第四話 辻桐乃丞の非日常
お久しぶりです。
「なあ、あたしと一緒に昼飯食べない?」
「は?」
机に突っ伏していた顔を上げるとそこには昨日ヤンキーたちから救った女子、舞島マイカが立っていた。
少し顔を赤らめながら片手に持つのはかわいらしいピンク色の巾着袋、あれは弁当だろう。
「――えっと俺に何か用ですか」
「いや、そんなそっけない態度とるなよ! 別にはじめましてじゃないだろ」
ああ、最悪だ。もうすでにクラス中がざわめき始めており、学年ではカースト上位の舞島マイカがクラスに俺を認識させる機会を作ってしまった。
クソ、俺がこの帝総高校でこの立場になるのにどれだけ努力をしてきたと思っているんだ。
変にカースト上位になるよりもよっぽど難しいんだぞ、それなのにこの女は。
「分かった、でも俺弁当持ってきてないから購買まで行くんだ、どうせならついてきて」
「あ、うん。じゃあ昨日のお礼ってことであたしが奢るよ」
「――おい」
昨日のお礼、それはまずいだろ。
お前どんだけ口が緩いんだ! そう言いたい気持ちを抑えて「早く行こう」と腕をとってすぐに教室を出た。
――この選択をしばらく後悔することになるとも知らずに。
「なあ、購買って一回にあんのになんで上の階に行くんだ?」
「黙ってついてこい、クソビッチ」
「んなっ! わい、じゃなくってあたしビッチじゃねーし!」
教室を出てエロゲー御用達の最上階の屋上の手前の踊り場までやってきていた、もちろん最短距離で。
ここなら誰にも気づかれることなくこの密会を終えることができる。
だってセックスしたって誰にもバレないんだぜ、すごいだろ?
舞島はなんで? って顔してるが当たり前だ。お前には言いたいことがありすぎる。
「おい、お前どうして俺に絡んできた」
「ちょっ、なんで半ギレなわけ? いいじゃん別にご飯くらい」
こいつマジでわかっていない。
おそらく彼女の中では昨日の約束はこう解釈されているのだろう、「助けてくれたことだけ言わなければそれでいい」と。
「お前と俺はダンス部の練習の時会ったきりのはずだぞ、いきなり話しかけてくるのは不自然だろ。あとこれも言っとくが俺は今半ギレじゃない、ガチギレしてる」
「いやいや、だって助けてくれたお礼とか言いたかったし……。あ、これ言っちゃダメな奴だった」
舞島は地べたに胡坐をかいて巾着袋を下敷きに弁当を開けながらにへらと笑う。
「おいクソビッチ、この間の秘密にしておけって言ったのはな、俺がお前を助けたことで発生する事象すべてをなかったことにしろって言ったんだよ――って聞いてんのか!」
「んえ? 辻が小難しいこと言ってんのはわかるよ。でもさ、もったいないじゃんそんなの」
「は?」
するとふいに舞島は立ち上がり鼻と鼻が当たる距離まで顔を近づける。
「あたしはあんたをこの学校で一番人気にする」
「……な、なに言ってんだ?」
舞島は抱き着くような形でさらに密着し、戸惑う俺の耳元に唇を寄せこう言った。
「あたし辻のこと――、好きになっちゃったみたいだから」
不意に耳元で囁かれた甘い言葉にぞわぞわとした感覚が全身を走る。
なんだこれめっちゃいい匂いするじゃん……。
「じゃなくて! 勝手に人を好きになんなよ、つかお前が仮に俺のことが好きでも俺を人気者にする必要はどこにもねえだろ。勝手に一人で妄想してろ、クソビッチ!」
「あ、ちょっと!」
舞島の肩を押して跳ね除け階段を駆け下りる。
急に何言いだしやがったあいつ。俺のことを好きになっただと!?
しかもこの学校で人気者にするとか不穏なこと言いだしやがって!
廊下を駆け抜ける俺に昼休み中の生徒が奇異の目を向ける。
これ以上目立たないようにほかの生徒が入ってこない職員用のトイレに全速力で駆け込み、上がった息を整える。
これから俺はどうしたらいいのだろうか。
とにかく冷静に努めようとするが、密着したせいで舞島の香水の匂いが制服に染み込んでいるようで、呼吸をするたびに舞島の匂いが鼻腔を刺激する。
それと同時に密着した時の女子特有の身体の柔らかさをどうしても思い出すこととなった。
これから俺の学園生活はあいつに侵食されていくのだろうか。
空気は無色透明でなくてはならない。
しかし無色透明であるから故にいくらでもその有様を変えられてしまう。
擦ってもなかなか消えない舞島の香水のように……。
「早く無臭に戻れよっ、クソ。舞島め、俺は絶対お前の言うとおりにならない!」
side舞島
「あーあ、逃げられちゃった。つまんね」
でも無愛想のくせにちゃんと照れるんだなあいつ。
未だ収まらぬドキドキを胸に一人で再び弁当を広げた。
辻にはゴメンだけどやっぱりあたしはあの約束は守れない。
もちろん辻が言っている意味は理解していた、理解しているからこそ守れなかったのだ。
辻があの不良たちから守ってくれたことがなかったことになれば、あたしのこの恋もなかったことになってしまうのだから。
「絶対にあたしに惚れさせる」
しかしそうは言ったものの、あの彼がそんな一筋縄では攻略が難しいことに舞島マイカの頭を悩ませた。
そして一つの結論に導いたのだ。
それが彼、辻桐乃助を人気者にするということ。
とにかく彼は目立ちたがらない、それは助けられた日のことを思えば一目瞭然である。
そんな彼がカースト上位の彼女と付き合うなんてことになれば絶対に首を振るだろう。
「あたしに彼氏ができたら絶対に目立つもんな」
だから彼をあたしの隣に立っても違和感がないくらい人気者にする。
そうすれば悪目立ちすることもないし、それに辻桐乃丞の素晴らしさを学校中に広めることができて一石二鳥!
――それが根っからの陽キャ、舞島マイカの選んだ答えだった。
「待っとけよ、あたしがすぐに学校中に辻の凄さを広めてやるからな!」