11 車輪 (2)
男達が酒場で語らう村からほどない距離に佇む一軒の家があった。
前庭には素朴な花が植えられ門扉から玄関口への小道を古い煉瓦が縁どっていた。
農家にしては立派な、かと言って名士の館というには簡素な家だった。
この辺りを治める辺境伯家の分家筋に当たる男がその昔村の娘を見初めてこの村に居を構えたのがこの家の始まりで、今も変わらずその血筋が住み続けている、そんな貴族の端くれとも言えない内実農家と変わらない者の家ーーそれがフレデリックの元妻アネットの生家だった。
先代ワイデマン侯爵であったフレデリックの父親が、フレデリックの妻にと決めたのがヒーヴァー辺境伯家が親戚筋から養女に迎えたアネットだった。
父親達が仕事の付き合いから互いの利益や両家の未来の為にと決めた完全なる政略結婚だった。
しかしながら二人の仲は悪くは無かった。
婚姻前は絵姿と文の交換の遣り取りのみで婚姻する為にフレデリックが辺境伯領へ来て初めて二人は顔を合わせた仲故、それなりにお互い遠慮はあったものの、少しずつ夫婦という形に慣れて歩み寄っていった。
それは政略結婚という形から始まった夫婦にしては理想的であった。
そう、そのまま何事も起きなければ。
誰も気付かない小さな波紋がやがて大きな波となって突然襲ってくるまで分からない様に、二人の仲はある日唐突に終わりを迎えた。
何も言わず終わりを決めて出て行ったのは妻であったアネットで、離婚を承諾し手続きをしたのは舅の先代ワイデマン侯爵だった。
今、この家にはアネットの母親とアネットの年の離れた弟が住んでいる。
十数年前に出戻ったアネットは辺境伯家には戻らず、数年この家で家族と暮らした後、これまた片田舎に住むトレスノという男爵に求められて後妻に入った。
父親は二年前に病で亡くなった。急に倒れてそのまま、呆気ない最後だった。
……とここまで問題なく調査は進んだ。しかしこれ以上がなかなか進まない。
離婚後、アネットが気落ちして一時家に引きこもっていたらしいとか、当時見かけた彼女の顔色が酷く悪くきっとワイデマン家で辛いめにあったに違いないと噂されただとか。
村の年寄りや口の軽そうな噂好きの婦人や旦那に話しかけては拾い集めた結果は大した情報にはならなかった。
アネット自身と交友のあった者にも会えず、そもそも誰とも交友して居なかったというのが調査を頼まれた男の結論だ。
ワイデマン家との婚約話のでる数年前、アネットがほんの十になる頃にはヒーヴァー家に行儀見習いの名の下、奉公に上がっている。落ち目の田舎暮らしの中、本家の貴族と縁を繋いで家の再興を願うまではいかずとも、歳の離れた弟の将来に何かしらの光明を見出したかったのかもしれない。
実際、二年後には辺境伯家の令嬢は婚約者がいた為に、本人の素質と素養が買われて本家の養女として侯爵家の婚約者となった。大出世だ。
予定通りに四年後16才になると侯爵親子がやってきてヒーヴァー家で盛大な婚姻式と披露目が行われ、大層な語り種になっていた。やれ、新郎は王都育ちの秀才だの、やれ新婦は控え目ながらも愛らしくうら若い、花も恥じらう16の幼妻だのと、田舎らしい野次があちこちで上がっていたそうな。
そんな話はどうでもいいんだがな。
肝心な話は聞けないのに、そんな余計な話ばかりが耳に入る事に多少の苛立ちを覚えるが、こういう余計に思える無駄話の中から意外に重要な糸口が掴める事が少なくない事を男は長年の経験則から知っていた。
依頼人の依頼内容は、彼女の離婚後三年程の動向。特に重点を置くのは彼女が出産したかどうか。
妊娠してたかどうかも分からないというのに、出産、しかも出産していた場合の子供の行き先なぞ、雲を掴むような内容に、最初は呆れ、溜め息しかでなかった。
だが、調査し始めて男の勘が告げる。曰く、臭い。匂う。
出戻った後、誰とも交流していない上、数年するとまるで最初からいなかったかの様に姿を消した。まぁ、遠く離れた地に嫁に行けばそんなもんと言えるかもしれないが。
これは一筋縄ではいかないと、腰を据えて調査を続けているが、当の依頼人からは矢の催促で、報告に挙げられる新事実もない此方はいい加減うんざりするのだった。
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