1巻 起章 士官学校入学編弐
「今までお世話になりました。」
「別に構わん。部下の面倒見るのも良い上官になる秘訣だ。貴様も上官が上官になった時にでも思い出すんだな。」
「・・・はい。本当にありがとうございました。」
実際、この人がいなかったら俺はここを目指そうと思わなかったし、ここにたどり着けることも無かっただろう。
俺はAKやら何やらをゴテゴテの装備した警備兵の下へ入行の受付へ、壱尉は例のウラル4420へと戻っていこうとした、其の時、やけに丸っちいドイツ車が俺たちの目の前に止まった。
降りてきたのは、白磁よりも白い肌に、それとは正反対艶やかな黒髪を流し、前髪は眉毛当たりで切り揃えられた少女だった。俺と同じく事前に支給された簡易制服に身を包んでいるが、今だ服に着られている感のある俺とは正反対で妙に着慣れているというか、ベストマッチな恰好のように着こなしている。
眼光鋭いという訳ではないのだが、どこか近寄りがたい雰囲気を持っており、少なくとも今まで出会った少女、いや、人間とは一線を画すような抜群の存在感と人形作家が生涯を懸けて作ったと言われてもそのまま納得してしまうような精巧な造形美の醸し出す儚さが奇妙に同居、もしくは綯い交ぜになっている。
思わず見惚れて呆けていると、今度は少女から出てきた席とは反対の、つまり運転席から端正といって差し支えない若々しい面構えに柔和な笑顔を張り付けた、男性にしてはかなり華奢な男が出てきた。
その身を包むスーツの質の良さや、車の鍵を抜くだけの単純な動作でさえ、落ち着き払った所作から年配のようだが、如何せん顔が爽やかでいまいち確信を得れない。すると降りてきた男性がこちらに手を振ってきた。振り返そうか迷っていると、
「長らくお目にかかっていなかったが、元気にしているかね。」
と、その男は顔に劣らず若々しい声で隣にいる壱尉に話しかけた。
「立花壱佐、こちらこそお久しぶりです。」
かなり固い顔と背筋を正した様子で壱尉が返答する。
「壱佐はやめてくれよ、島津君。私はもう隠居の身なんだから。いまはただの旧友ということでも構わないだろう。」
「はい。」
男―立花壱佐の気遣いらしき言葉とは対称的に、今だ、固い面持ちの壱尉。すると横の俺の存在にも気づいたらしく、人懐っこい笑みを振りまいてくる。
「こちらは?君にお子さんはいなかったはずだが。それとも、単に私が結婚式に呼ばれてなかっただけかな?」
「いえ、滅相もない。こいつは私の勤務する高校の生徒で、士官学校入校者です。今日は入校式ということで送迎したまでです。」
「高校・・・?そうか、今君は、」
「はい、兵科教練教官の任を預かっています。」
そこまで聞くと立花壱佐は少し笑みを浮かべた。
「西野、ご挨拶。」
そう言われ、少しフリーズしてた頭がゆっくり回転しだす。なにせ、相手は現役でなくても元軍属の左官なのだ。ヘマはできない、と思うと自己紹介一つにも変な緊張を覚えてしまう。
「初めてお目にかかります。自分は西野ユウキです。本日付けで士官学校に入校します。」
「西野…。」
立花壱佐がそう呟いたのと同時に、
「はい。西野サトル弐尉と久邇弐将の息子です。」
と壱尉。その言葉を聞いて、少し皺を作る壱佐。
「そうか、あの久邇さんの・・・。因果というのは、やはり確かに存在するということか。」
感慨深そうに俺を眺める。
「えーとっ・・・。」
「いやこちらの話だ、失礼した。」
そう言って、こちらの話に興味を持っていない様子の少女を呼び寄せ、俺たちに紹介した。
「こちらは、私の姪で桃瀬サツキだ。君と同じく今日から士官学校に入る。同じ釜の飯を食う同期の縁は後々肝心だ。是非、仲良くしてやってくれ。」
「・・・よろしく。」
無機質な声と共に芸術品のように細い腕を差し出す少女。
「よ、よろしくお願いします。」
その雰囲気に押され、思わず敬語を発してしまうが、何とか握手し返す。訪れたぎこちなさと静寂を打破したのは立花壱佐だった。いかにも高そうな、だが品のあるシックな腕時計を見る仕草をしながら、
「さて、思い出話でも若人たちに聞かせてやりたい所だが、入校式に遅れては話にならない。二人とも、行ってきなさい。」
その言葉に壱尉も頷く。いきなり違う世界に迷い込んだような不思議な邂逅に少し尻込みしながらも、俺は一礼して少女―桃瀬と共に検問所へと向かった。
ちなみに・・・。俺は人見知りでもないし、女の子が怖いという訳でもない。だから入校式案内役の隊員に連れられ、広大な演習場を歩くときに全く会話がなかったのも、多分、俺側の問題ではない。多分。
最初見たときに感じていたオーラというのだろうか何というか、そういった物が段々と強くなっている気がしたのだ。軽々しく話すことを許さないような、そんなオーラが。だが20分に渡り空間を支配した静寂は急に打ち破られた。
「・・・あなた、どっち。」
「はい?」
質問してくれたのだが、細かい部分弾き過ぎである。仮に俺がここで「犬派」と言った所で俺を責められる者はいまい。
「・・・あなた、どっち。」
また同じ質問。まぁ、恐らく聞いているのは『犬派?猫派?』という可愛らしいらしい質問では無いだろうから、何となーく、今の状況と二人の立場、そして不明確な情報から無理やり答えをひねり出す。
「えーと、多分、デバイサー。」
「・・・多分。」
「いや、絶対、デバイサー。」
彼女の応答を見るに賭けには勝ったらしいが、折角の会話が切れてしまいそうな気がして、思い切って質問返ししてみる。
「桃瀬はどっちなんだ?」
「・・・私もデバイサー。」
「そ、そうか。なら同じだな。」
まずい。なんか飲み込まれそうだ。そんな予感を現実のものにしない為、もう一歩踏み込んだ質問をする。
「桃瀬はなんでデバイサーに志望したんだ?」
先ほどまで素早く返していた桃瀬が、返答に詰まっている。あまり、個人のことに踏みこむのは良くないとも思ったのだが、これから、もしかしたら命を預けあう間柄になるかもしれないのだ。
そんな事も言い合えないようでは信頼もクソもない。
それに、男女比率が唯一半々に近いデバイサーとはいえ、いまだ男社会の風習残る軍にどうしてご両親が愛娘を送り出したのか、もしくはどうやって説得したのか、興味があった。
「・・・無かったから。」
「え?」
よく聞こえなかったので、反射的に聞き返すと、雄大な演習場とは正反対の、か細い声がその存在を僅かに主張するように、聞こえた。
「・・・それしか、なかったから。」
先ほどまで自分よりもずっと大人びていたように思えた彼女が、一瞬、誰よりも折れやすい感性を備えた幼子のように思えた。
ようやく入校式の会場にたどり着く。どうやら普段は大きめのブリーフィングルームとして使われている場所のようだった。既に来ている学生はデバイサー組と一般組にそれぞれ左右で分かれているようだったのだが、果たしてどっちに行けばいいのやらと迷っていると、後ろから肩をポン、と叩かれた。
「デバイサーは右側だよ。」
そう言って声の主である長身で、すらりとした男が声をかけてきた。
「あぁ、ありがとう。」
礼を言ってから、男を見る。桃瀬とは違う意味で存在感がある。モデルのような体型に、これから軍属になるとは思えないほど爽やかな声。そして何より、
「外人・・・?」
その男は金髪にブラウンの瞳、彫の深い甘いルックスという、THE外人であった。初対面にしてはやや失礼な質問に眉一つ顰めず男は答えた。
「惜しい。僕はロシアとのハーフなんだよ。だから君の回答だと半分減点くらっちゃうね。」
馴れ馴れしいともフレンドリーとも言える距離感。
「おっと、自己紹介を忘れてた。僕は、佐原春臣。壱佐、弐佐の佐に、原っぱの原、芽吹きの春に臣下の臣で、佐原晴臣。よろしく。」
「俺は西野ユウキ。字面だけだと良く女に間違えられるが、一応、男だ。そいで、」
「・・・桃瀬サツキ。」
桃瀬は名前だけ名乗った。佐原は一瞬張り付けていた笑顔を崩すも、
「西野に桃瀬ね。これから二年間、いやできればその先もよろしく。」
そう爽やかに言って握手を重ねる。にしてもコイツ全く桃瀬に気後れしている感じがしない。さっき受付の先輩隊員でさえ、少し変な感じになっていたというのに。それどころか、
「いやー。初日からこんな可愛い子に出合えるなんて、相変わらずツイてるな~。」
とか言い出す始末。当の桃瀬も大して嫌がってない、というかリアクションもしてないから、悪い奴では無さそうだが、とにかく捉えどころがない。そんなこんなで三人で会話しながら(と言っても話しているのはほとんど俺と佐原だったが)予め用意されているパイプ椅子に腰を下ろす。先着システムのようで佐原から詰め、俺、桃瀬と続いた。
式典開始五分前の鐘が鳴る。
「でも、さっき佐原はなんで俺たちがデバイサーって分かったんだ?」
世間話を辞め、俺は気になっていたことを尋ねた。
「んー。まぁ、デバイサーの勘ってやつかな。」
「いやいや。俺たちまだ飛んだこともない所か、銃器もさわったことないから。」
「確かにそうだった。でも・・・」
そこまで言って一拍。
「それがなければ、僕たち死んじゃうかもね。」
直後、照明が落ちる。楽器隊の演奏が始まり、入校式が始まった。
「・・・で、あるからして、より一層の気を引き締めて士官学校生活を送ることを期待する。以上。」
もう何度、いや何十度と聞いた拍手が講堂兼ブリーフィングルームに響き渡った。ここまで順調に各担当教官のお言葉を頂いてきたが、それも残すは校長とデバイサー、一般生徒それぞれの主席の宣誓だけだ。
「続きまして、本校校長兼総合教官、伏見省吾参将からのお言葉です。」
司会役の仕切りと共に、校長が登壇する。島津壱尉ほどではないが、屈強な体躯を誇っている。だが、遠くからでも分かる程に深く刻まれた皺と、顔の右半分が焼けただれの傷がそこに威厳と異様さを付与していた。
「・・・。」
登壇しても、しばらく伏見校長は一言も発さずに俺たちを見回しているようだった。
「・・・なぜ、君たちはここにいる。」
ひとしきり見回した後、ゆっくりと話を始めた。
「君たちはここにいる事を、自分の意志で選んだと思っているかもしれん。だがもし、世界が平和だったら君たちはここに集うことも無かった。それは今、この、社会が緊張状態という前提の下に選んだ選択に過ぎない。この社会に『自由な選択』などという矛盾した物は存在しない。だが、もし、その選択を選ばされたと理解してなお、地獄へ進むという者へは、我々は持ちうる全ての経験、技術を提供すると約束する。選ばされた答えの先でどうするか、その自由しか我々はもちあわせていないのだから。」
拍手が続く。明らかに実戦を生き抜いてきた一人の男の鬼気迫る口調の話を終え、2時間以上続いた入校式も最後の過程に入る。
「―最後は一般採用、デバイサー採用代表による宣誓です。今から呼び上げるものは、起立後に登壇してください。」
一応、高校時の成績やデバイサー適性検査でのスコアを統合して出された自分の暫定席次は事前に通知されている。一般は最難関試験の一つにされているし、デバイサーもあの
『健康調査』を掻い潜ってきた者の中で主席なのだ。その代表どもがどんなヤツらか、やはり気にはなる。
「では、まずは一般採用代表、椎名薫。」
「はい。」
最初名前だけ聞いた時は女性かと思ったが、その後の返事が野太く少し驚く。しかも、登壇する姿を眺めるとかなり大柄だった。それも鍛え上げられた大柄でなく、その、なんというか横に大きかった。あんなヤツ一般とは言えよく採用されたな。そう思ったが、確か一般には技術官や後方事務官コースもあったことを思い出す。もしかしたらそっちでの採用かもしれない。
「続いて、デバイサー採用代表、佐原春臣。」
「はい。」
どこかで聞いたことある声と名前だ。そう思っていると、急に左隣の男が凛とした面持ちで壇上に向かっていった。
・・・っていうか主席って、てめえだったのか佐原。なんで先言っとかねえんだよ。ビックリしちまったじゃねえか。桃瀬も驚いているのだろうか、そう思って横目で確認するが、全く同様している気配がなかった。俺が啞然としているうちに、佐原はいつの間にか宣誓を終え、戻ってきていた。
「おい、お前主席だったのか?」
そう尋ねると意外な答えが返ってきた。
「違うよ。僕は次席だったんだよ。主席が辞退したから僕に回ってきたって訳。」
いや、次席だとしても相当凄いと思うのだが、主席は他にいるらしい。一体どんな奴なのか。
「案外、桃瀬だったりしてね。」
「・・・そう。」
「いや、流石にそれは都合が・・・って、え?」
「・・・私が主席。」
桃瀬は地蔵のようにそう言ってのけた。
そうか、なるほど。だとしたら偶然出会ったにしては、この三人はかなり面白い組み合わせだったわけだ。
なにせ主席、次席、そしてドベの揃い踏みだったのだから。