12 車輪 (3)
調査を進める男の胸の内の呟きなど知りもせず……
そんな農家にしては立派な、名士の館にしては簡素な一軒家からは人の生活の営みの印に煙突から一筋の煙が静かに立ち上っていた。
その屋根の下ではアネットの弟ハリーが背を丸め眉根を寄せ腕を組み落ち着きなく自室をウロウロしていたが、やがて何かを決意し顔を上げると壁に掛けてあった上着を掴み足早に戸口へと向かった。
「母さん、オレちょっと出てくる」
キッチンの横を通る傍ら、母親にそう声を掛けて彼は家を出た。
向かう先は同じ村に住むおじと慕う母の従弟、ガンティスのもと。
彼は同じ村内に住み、昔からよくハリーの家と往き来していた。
折良くガンティスは家にいた。家というか、畑仕事を切り上げ納屋で道具の手入れをしている後ろ姿を見つけたハリーは険しい顔をさせたまま手を握りしめてガンティスに近寄っていった。
「おじさん」
「おう、ハリー。見ろよコレ。もう駄目だな、刃が折れちまった」
そう言って見せて来たのは古びた大きな鋤鍬で、四本刃の他の刃もガタガタに曲がってはいるが内一本がポッキリと折れていた。
「ルードのとこに注文しなきゃなんねえな。この時期に余分があったかなぁ。そういや村の宿に行商の男が泊まってたな。あいつんとこにあるかもしんねえな」
行商の男と聞いてハリーの顔が一瞬歪められ顔色が悪くなる。
人目を憚るように辺りをキョロキョロ見回すともう一度、先ほどよりは幾分声を潜めておじさんとガンティスを呼んだ。
「その行商の男の事なんだけど、なんだか怪しいんだ」
「ああ? どうした、ハリー。お前、顔色悪りぃぞ」
ガンティスはハリーの言葉に取り合うことなく、立ち上って壊れた鋤鍬を隅にやると両手を腰で叩き大きく伸びをした。
「ふぁ〜あ! 毎日毎日、鍬やら土ばっかり相手にしてると自分が鼠か蚓じゃねえかと思っちまう」
お前もそう思うだろ?とばかりに丸まったハリーの背中をバシッと叩き横を通り抜けて呑気に他の畑道具に手を伸ばしかけた。
「おじさん、俺変な事聞いたんだ。あの余所者が村ん中嗅ぎ回ってるらしいんだ」
そう切羽詰まった声を上げるハリーの方へとガンティスが伸ばした手を止め、ああ?と怪訝な声を返して振り返る。
「なーにが。嗅ぎ回るって、何を」
「分からない。けど色々だ。村の連中、誰彼となく話しかけて、聞いてるみたいなんだ」
「だから、何をだよ!? どうせあれだろ? 話の延長で足りない物や無駄な物でも売りつけてんだろ」
「そ、それもあるかもしれないけど…」
そう返事した後、その考えを振り払うかのようにハリーは頭を振った。
「違う、違うんだ。あいつ、村の昔の話を聞いてるんだ。爺さんや婆さん捕まえて、十年位前の頃、何処で誰が何してたって…」
「爺さんや婆さん相手に昔話するなんざ、毎度の事だろうよ。オレは聞き飽きちまったがな」
がははと笑ったガンティスはハリーの前までやって来るとはっきりとした声で言った。
「オレにはお前が何を言いたいのかさっぱりだ。さっぱり分からねえ」
そう発せられた気楽な調子の言葉とは裏腹に、ガンティスの目はハリーを射抜き身から漂う空気は不穏な圧を放っている。
「そうだろ。こんな田舎のちっぽけな村にゃ、何も起こらねえし、探ったって何にも出て来やしねえ。オレらも何も知らねえ」
そこまで言うとふっと息を吐き、重くなった空気を払うかのように体を返すと両手を挙げて肩を竦めてみせた。
「気にし過ぎだ。ハリー。お前はいつもそうだ。行商人ってのは人と話してなんぼの商売だ。あれだ、車輪が壊れて注文してるって話だからな。話し聞いて機嫌取って品物売って。車輪代分、稼ぎたいんだろうよ」
まぁ、せっかく来たんだ、ちょっと寄ってけと、未だ顔色悪くオドオドした様子のハリーの肩に手を置きガンティスは納屋を後にし隣に建つ自宅へと向かった。
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