五 一階エントランス
階段で出会った敵は二体だけだった。
それらは宇津木が全部仕留めたというか、交わした、なのか。
彼は私を抱いたまま器用に敵を足で突いて転ばせては、その隙に下へ下へと階段を下りたのである。
今の私達は階段を出てすぐにある病院の待合室らしきところにいる。
らしきというのは、待合室にあるべき長椅子やなんやからはエントランスの出入り口に積み上げられ、自分達で外に出られないようにしておきながら同じようにバリケードの一つとして積みあがっている遺体があるという有様だからだ。
「これは、どうして。」
「うん。外で発生したパンデミックに脅えてバリケードを築いたら、中でも化け物がいるってパニックになって、人同士で殴り合い押しつぶし合いでこの有様。化け物のせいじゃない。君が怪我をしてしまった時と一緒だね。集団心理って、本当に怖いんだよ。」
「宇津木は詳しいし、強いし、何者?」
彼は私から手を離すと、ふいっと横を向いた。
私は当たり前だが左足首にズキンと激痛だ。
「ちょっと、急に手を離さないでよ。」
彼は私に左手を素直に取らせたが、彼はそれでも私から子供のように顔を背けている。
「何を怒っているの。いいから教えてよ。成仏したいなら、洗いざらいじゃないの。」
「やだ。教えない。」
「どうして!」
「とおるくんって呼ばなきゃ教えない。」
私の中でつり橋が谷底に落ちた音が鳴り響いた。
「もう、わかった。じゃあさ、お互いが望む好きな風に呼ぶって事にしよう。亨君って呼ぶから私は三好ね。」
何を言ってんだお前という顔を宇津木は私に向けた後、しゃがみ込んで亨君と私に呼ばれるか私をミリミリで呼ぶかの選択に悩みだした。
そんなにミリミリ呼びたいのか、お前は。
だが、私はミリミリなんて変なアイドル風の名前で呼ばれるご面相ではないし、大嫌いな名前を連続呼びというミリミリなんて聞くのは苦行この上ないのである。
私は二十六歳の男よりも大人になろうと、妥協案を提示することにした。
いや、私が三好に拘る理由の説明かな。
「亨君。私の名前はね、浮気したくせに私と母を家から追い出した父がつけた名前なの。母さんにもローンを払わせていたくせにさぁ、名義が自分だからって、これから子供も生まれるからって、預金通帳だけ渡されて追い出されたの。だから、大嫌いなの。だからさ、母さんの苗字の三好で呼んで欲しい訳。わかる?私は自分の名前が大嫌いなんだよ。」
しゃがんで私を見つめている男の目は大きく見開かれ、そこに私への申し訳なさというか、そんな色まで見えてしまった事で、私は少し落ち着いたかもしれない。
あの男を思い出して激高してしまった事で、私が最初に言おうと思っていた宇津木に言うべき妥協案を言い忘れていたことを思い出したからだ。
「だから、だからさ、えっと、まあなんだ。私を苗字じゃなく呼びたいなら、母方の祖父母が呼んでいた梨っちゃんはどうだ。」
宇津木は私を引き寄せる形で抱き締め、最高です、と高らかに叫んだ。
私はこの馬鹿者と宇津木の頭や肩を叩きながら、涙が出そうだった。
彼が浮遊霊であることが本当なら、私達はラスボスを倒したらお終いだし、彼が生きている人間だったら、ラスボスが消えて綺麗になった宝生と彼のハッピーエンドを見る羽目になるのだ。
どちらにしろ、私のバッドエンドは確定しているではないか。
どうしてくれるの!
私の中では、壊れた筈のつり橋が勝手に修繕されているんだぞ!




