい?」
「いいえ」
そう返事しながらアデルはぶんぶんと首を横に振った。
「初めてなんです。おばさんもどんなに怒ってもいつもはぶったりしないの! しょっ中怒るけれど怒ってもご飯を抜かれたりとかで、だから…」
だから、初めて頬を張られる程、アデルが学校に行く事は許されない事なのだろうか。おばさんがあれほど本気で反対するのならきっと大伯母さまも気が変わって王都の学校へなんぞ、行っては駄目だと言い出すかもしれない。
「だから? アデル、だから彼女は悪くないとでも?」
司教は険しい顔を見せて言った。
「違うよ、アデル。例えそうだとしても、食べさせられるご飯があるのに食べさせないのも立派な暴力だ」
「そんな…… でも、でも、おばさん、凄く怒ってて。どうしよう。司教さま、お願いです。何も言わないでください。知らなかったことに…」
言いながらアデルはサミュエル司教に縋りついた。いつの間にか目にはなみなみと涙が溢れてきた。
何もなかった様に振る舞えば、おばさん一人が怒っているだけで済むかもしれない。その内本当に何事もなくなっておばさんだって忘れてくれるかも。
「アデル、落ち着いて。大丈夫だから。大丈夫」
司教の“大丈夫"と繰り返す言葉にアデルは涙を堪えてしゃくり上げるばかりだった。
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