17 転機 (4)
侯爵はこの紙に書かれた内容を誓約書に仕上げ直すと強く言ったそうだが、大伯母は司教が仲立ち人となっているのならば必要無いと断ったそうだ。これ以上貴族と深く関わり合いになりたくなかったのだろう。その上…
「侯爵様はお前を学院へ入学させたいと仰っていた」
と大伯母が言った時にはアデルは座っているソファの上で石のように固まった。
確かにアデルが返事をした時に、どの学校の試験を受けるかという話になり、まあ、最初から騎士・士官を目指す騎士学校はアデルには無い選択肢だったので、では学院と学園のどちらかとなるのではあるが。
侯爵に聞いた話では学院とは主に貴族の子弟が通う格式のある学校のはずだ。
それに対してアデルが進学を思い描いたのは将来の文官・女官を多く輩出する学園。こちらならば卒業後、アデルのような平民の孤児でも何かいい職を得る事が出来るはずで。
あの時侯爵はアデルにその気があるならば、もう少し本格的に勉強し基本のマナーを身に付けて、自分が後見となり学院に通わせたいと言ってくれた。
アデルが自分の身では学院は無理だと言うと、何処で聞いたのか侯爵はアデルの亡くなった養父母の実家は元は騎士爵でちゃんとした貴族に仕えていた一族なので、学院に通うのに不都合はないと言う。それでも不安なら自分の親類縁者を名乗れば良い、後見するのは変わらないのだからと言ってくれた。
因みに学院は通う学費さえあれば騎士爵の下の準騎士爵位から入学が許されているらしい。
よくよく考えてみれば養父母の家の話は司教が大伯母から聞いていたのだろうし、アデルが養女なのは流石に知らないだろう。それはアデルと大伯母だけの秘密だった。だから学院をなどという話が出せるのだ。
養父母が亡くなり親切な村の人が連絡先の分かる唯一の親類として大伯母に便りを出してくれた。その後アデルを村まで迎えに来てくれたのがおばさんの旦那さんだった。
行商を生業とする旦那さんーおじさんは行商がてら迎えに来て、対面するなり"お前の大伯母に頼まれて迎えに来た。飯が食いたかったら大人しくついて来い"と一言告げるとやはり行商しながらこの町に連れ帰ってきた。
おじさんは悪い人ではないが愛想も無く自分本位な人で年がら年中行商に出ているので家に帰ってくるのは一年に一度ほどだ。一月か二月も家に居ればまたふらりと出て行く。そんな父親の姿を見て育ったせいか、おばさんの一人息子のネイソンも一年程前から"行商"という名の放蕩の旅に出たきりだ。そんなおばさんをアデルは少し可哀想に思えた。
そんな訳で不安ながらも大人しくついてきたアデルは大伯母との初対面の場で大伯母が「私はお前の母親の親類です。父親は天涯孤独の身と聞いているから、お前の身内は私だけ。だから私はお前を引き取りました」と言った時、「じゃあ、おばあさんも私をヨウジヨにするの?」と聞いた。
それは幸い二人きりの時だったので厳格な顔立ちの大伯母はもっと厳しい表情になって慌てて声を潜め、「お前は自分が養女なのを知ってたの? けどこれからはこの事は誰にも言ってはいけないよ。私とお前だけの内緒にしなさい」とアデルに話した。
六歳のアデルに"内緒"という言葉は酷く恐ろしく響き、これを破れば養父母を亡くした以上の怖い事が起こりそうで、ぷっくり膨らんだ頬を強張らせて首肯いた。
だからアデルは今回、
(どこの馬の骨とも分からない私が学院だなんて、どうしよう……)
と密かに心配していたのだが、用紙に記入された最初の一文を読んでアデルは安堵の息を吐いた。
一つ、入学試験を受ける学校は学園である事。
その他には試験を受けるまでの教材費から交通費、入学後の授業料等諸々の費用は侯爵が負担する事等、金銭面での事や入学前、入学後も侯爵が全て責任を持ち大伯母には決して迷惑をかけない代わりに大伯母は責任もなければ関与もしない事など諸々の事柄が書かれていた。
そして町を離れるまではアデルは今までの生活を続ける事が出来るらしい。
但し、以上の事柄は大伯母の生活に配慮した上でならある程度の融通を利かせても良いーーこれは入学試験を受けに行く為、数日町を離れる事を考慮しているのだろう。
大伯母はアデルが用紙の内容に目を通したのを確認するとその紙を書物机の鍵付きの抽斗に仕舞うよう、アデルに言いつけた。
アデルは大伯母にもう一度礼を言い、用紙を大事に抽斗に仕舞った。
そこからは怒涛の流れだった。滞在を一日延ばした侯爵は入学試験までの大まかな日程を組み、アデルへ今後の課題を与えると意気揚々と帰っていった。
残りの諸々の手配を侯爵が一手に引き受け王都で済ますという面倒でしかない雑用を戦利品とも間違えそうな勢いで捥ぎ取ったその表情はアデルに祭りの豚追いレースの決勝戦に出場を決めた近所の青年を思い起こさせた。
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