白いシーツの狭間で
ふと、目が覚めた。
「…………寝てたのか」
身体を起こし、周囲の様子を見渡した。どうやら此処は病室か何かのようだ。
モーガンは今、綺麗に陳列された綺麗なベッドの中の一つの上に居た。
掛け布団から這い出そうとしたが、脇腹に感じる小さな鈍痛に眉を顰めて動きを止めた。
だが、それと同時に先程の激闘が幻覚ではなかったという事を改めて実感させられた。
板張りの天井を見上げながらボーッと放心していると、不意に右隣に立っていた仕切りが横に引かれた。
奥から姿を現したのは先程刃を交えた第二部隊隊長、ホネスト・ウィッテンだった。
「…………起きたか」
今の彼は兜と鎧を脱ぎ、素顔を晒していた。
その対を成す碧眼はスリットというフィルターを介さずに見ると案外綺麗で、真っ直ぐな眼光を放っていた。
モーガンは小さく会釈をした。
「まぁ、はい。ウィッテンさんも起きていらしたんですね」
「うむ、ついさっき目覚めたばかりだがな」
彼は窓の外に目を向け、流れる雲を見ながら言った。
「……貴殿、強いな」
「そりゃまぁ…鍛えてますから」
「それだけには思えなかった。あの自傷しても尚一矢報いた最後の一撃、あれは見事だった。あれも呪術か?」
「はい。『酸の吐瀉物』っていう……」
「そうか……」
目を伏せ、何か物思いに耽るウィッテン。
「久し振りに呪術を見たが、いやはや、本当に奇怪で恐ろしい物よ。私も魔法や奇跡使いは幾度となく見てきたが、やはり呪術だけは慣れんものよな」
「確かに呪術っていうのは他の術式に比べて随分と違いますし……」
「うむ。毒や呪いといった常人が忌避する物を操る術。当然森羅万象を操る魔法、神の御力を賜る奇跡とは一線を画す物であろう」
「えぇ………」
モーガンは神妙に頷いた。
「……にしても、貴殿は自らの術に相当自信を持っているようだ」
「え、そうですか?」
「呪術を放つ時の貴殿の眼、まるで子供の様に輝いておったわ」
「…………へぇ…」
ここ最近、モーガンは呪術をあくまで補助装備だと割り切っている。
それは毒が回るまでやや時間が掛かる事、そして毒や呪いでは決定打に欠ける事などがその大きな要因だが、彼はそう思いながらも心の何処かでもっと呪術を活用したいと願っていた。
尊敬する師から授けられし呪術の技術、モーガンはそれに誇りを抱き、揺るがない自信を持っているのだ。
出来ればメイスを手放して、呪術だけを使いたいのだが、それは未だに叶っていない。
「まぁ…貴殿も呪術だけでは到底戦えないという事は自覚しておるのだろう?」
「はい、十二分に」
「幾ら貴殿が呪術に誇りを抱いているとはいえ、現実の殺し合いはそう甘くない。だからこそ、呪術だけに頼らず、剣術も鍛える必要がある」
ウィッテンはベッドの側の机に置かれたメイスを指差した。
「メイスは剣よりも短いが、重い。今の貴殿の振り方はその遠心力に任せていて無駄が多い。それでは本来の攻撃力の六割程度しか出せていないと見た。もしそこを矯正する事が出来たのなら貴殿は更に強くなれる」
「成る程………」
「精進するが良い、チェンバレン」
「はい」
頷くと同時にモーガンは戦闘中に感じていたある疑問をウィッテンにぶつけた。
「あ、そういえば……ウィッテンさんの着てた鎧って何で出来てるんですか?妙に硬くて重かったですけど…」
「む?あぁ、あの鎧か。あれは私の故郷でのみ採掘される特殊な金属で錬成された合金で作られている物だ。ファレンの鎧と云ってな。耐火性、耐久性、全てに於いて市販の防具を上回っているのだ」
「す、凄いですね……俺の黒鉄製の防具が紙切れみたいに思えちゃいますよ……」
「まぁ……ちょいとばかし欠点はあるがな」
ウィッテンがしゃくった顎の先には机の上に無造作に置かれた赤褐色の装甲を纏った籠手。
右腕部分しか無いが、それでも確かな威圧感を放っていた。
「それを持ち上げてみれば直ぐに理解出来る筈だ」
言われるがままにモーガンはその籠手を手に取り、持ち上げた。
そして、驚愕する。
「………重い…!」
片腕では到底浮かせる事が出来ない程の圧倒的な重量。
メイスを何本束ねても届かないのではないか。
少なくとも、常人の域に留まるモーガンの腕力ではそれを持ち上げる事は出来なかった。
「ガハハハ、だろう?そうだ、重いのだ。ファレン鋼は異常なまでに」
驚きに顔を染めながらモーガンはウィッテンの顔を見た。
籠手だけでこの重量なのだから、これに鎧と兜、具足、武器も加われば一体どうなるのだろうか?
こんな代物、力自慢の冒険者でもこれらを装備した状態では満足に動けないだろう。
これを纏って特大剣を振り回せるウィッテンの膂力とは一体。
モーガンは内心怯えながら尋ねる。
「…………ウィッテンさん、貴方は何なんですか?少なくとも、人間ではないですよね?」
「……ほう?何故そう思う?」
「だってこんな物、普通の人間には到底扱えないでしょう?これを着て、それに加えてあんな大きい剣を振ってるんですから…人間とは思えない、怪物か何かかと考えますね」
その推測を聞いたウィッテンはニヤリと悪戯っぽく笑った。
「お見事。そうだ、私はただの人間ではない。人間と巨人の勇者の血と魂を受け継いだ半巨人だ」
「………!」
半巨人。
巨人と人間の間に産まれるという特殊な亜人。
巨人に匹敵する様な大きい体躯を誇り、岩をも砕く程の圧倒的な膂力を持つ。
それに加えて、人間の如き高い知能を兼ね備え、それ故に大砲やバリスタなどの高度な技術を要する兵器も扱える事から、古来より生粋の戦闘種族として戦場では重宝され続けていた。
その身体故にその多くは人里離れた山奥に居を構えているという噂だったが、まさかこうして憲兵として社会的地位を築いた者が居るとは。
モーガンは驚きを隠せなかった。
「ガハハハ、驚いたか?」
「…はい、そりゃあ勿論。だってあの半巨人ですよ?何度も詩に唄われた英傑の民族にまさかこんな形で出会う日が来るとは思ってもみなかったですし」
そう言われてみるとその人外じみた長身も、怪力も納得が行く。
「巨人の膂力があるからこそ、こんな重い防具も装備出来るんですね」
「うむ。だからこそ、このファレンの鎧の存在や実物が巨人の国から離れる事が無かったのだ。つまりこれは言うなれば……巨人専用の防具」
「……こんなプレミア品、武器商に売ったら相当な額が入りそうですね」
そんなモーガンの軽口にウィッテンは苦笑を漏らしながら答えた。
「こんな物を持ち込んでも並大抵の武器商は買い取りを拒否するであろうし、仮に買い取られても大方観賞用であろうな」
「はははは、ですよね」
彼等は共に笑い合った。
その間に先程の様な命を賭した緊迫感と冷たい鎧の感触は無い。
そこに居るのはただの男二人だけだった。
「………ふぅ、久方振りだな。剣を交えたとはいえ、殆ど初対面の人間の前でこれ程までに饒舌になれたのは」
「え、そうなんですか?」
「こう見えても私は意外と臆病であるからな。子供の頃はよく人見知りをしたものよ」
「へぇ……意外ですね……」
モーガンが神妙な顔付きをして頷いたその時、不意に病室のドアが開かれた。
そこから姿を現したのは憲兵団団長であるスタンドリッジさんともう一人、先程第二部隊の隊員達の人塊の中に居た背の低い少女だった。
スタンドリッジさんは柔らかな笑みを浮かべると、軽く会釈をした。
「おはようございます、チェンバレンさん。それにウィッテンも」
「あぁ、スタンドリッジさん。すいません、御迷惑をお掛けして」
「良いんですよ。ウィッテンも一緒に寝てましたし」
彼女が向けた視線の先に居たウィッテンさんは、微笑を湛えながら気恥ずかしそうに髪を掻いた。
「すまぬな、団長。少しばかり無理をしてしまったわ」
「そんな謝らなくても。私達も充分面白い物が見れましたから」
ですが…、と付け加えて彼女は眉を顰めた。
「もうちょっと周りに気を配って下さい二人共!ウィッテンは地面を滅茶苦茶にしますし、チェンバレンさんは毒霧をばら撒く!まったく……全部直してくれたサヴィルアちゃんに感謝して下さいね」
その言葉にサヴィルアと呼ばれた背の低い痩躯の少女がトテトテと前に出てきた。
「別に大丈夫…だよ……毒霧と穴くらいなら……」
彼女は色素の抜けた長髪を揺らして小さく笑った。
「感謝するぞ、サヴィルア」
「別にいいよ…隊長……。お疲れ様……」
感謝の言葉を口にするウィッテンにモーガンも倣った。
「俺からもありがとう、えっと……サヴィルア?」
「うん…サヴィルア……サヴィルア・バルディリス………サヴィルアって呼んでも………いいよ………」
「そっか。それならサヴィルア、ありがとう」
「どういたしまして…。本当に……凄い戦いだった………ビックリ………」
彼女はモーガンが寝ているベッドの側まで歩み寄ると、彼の右手を掴んだ。
「呪術の事…詳しく教えて……もっと沢山………知りたいから………」
「え?でも俺なんてまだまだ……」
ふとその時、サヴィルアの黄金の瞳が妖しげに輝いた。
「嘘…かなりの修羅場……経験してるでしょ………?判るよ………」
「ははは…やっぱり判るか。そう、俺六年間くらい傭兵紛いの事やっててな、その時に結構場を踏んだんだ」
「へぇ…凄いね……」
「まぁ、その時に色々と場数を踏んだんだ。それで自信持って憲兵の試験を受けに来たっていう事」
「そう…なんだ……」
間違った事は言っていない筈だ。
ただ、非合法な施設で金稼ぎをしていたという事実が公になってしまうとこちらに不利が生じる可能性もある為、ここでは少し嘘も混ぜて話した。
ここでモーガンは早々にこの話を切り上げようとスタンドリッジの方を向いた。
「あぁ、そうだスタンドリッジさん。俺の試験の結果、まだ聞いてないんですけど……どうだったんですか?」
「ふふっ、どうだったと思いますか?」
焦らすなんて意地悪な人だ、モーガンは口元を綻ばせた。
「うーん………合格、かもしれませんね。相討ちとはいえ隊長を倒す事が出来ましたし」
「……ふふっ、ですよね」
スタンドリッジさんは真面目な表情を浮かべると、モーガンに真っ直ぐな視線を向けた。
「……予想の通り、貴方は合格です。我々憲兵団は貴方、モーガン・チェンバレンの正式な入団を認めます」
「…!ありがとうございます!」
モーガンはペコリと頭を下げた。
まさか本当に合格出来るとは、少しだけ予想外だった。
彼女は薄く笑みを浮かべて言った。
「所属は第二部隊、ウィッテンの下で働く事になります。主な仕事内容は街の警邏や事件の捜査などですが、時折他の部隊と業務を分担する事もあります。辛い仕事でしょうが、きっとモーガンさんなら大丈夫ですよ」
モーガンが第二部隊に所属するという事を聞いたサヴィルアは眼を爛々と輝かせた。
「第二部隊に…来るの……?やった…嬉しい……」
彼女は静かに笑った。
「早ければ来週からこちらの宿舎に住み込みで勤務する事になりますが、宜しいでしょうか?」
「はい。家財道具はどうしましょうか?持ち込んでも良いでしょうか?」
「宜しいですよ。ベッドだけは備え付きですが、他は何もありませんし…小さなタンス二竿程度なら丁度良いかもしれません」
成る程、それなら新しい家具の購入も、業者への依頼も必要無く、自分で荷車を引けば事足りるだろう。
どうせ借家にある家具といえば簡素なベッドと防具立て、媒体の調合セットやその他諸々の小道具達。
大家への解約の連絡、ベッドの売却、荷車の調達。精々三日もあれば終わる筈だ。
「因みに、相部屋ですか?」
「はい、そういう事になりますね。えっと……確か同じ第二部隊のガンザ・シュライデンという者との二人部屋になります」
「……?ええっと……」
「あのバケツの様な形の兜を被っていた男です」
そう聞いてモーガンは先程見かけた珍妙な出で立ちの憲兵の姿を思い出した。
標準的な憲兵の鎧の上で揺れる、頭をスッポリと覆い隠す様な珍妙な形状の兜。
「あぁ、あの!」
「はいそれです」
モーガンは納得した、とでも言うように頷いた。
しかし、何故あんなバケツの様な形の鉄兜を被っているのだろうか?
明らかに憲兵の装備とは思えない。
「まぁ……あんな格好だがガンザは悪い男ではない。安心するが良い、モーガン」
そう言ってフォローに回ったのはウィッテン。
やはり自らの部下に会ってすらないのに警戒心を抱かれるのは上司としても良い気分ではないのだろう。
「そうですか……って、あれ?さっきまで苗字で呼んでませんでした?」
「私は部下は名前で呼ぶ主義なのだ。部下の存在を自覚する為にな」
「……成る程…」
その言葉の真意がイマイチ理解出来ていないままにモーガンは頷いた。
「それでは、私は入団に必要な書類を持って来ます。ウィッテン、手伝ってくれませんか?」
スタンドリッジがそう言ってウィッテンに眼を向けると、彼は溜め息を吐いてベッドから這い出た。
「怪我人を労わる気持ちは無いのか?団長よ」
「あら、どうせウィッテンなら大丈夫かと思っただけですよ」
「まったく…………承知した」
そう言い残して、彼等は病室から去っていった。
ドアが閉まると同時にサヴィルアはベッドの側の椅子にストンと腰を落とした。
「これで…二人っきり……」
「そうだな…」
「一杯…お話ししよ?」
モーガンは小さく笑って、サヴィルアの頭を優しく撫でた。
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古の戦争で要塞だった建築物を再利用して設置された憲兵団本部は思いの外入り組んでいる。
そのど真ん中を通る横幅の広い大廊下。
赤いカーペットが敷かれたレンガの上を歩く二人、エクティ・スタンドリッジとホネスト・ウィッテン。
彼等の間には不穏な沈黙が流れていた。
不意にウィッテンが口を開いた。
「エクティ、今日は驚いた。あのモーガン・チェンバレンが憲兵団の採用試験を受けに来るとは……いやはや、運命とは数奇な物よ」
「私も驚きましたよ。件の闘技場の一斉検挙から逃れた剣闘士二人の中の片割れ、黒鉄の呪術師が昨日今日で姿を現すとは………」
彼等は気付いていた。
モーガンの正体が先日制圧された闘技場で猛威を振るっていた黒鉄の呪術師である事を。
彼の名は裏社会では相当轟いている。
彼が操る呪術は強力で、蜥蜴人や豚鬼なら難無く殺せると。
だからこそ、彼がこの憲兵団本部に姿を現した時、スタンドリッジはすぐさま警戒した。
モーガンは闘技場が潰された怒りと怨みで本部に乗り込み、大暴れするのではないかと。
だからこそ彼女は魔法『屈折した影』で腰に携えた首斬り包丁を隠し、もしモーガンが怪しい挙動をした場合は一瞬で首を切断する事が出来る様に身構えていた。
だが、モーガンは何も仕掛けて来なかった。
スタンドリッジの指示通りウィッテンと刃を交え、見事彼を打ち倒し、そのまま気絶。
バッグの中を検めてみるも中に入っていたのは初級呪術を発動させる為の媒体が詰まった少数の小瓶にメイス。
明らかに報復行為を行う様な装備ではなかった。
スタンドリッジは静観し、様子を見る事にした。
意図がまるで分からず、敢えて自らの身を危険に晒す様な言動。普通に考えるのであれば明らかに自殺行為である。
狂人か度を超えた馬鹿か、少なくとも常人ではない事は確かだ。
怖い。
まるで底の見えない深い大穴を、淵から身を乗り出して覗く様な不定形の恐怖を感じる。
動かないのではない、動けないのだ。
「捕縛するか?」
「いや、止めましょう。貴方が倒されたんです、並大抵の男ではないでしょう」
「……ふむ…」
「まずは貴方が第二部隊で彼を管理下に置き、動向を監視し続けてください。毎日。そして消灯の後は私に報告に来てください。私が今後の対応を判断します」
「承知した」
再び始まる、沈黙の平行線。
「……………しかし、良い太刀筋を持っておったわ、あの男」
「…………」
「非力だが、まるで剣聖の様な真っ直ぐな剣を振るう。彼奴を思い出す」
「……彼はメイスでしょう?剣ではありません」
「ガハハハハ、そうであるな!」
毒こそを至高とし、その術で数多の命を屠る黒鉄の呪術師、モーガン・チェンバレン。
彼は狂人だ。毒と強さの為ならば、己の持つ全てを賭けてしまう程に狂っている。
金など要らない、名誉など要らない、命など要らない。その両手に呪術さえ残れば良い。
まるで『呪い』に掛けられている様な捻じ曲がった心理、そんなドス黒い狂気を胸に、彼は憲兵団の門を潜る。




