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1巻 序章 決意編肆


「失礼します。姫路先生から教官応接室へ向かうように指示された西野です。入室してもよろしいでしょうか。」


やや部厚い鋼鉄製のドアに二回拳をぶつけながら言うと、


「あー。西野君?入って入って。」


返ってきたのは鬼島津の野太い重低音―ではなく、昼休みに進路のことを伝えると、放課後に教官応接室に向かうように指示した姫路先生自身の声だった。教官応接室は、職員室や他の特別教室と違い、本校舎からやや離れたグラウンドの端っこにあるため、一度外履きに履かなけれえばならない。その為、スラックスに付いた土埃を軽く手で払い、もう一度ネクタイを締めなおし息を整える。

今日は俺の緊急進路相談会なのだ。緊張するのも無理はない。姫路先生は相変わらずぼんやりしているので、曖昧な答えしか寄越さないだろうが、鬼島津は肯定にしても否定にしても、まずはっきりとした事を言ってくるだろう。それに対して上手く切り抜けられるか。不安だが、もうここまで来たのだ。やるしかない。気合いを入れるために両頬をペチンと叩く。


「失礼します。」


「構わん、座れ。」


今度こそ鬼島津の野太い声が聞こえた。こうして個人的に話すのは、入学してすぐに『デバイサー』の話をされて以来だ。いくつかの資料が既に机の上に並べられており、それを俺に取るように無言で指示してきたので、大人しく資料を手に取り、姫路先生と島津の向かい側の空いている椅子に座った。俺が着席してから少し間を置いてから、姫路先生が切り出した。


「早速で申し訳ないんだけど、西野君は軍、それも士官学校への進路を希望している。そのことについて間違いはない?」


「はい、間違いありません。先日の希望調査票に出した通り、軍士官学校へ進学を志望をします。」


 空調の効きが悪いのか応接室は本校舎に比べ大分蒸し暑く、口の渇きが早い。だが、多分、ハキハキ答えられてはいるはずだ。


「分かりました。軍及び士官学校への進路を希望する生徒は、派遣教官との面接が設けられることになります。今回は時期が時期ということもあり、この場で私も同伴して行うということになりますが、よろしいですか?」


「問題ありません。」


予想に反して、いつもの世界史の授業みたいにふにゃふにゃするのでなく、ハキハキと理知的に話を進める先生は、まるで先生のように思えた(失礼)。


「では、島津さん、お願いします。」


「了解した。」


そう言ってから、島津はあらかじめ用意されていたお茶をすすってから口を開く。


「覚悟はあるのか?」


ただ、それだけ。こちらも兵科教練でいつも聞きなれた轟音でなく、静かな語り口でこちらに問いかける。俺は、正直な思いをぶつける。


「ここまで来て言う言葉でないかもしれませんが、自分が士官学校、そしてその先の軍、しかも『デバイサー』としてやっていけるか、その不安の方が大きいです。そういう意味では覚悟は決まってないのかもしれません。」


鬼島津、いや、島津教官にここで偽った気持ちを伝えた所でしょうがない。小手先の通じる相手ではない。


「・・・。」


沈黙が三人ではやや手狭な応接室を、熱気と共に支配する。この夏の暑さ以外が原因の、ジトっとした汗を全身にかいているのが分かる。


「貴様はそれで良いのか。」


「えっ。」


 ボロが出るのを防ぐために、あまり余計なことを言わないようにしようと思っていたのに、つい聞き返してしまった。だがそれは、島津教官のその声色が、口調と裏腹に優しさを含んでいるように思えたからだ。


「デバイサー云々以前に、軍人は常にその身を危険にさらすことになる。戦争だけはない。日常、訓練中も命がけだ。その危険性を分かった上での回答か。」


 手元にまとめられた資料。訓練中の死亡事故、及び日常生活に支障をきたす重症を負った隊員の割合が正確に記されている。これを見て尻込みしない者は、多分いない。


「俺も随分と同僚を亡くしたよ。」


 そう言いながら教官はズボンの裾を両足とも、一気にめくった。思わず息をのむ。現れたのはその巨体を支える筋骨隆々とした鍛え上げられた丸太のような足―ではなく無機質なカーボンやらシリコンやらで構成された義足だった。

 今までそれほど近い距離で話したことも無いというのもその事実に気づかなかった理由だろうが、日常で見かける時も全く不自然さを感じさせないスムーズな動きをしていたのが最も大きな理由だろう。兵科教練でのデモンストレーションなども、生徒たちを引かせるほどの迫力と滑らかな動きでこなしていた。そのことを察したのか、やはりこれも健常者と区別のつかないレベルで膝を何度か折り曲げて見せた。隣でそれをしっかりと見ていた姫路先生も口をきゅっ、と閉じて悲痛そうに眺める。


「教官はもしかして、」


「・・・京都に居た。殉職された君の父上と母上と共に、な。」


 京都動乱。冷戦のガス抜きに過ぎないという扱いを受けている事件だが、この教官の痛々しい姿を見てそんなこと言えるヤツはいないはずだ。戦場も悲劇も確かに存在する。一時的な平和に身を置いてきた俺は、そんな当たり前のことを始めて肌で感じた気がした。


「知っていたんですか、俺の両親のこと。」


 今まであまりにも残された情報が少なく、両親の事を調べようとすら思わなかった。だが、こうして実際に関わりあったという人を目の前にすると、それまで押さえつけられていた好奇心が湧き出るのも、当然のことなのだろうか。


「君の母上は俺と接点を持つことがないほどの高官だったが、父上は私の同期だった。優秀な男だった。その頃、共和国はソ連から資源と技術を借り受けて、『デバイサー』関連装備のライセンス生産を始めたばかりだった。君の母上はその主席開発官、そして、その立ち上げたばかりの『デバイサー』部隊のテストデバイサーを、君の父上は務めていた。紛れもなく同期トップ、それどころか『デバイサー』部隊が軌道に乗り始めて隊員が増えてからも、結局、彼を超す操縦技術を持つものは現れなかった。」


 今まで、見たことのない、過去に思いを馳せるような島津教官の微笑みはそれまでの、豪胆で恐ろしいといったこれまでの印象から、遠くかけ離れたものだった。


「ヤツ―済まない、君の父上が卓越していたのは、なにも操縦技術だけではない。技術に裏打ちされた自信によってもたらされた余裕と、それを生かした冷静さによる戦闘状況の把握。どんなに厳しい状況に置かれても常に打開策を考え続ける思考力。それに、普通では考えもつかない発想とそれを実行に移す大胆さ。何より―」


 島津教官はそこまで言ってから、目線を少し窓の方へずらす。今まで彼から視線を外さずに話を聞いていた俺もつられて、酷暑の厳しい日差しを透過する窓へと目を向ける。


「そこまでの能力を持ちながら、自分の命より仲間の命を救おうとする意志と覚悟の強さ。」


 ふと、親父やお袋もこの空の下で生きていたのだろうか、と思った。この灼けるように暑い日差しの下で。今、この命があるのは、親父やお袋、島津教官そして京都で散っていったいくつもの命のおかげなんだ。そんなたくさんの悲劇や死屍累々を踏みつけて俺は生きているということを突きつけられる。


「君の父上や母上が嘘偽りなく命を懸けて守った命だ。それでも君は望むのか、戦場に進むことを。」


 その言葉を聞いて、ぱっと小林やリサ、施設の子供たち、クラスメイト、先生の顔が思い浮かんだ。ここで、やっぱり辞めますと言えば、俺はこのまま平穏で安寧に満ちた生活を送ることができるのかもしれない。なんの不自由もなく、両親が折角、望んでくれた幸せを手に入れられるのかもしれない。それでも―


「俺は士官学校へ行きます。行って、デバイサーになって、親父やお袋、教官と同じように戦います。」


いきなり立ち上がって、そう言った俺を姫路先生も島津教官も見つめる。


「大切と思えた人は、俺の手で守りたいから。俺にその力があるなら、いや、無かったとしても、今はそう思います。」


俺の言葉を聞き届けてから、ゆっくりと島津教官は立ち上がる。


「・・・恐らく同じ局面ならヤツもそう言っただろう。いつでも困難な道を、俺に先んじて歩いていた。」


きっと、俺は親父やお袋ほど優秀な人間じゃないんだろう。今まで自分が何かに特別に秀でているとか、感じたことは無いのだから。でも、きっと。今日この日、俺は二人に命の他に『覚悟』を貰ったような気がした。


「その面構えなら問題ないな。」


そう言って、島津教官は姫路先生の方へ向く。


「私はこの男に、士官学校への推薦状を書くことを決めました。構いませんね。」


それまでずっと俺と島津教官の話を聞いていた姫路先生は、その言葉でハッとした様子で応答した。


「勿論、問題ありません。成績のファイル化など推薦状以外の業務手続きはこちらで進めます。」


それまで、感情が高ぶっていたので忘れていたが姫路先生が「成績」という単語を発したことで初めて、最初に懸念していた事項の確認を忘れていた。昨日、小林に釘を刺された推薦状以外の条件の確認だ。島津教官の話ですっかり胸が熱くなってしまっていたから、失念していた。


「あの・・・。」


「どうした?」


「その推薦状を出していただけるのはありがたいのですが、その、それ以外の要項を俺は満たしているんでしょうか。」


「士官学校は推薦の場合、面接も存在しない。事前の予備試験の類もない。学校提出成績も、貴様はB組だったな。」


「はい。」


「だったら問題ないだろう。私立は学校成績表は免除、公立は平均成績を越していれば問題なかったはずだ。お前はそこまで実感してないかもしれないが、『デバイサー』適性の出ている者はそれだけ貴重な人材なのだ。」


「そうですか・・・。」


安堵で、思わず肩を下ろす。ここまで言って士官学校に進めないなんて冗談じゃない。俺にはなすべきことができたのだ。にしても、小林が余計なことを言ってくれたおかげで、余計な心配をしてしまった。


「まぁ、唯一ふるいがあるのは3月の『健康調査』だな。一応、最低限の運動能力テストはあるが、それも貴様なら問題ないはずだ。」


それくらいなら、確かに問題ないだろう。先天的な持病もこれといって無いし、運動も得意ではないが、運動部に所属したことがない割には動けるほうだろう。


「確か、用意した資料のなかに『健康調査』について纏めたものもあったはずだ。確認してみろ。」


随分、手汗にまみれてしまった資料をめくると、すぐに『健康調査』についての要項がまとめられていた。どうやら身体測定など定期的に学校で行うような物の他に、メジャリング、キャリブレーションという身体の正確な輪郭を測るものや、遺伝子適合テスト、さらにはより高精度の適性検査が含まれているようだった。学校で行う類のもの以外は、施設でも民間団体が回ってきてやったこともあったので、特に問題ないだろう。そしてさらにページを捲り、今度は運動チェックの項目を見る。上から下まで読む。

 そして今度は下から上に読み直した。


「教官、このデータ間違ってますよ。」


 なにせそこには普通の高校生、いや多少、体を鍛えている位では不可能なレベルの基準値が書かれていた。見た中で何とか届きそうなのは、短距離走くらいなもんだ。特に持久系は定期的なトレーニングを重ねても到底無理なスコアが基準値に設定されていた。


「なんだ、誤植か。貸してみろ。」


 鬼島津はそう言って俺から強引に資料を取り上げ、目を通す。


「いや、間違ってないぞ。俺や貴様の親父が受けた時の基準値もこんなもんだったしな。」

 

 そんな馬鹿な・・・。こんなスコア、例えアスリート連中でもそうそう取れるもんじゃないだろう。

 

「なんだ、この程度、定期的にトレーニングを重ねていれば、『普通』だろう。貴様も何も準備してないわけではあるまい。その為にわざわざ入学してすぐの貴様に声をかけたんだからな。」


 そう、俺に上から見下ろすように巨体が声を発する。そもそも、いくら軍人とはいえ義足を完璧に使いこなし、尋常でない運動性能の片鱗を見せつけていたこの化け物の『普通』を、愚かにもうっかり信用しそうになった事が間違いだったのだ。すっかりと体を縮めている姫路先生を見やると、明らかにわざとらしく目をそらされた。苦笑い付きで。姫路先生が昨日小林に含ませ気味なことを言わせたことにようやく合点がいった。

・・・。でも、もう決めてしまったのだ。まさか最初の『覚悟』をこんな所で使うことになるとは思っていなかったが。奥歯を噛み締め、衝撃に備える。

俺の情けない白状の後。

 翌日、独り言でも馬鹿デカい鬼島津の轟音を防ぐために、わざわざ防音加工した教官応接室から、


「バチーーーーーン!!」


という人智を超えた異常な破裂音が聞こえたという現象は、夏の怪奇現象として、放課後、学校に残って部活や、その他活動に勤しんでいた全生徒たちの共通認識となった。



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