1巻 序章 決意編弐
「・・・ん?」
妙に懐かしい心地よさに体が包まれている気分を感じると、ふと既に空は茜色に染まっているのが分かった。寝ている間に既に6限目は終わっていたらしい。
「・・・ふぁ~・・・」
勢いよくグンと立ち上がりそのまま伸びをする。バキバキと間接が鳴る音とあちこちの筋肉の伸縮が感じられる。いつも6限は眠ることはあっても、授業後まで眠りこけることは初めてだった。よっぽど教練での追加トレーニングが効いたと見ていい。いくつか存在する部活動に参加しているわけでは無いので、放課後は特に予定がないのは幸いだった。すでに下校する体力しか残ってない。1人、無人の教室でストレッチを続行する。普段あまりしていないからか、やけに気持ちいい。すると、
「・・・アンタ、何してんの?」
女性にしては少し低く、だが安心感を与える声がした。ビクッと体を震わせて俺は教室にやって来た侵入者の方へと振り向き、答える。
「・・・ストレッチ。」
「一人で?」
「一人で」
「・・・ふーん。」
そういうと、声の主、我らが小隊長、小林ナナミは怪訝そうな顔を浮かべた。
「っていうかアンタ帰宅部じゃなかった?なんでこんな遅くまで教室にいるのよ。」
彼女によく似合うやや茶色がかったショートカットと、これまたよく似合う釣り目の角度を鋭くしながら尋ねてくる。彼女とは2年の時から同じ小隊で(クラス編成は年度末最終考査で決まるので単純に似通った成績の者が同クラスになる。だから、案外二連チャンで同じ小隊という人は多い)、いわば腐れ縁である。
向こうはいかにも社交的で活発という様子で、実際ソフト部でキャプテンを務めているほどだ。AからJまで単純に成績で割り振られている中B組に在籍していることからも、中々に賢い(俺が言うことではないかもしれないが)ことがわかる。
今は高校まで義務化しており、大学進学から本格的に進路が別れ始めるわけだが、数少ない大学への進学推薦も彼女は勝ち取っているらしい。らしいというのは勿論噂に過ぎないのだが、一般受験者に配慮して、どうやら教師連中は緘口令を敷いているようだった。
「さっきまで寝ていたんだよ。そういう小林は今日、ソフトないのか?」
「今日は夏期補講でしょ、各学年ごとにカリキュラムが違うのよ。だから全体練習の時間が取れないっていうわけ。」
なるほど、それで個人練習だけだったから、早めの部活上がりということか。
「全く、せめてカリキュラムのケツさえ合わしてくれれば皆で練習できるのに。」
やや乱暴な口調も彼女にとっては、そのフランクさを増長する好意的な要因にしかならない。
「そんなことしたら、後輩たちが可哀そうだろう。小林と違ってみんな彼氏の一人や二人はいるだろうに。」
思わず軽口を叩くと、彼女の顔はいつも何か言い返してくるような強気な顔―ではなくニヤニヤとした怪しげな顔を浮かべていた。
「アンタ、そんなこと私に言っちゃって良いの?」
「な、何だよ。」
薄気味悪いので思わずこちらから問い返してしまう。彼女はたっぷり間を置いてから、声を出さずに口をパクパクさせて伝えてきた。
『ア・イ・ス』
「あ。」
思わず呆けた声がそのまま出てしまった。そう言えばすっかり失念していたが、今日の兵科教練でのサボりと小隊長の成績低下への責任、つまりアイス献上義務があったことを思い出した。
「ほら鞄持って。さっさと行くわよ。」
そういって俺の机にかけてあった学生用革鞄を勝手に持って出て行ってしまう。
「おい・・・。」
彼女が思い切り教室のドアを閉めると、むなしく俺の呼びかけが中に浮いた。
しまった。せめて今日要求されなければ、うやむやにする手を打てたというのに。よりによって今日、襲撃されるとは。というかそもそも、小林はいつも授業終わると脱兎のごとく部活に赴くから、教室でバッティングすることもなかったのに。いろいろ重なった結果、今月の財布が軽くなることが確定してしまった。
だが鞄をかっぱわれた今となっては、色々と後の祭りだ。嘆息交じりに俺は彼女を追って教室を出た。・・・そういえば彼女はなんでわざわざ教室へきたのだろう。一抹の不安と疑問が浮かびながらも、僅かに残る眠気と共に頭を振って、それをかき消した。
高校は本当に館山駅の近くにあるので、生徒たちの中で放課後に心地よい海風へと当たりに行く者は少なくない。もっともそれが同性だけか、男女連れかによって雰囲気はかなり変わるが。結局、どこへ行くか、より誰と行くか、という所が大きいのだろう。
そんなわけで戦利品であるアイス(よりによって12本も入っているミルクバーの家族パックを選びやがった)にかじりつく小林と共に、適当なベンチに腰掛けた。この季節の海風だからベタベタするが、俺も小林もそんなことを気にする性質じゃない。それよりも沈みゆく錆びれたオレンジ色と真っ青に広がる海のコントラストを感じられない方が、よっぽど損と言うものだ。
「本当、いつ見ても綺麗ね・・・。」
珍しく小林が感傷的なことを言ったので、思わずプッと噴きだす。すると小林はすかさず、食べ終わったミルクバーのバー部分 (べたべた)を投げつけてきた。
「おい、恩人に向かってゴミ投げつけるなんて躾のなってない猿か、お前は。大体、一個アイス奢るって言われて徳用選ぶ奴がいるか。」
俺が反射的に投げ返したアイスバー(さらさら)を拾い上げながら、ぶー垂れた様子で言い返してくる。
「そもそもアンタがサボったのが、もともとの原因でしょ。」
こっちも負けずに言い返す。
「そんなん言ったら小隊員への監督不行き届きが原因だろ。」
互いに視線をぶつけて譲らない。
「「むむむ・・・!!」」
しかし、お互いのやっていることの不毛さに気づき同時にため息。ここでいつものように小競り合いを繰り返しても仕方がない。早速、俺は気になっていることを切り出すことにした。
「・・・で、何の用なんだ?お前はわざわざ俺にアイスねだりに来るタマでもないだろう。」
少し間を空けて小林が口を開く。
「普通、女にタマなんて使わないから。」
「その人使いの荒さで人間として扱って貰っているだけ、感謝して欲しいくらいだ。」
海風が強まる。小林の色素の薄い茶髪がその流れに逆らわずに、なびく。いつもは互いにフランクもしくは雑に接しているが、横目でチラと見ると中々綺麗な造形をしている。
何より彼女の瞳は一際その中で目立つものであり、彼女の豊かな社交性と生き生きとした様子をよく顕している。そんな女が人間として人気でないわけがない。そして気立ても良い彼女が何の理由もなく俺をこんなカップルスポットに連れていくわけがない。・・・少し悲しい話ではあるが。
「・・・進路。」
「えっ?」
思わぬ単語が登場したことによって、つい聞き返してしまう。
「西野、軍の士官学校に希望出してるでしょ。」
「お前、何でそんなこと知っているんだ。」
少しいたずらっ子のような微笑を浮かべながら、小林は微笑む。
「あら、アンタにしては頭の回転悪いわね。自分がどこの小隊所属か忘れたの?」
そこまで小林に言われてようやく気付く。小隊での活動なんて、今は兵科教練か精々が掃除当番くらいのものだが、各書類の提出も小隊長を経由して担当教諭に出すことになっている。だが基本的には個人関係書類―住所とか支援奨学申請とか、進路関係書類など―はいくら小隊長といえども、勝手に見てはならないことになっているはずだ。俺の思案に気づいたのか、
「言っとくけど、姫路先生に言われて初めて知ったのよ。希望届けを見た訳じゃないから。」
ま、小林に知られた所で、彼女が拡散するとも思えないし、知られた所で問題もない。というか、先生が勝手に人の進路をバラすことの方がよっぽどルール違反である。その先生にしても俺が紙面上で急に進路を180度変えたから、友達から探っておいてくれということなのだろう。そして進路も固く、小隊長でもあり、俺との距離も近い小林に依頼した、と。
「別に疑ってたわけじゃないさ。それに見られたからって、別に嫌な進路先ってわけでもないし。」
いまいちすっきりしていない様子の小林。
「それはそうだけど・・・。でも、急に軍、それも士官学校って聞いたら、流石にみんな驚くのも仕方がないわよ。士官は試験だってあるんだろうし、その準備とかも先生は気にしているんじゃないの。」
少し話を変える。
「そういうお前は進学なのか。」
「そうだけど、何?」
隠す気などハナから無いと言わんばかりに、間髪入れず答えるところがまた彼女らしい。
「そして推薦。」
「うん。」
「じゃあ、俺も似たようなもんだ。」
怪訝そうな顔を浮かべる。特に軍に興味も関わり持たない高校生が士官学校の仕組みや試験の存在について知っているだけでも、かなり珍しい事だったが、流石に俺の意味する所までは汲み取れなかったらしい。
「俺には『デバイサー』の適正が出ているんだとよ。」
「えっ・・・。」
いまいち話を呑み込めてない彼女に、少しおちゃらけるように話す。
「おいおい、一応世界史の教科書で習っただろ。」
「『デバイサー』ぐらいは知ってるわよ。この共和国になる前の日本が負けた一番の要因、でしょ。」
「そう、そして今なお、先進各国がもっとも力を入れている兵器の一つ。」
「でも、一体なんでアンタにそんな適性が出てんのよ。」
ざっくばらん、短刀直入にズバリと話すのは彼女の長所であり、短所でもある。小林の語気が強くなるとともに、目に鋭さが増していく。やっぱりこの気の強そうな表情が一番似合っている。
「分からん、高校に入学してすぐ島津に呼び出された。そんで急に言われたんだよ、『お前にはデバイサーとしての適性が出てる。希望するなら軍士官学校への推薦状を出せるが、それは貴様の自由だ』って。」
かなり鬼島津の言い方に寄せたのだが、「似てる」とも「下手クソ」とも言ってもらえず、少しへこむ。何とも言えない雰囲気になってしまったので、俺はミルクバーを一本拝借し、一気にかぶりつきながら話を続けた。。
「本当は最初から、頭の片隅には士官って選択肢があったんだよ。本来、士官を受けるなら大学を一般受験するどころじゃない位の学力は必要って言われてるし、ヒラよりも相当早く幹部候補になれる。何より、お前も知ってるだろ。俺、施設なんだよ。」
施設、単純に言えば身寄りのない子供たちの暮らす場所だ。そしてもっと言えば俺は戦災孤児向けの施設に、もうずっと身を寄せている。両親は共に軍属で、例の日本で起きた、いわゆる冷戦の対義語としての『熱戦』。即ち京都動乱、その戦闘でどちらも殉職したらしいのだ。『らしい』、と言うのは俺はそのことを施設の人に聞かされて育っただけだからだ。
「・・・それは聞いたことあったけど。」
彼女は何も悪くないのに、所在なさげな顔をさせたことが、申し訳ないように思えて俺はその先を口早に続ける。
「だから高校出てすぐに生活も安定できて、ついでに給料ももらえる士官は願ったり叶ったりなんだ。いくら高卒で就職しても、流石にすぐ一人で生計立てられるほど社会は甘いわけじゃないしな。大学なんて生活費どころか学費も食っちまうしな。」
「でもずっと、就職希望書って書いてたんじゃないの。」
一応、就職って大枠で進路希望を出しておけば、学校が紹介してくれるシステムは整ってはいるのが今の共和国だ。
「まぁな。」
「じゃあなんで今さら?」
いろんな理由があった。いろんな理由があったからこそ、俺は三年のこの時期まで、うだうだ悩んでいたのだ。
気楽な一般人として生きれない後悔。自分が『デバイサー』なんて得体の知れない者になるという恐怖。本当は他にやりたいことがあるんじゃないか。経済的な事情や家庭環境を言い訳に、楽な道を取ろうとしているんじゃないかという疑念。
そして何より、いざというときに戦争に赴き戦う恐怖と覚悟。ガス抜きと言われた京都動乱ですら、多くの戦死者が出たと言われているのに、こんな大した努力もしてないのに、適性が出たというだけで士官学校に進んでいいのか。やめるべきではないか。
「―小林は何のために生きているんだ?」
いつもなら、俺がこんなこと口走れば「はぁ?」と喜んで言い返してきそうなものだが、一拍おいてから言葉を選ぶように答えた。
「・・・分からない。」
予想していた言葉が返ってきたので、すぐに話を打ち返せる。
「そうだよな。俺もこんなに迷っても分からない。きっと即答できるヤツなんていないんだろう。漫画の主人公みたいに恋人や仲間を守るために、とかそんな俺らには分かりきった目的は用意されてないんだろう。俺は西側に両親を殺されたけど、両親の顔も覚えてないし、はっきり言ってその復讐の為に生きる気力なんてないんだよ。施設の人たちも、今までの学校で過ごしてきた友達も皆、温かくてさ。今まで、幸せに生きさせて貰ってきたって思っているから。」
「でも軍を選ぶの?」
当然の質問だった。
「・・・でも、もし俺のことを求めてくれる人がいるなら。大した器量もない俺のことを必要としてくれる人がいるなら。俺はその為に戦ってみたいって。向き合いたいって。そう思ったんだ。」
長い沈黙の後、先に声を発したのは小林だった。
「ふーん・・・。」
先ほどまでの感傷的な雰囲気を一気に打破するように、やや冷たげな視線が俺に刺さる。
「なんだよ。」
「別に。」
そう言ってもなお、どこかツーンとした態度を示す小林に強引に言い切る。
「とにかくっ。そういう訳で士官学校に行くのは決めたから。姫路先生には明日ちゃんと、俺から納得して貰えるように説明するし。」
そこから今度はジトーッとした目で俺を見つめる小林。
「別に、西野が決めたことに最初から口出す気なんてなかったけどさ。」
「おう。」
知ってた。
「でも、」
「ん?」
「推薦ってあくまで推薦なのよ。」
・・・・・・は?小林の意図するところが読みきれず俺はオウム返しをした。
「推薦ってあくまで推薦なのよ?」
「アンタ、もしかして何にもしないで推薦書一枚で士官学校だかなんだかに行けると思ってんじゃないでしょうね。」
予想外の角度からの突っ込みに、思考がフリーズと混乱でしっちゃかめっちゃかだ。その様子を憐れみながら見つめて冷たく突き放す我らが小隊長。
「馬鹿ね。そんな楽な訳ないじゃない。私ら、一般大学組でも入学前まで学力が落ちてないかチェックする考査もあるし、面接だってそれ相応の準備をしなくちゃならないのよ。」
おろおろしながら、でも、とにかく言い返そう言い返そうと、言葉をひねり出す。
「で、でもさ。士官は進学って言っても特殊なんだし。推薦書だけでも何とか・・・。」
「・・・・・・ハァ。」
彼女の深いため息が、話し込んでる最中にすっかり暗くなった辺りに溶け込んでいく。
「今日私が姫路先生に頼まれたのは、本当にアンタが士官に行くのかって確認と本当にその状態で合格できると思っているのかっていう確認だったのよ。」
・・・ヤベ。行けないかもしれないのに、さっきあんな恥ずかしい事言っちゃたの、俺?こんなロケーションで?よりによって小林に?
「小林、士官学校に行く前に俺はこの千葉に広がる雄大な海の深度調査をしなくてはならなくなった。」
「やめときなさい。そんなの誰も『求めてない』わよ。」
そこまで言って一気に小林は笑い始めて、急に歩き始める。
「おい、どこ行くんだよ。」
ギュインという音が出そうなほど振り返る小林。この暗闇でも存在感のあるショートカットを振りまきながら、高らかに宣言した。
「当然、今の恥ずかしい話の口止め用アイスを1本奢ってもらいに行くのよ。さっきアンタが話してる最中に大体ミルクバー溶けちゃったから。」
流石に士官学校でもこれより恐ろしい上官はいない事と、士官学校のに入れる希望がある事を祈りながら、俺は彼女を追いかけた。