煌めく鎧と非情な呪術師
早朝、太陽が街の外壁から姿を出し切る前にモーガンは家を出た。
身体を愛用の黒鉄の鎧で包み、腰にはメイスと携帯ポーチを提げる。
無論、携帯ポーチの中には呪術の発動に必要な毒蟲や呪道具などが詰め込まれている。
それは今に勇んで死地へと向かわんとする出で立ちだった。
人通りがまだ疎らな大通りから裏路地に入り、其処にある転移の鉄の扉を潜って彼は闘技場へと向かった。
冷たい廊下を抜けて、蝋燭の火だけが照らす薄暗い控え室に入ると、其処には既に人影があった。
「よう、モーガン」
「あぁ……エスパダか」
薄暗い控え室、ベンチに腰掛けて一人剣の刀身を磨いていたのはエスパダだった。
「今日はやけに早いな。いつもはもうちょっと遅いのに」
「ははは、まぁな」
ふとその時、モーガンはエスパダの纏っている防具がいつもの物とは違う事に気が付いた。
普段であれば頑丈な鎖帷子の上に無骨な鋼の板が敷き詰められて特徴的な装飾も無いという極めて平凡な鉄鎧だったのだが、今は違う。
七色に輝く特殊な光沢を持つ金属で作られた鎧を身に纏っており、その上には真紅のマントを羽織っている。
確かその金属の名前はカートライト鋼、火山地帯の限られた一部でしか採掘出来ない貴重な鉱石を基に錬成された物だ。
「あ、装備新調したな?」
「まぁな。前のもかなりガタ来てたし、金も貯まってた頃だったし丁度良いって思ったんだよ」
「にしても…それカートライト鋼だろ?」
「おう。値段は張ったが、軽くて丈夫で、耐熱にも長けた優れ物だ。それと……」
エスパダは右手に握り締めていた剣をモーガンに見せつけた。
「雷の奇跡でエンチャントしたカートライトの剣だ。軽く触ってみろ」
モーガンはその純白に輝く剣の刀身をそっと撫でた。
すると微かに指先に走る痺れを感じ取った。これが恐らく雷の奇跡の効力なのだろうか。
かつて世界をも飲み込んだという神の怒りを象徴する稲妻。
その刃に切り裂かれた者の身体には鋭い電撃が走り、四肢は痙攣して地面にひれ伏す事となるだろう。
「……ッ、凄ぇな」
「だろ?高い金払った甲斐があったな」
恐らくこの装備とエスパダの剣技の腕さえあれば並大抵の魔物程度軽く遇らう事が出来るだろう。
彼はポーチから木製の煙管を取り出すと、火皿に刻み煙草を入れてそれに火を付けた。
細い紫煙を吹き出しながらポツリと一言。
「……で?」
「え?」
「何か話でもあったんじゃないのか?お前」
モーガンの顔が俄かに驚愕に染まる。その姿を見てエスパダは何かを悟ったのか、悪戯っぽく片目を閉じて笑みを浮かべた。
「…お前、目が動き過ぎなんだよ。挙動不審で何かあったのかって疑うのも無理は無ぇだろ」
自分にその様な癖があったとは、モーガンは驚いた。
やはり仮面か兜でも被って表情を相手に悟られない様にするべきなのだろうか?
否、今はその様な事を考える時間ではない。
エスパダだけには本当の事を話そう。
そう決意を固めて、モーガンは一つ咳払いをした。
「実は…ちょっと話したい事があってな」
モーガンは彼の隣に座り込むと、天井を仰ぎ、話を切り出した。
「実はな…….今度…正確には判らないが近い内にこの闘技場は憲兵団に制圧される。施設も観客も、下手したら剣闘士も捕縛されるな」
「いや、それって……あくまで噂の話じゃないのか?」
彼が首を横に振ると、エスパダは眉を顰めた。
「またまたそんな事言いやがって………で、言いたい事ってのは?」
「あぁ。お前、俺と一緒に此処を抜けないか?」
「えぇ?」
「そりゃあ、お前も憲兵に捕まって折檻されたくないだろ?」
「そりゃそうだけどな、お前…別にそんな事……」
その時、エスパダはモーガンがいつになく真剣な表情を浮かべている事に気付いた様だ。
どうやら彼はその言葉が冗談やハッタリではない物だと悟った様だ。
「え、マジで?」
「あぁ、大マジだ。憲兵の奴から実際に聞いた」
「……嘘じゃ無いよな?」
「当たり前だ」
「……………………………………………そうか」
彼は剣を鞘に収めると、乾いた笑みを浮かべた。
「ははははは。ったくよ、折角良い稼ぎ場だったってのに……あの噂本当だったのか……」
「あぁ……」
「……はぁ、辛いな……」
エスパダは僅かに疑心を抱いたが、それでも盟友であるモーガンのタレコミを信じる事にした様だ。
「……その話が本当なら、再就職先も探さねぇとな」
「地方の自警団とか辺境の貴族の騎士団とかはどうだ?幸いお前は結構腕が立つしな」
「あぁ…それもいいだろうけど、稼ぎがちょっと少ねぇ。やっぱり冒険者にでも転身するか」
「でも、稼ぎが多い依頼を受注出来るまでには階位上げる必要があるだろ?」
冒険者には実力に合った依頼をこなす為の階位制度が設けられている。
駆け出しは十二階位、薄黒から始まる。そこから濃黒、薄白、濃白、薄黄、濃黄…といった風にその冒険者のレベル毎に冒険者である事を表す証明書の色が変わっていく。
黒と白は精々小型や弱い部類の中型の魔物の狩猟依頼しか受ける事が出来ないが、黄やその先の赤はモーガン達が闘技場で対峙しているような強い部類の中型、そして巨人や鉄人、はたまた龍などの強敵を相手にする事が出来る。
最終的に辿り着く青と紫階位では伝説に謳われる者共に挑めるようだが、モーガンはそういった冒険者の事情には疎かった。
だが、高階位まで登り詰めれば高い報酬が得られる事だけは理解していた。
「なに、貯金くらいは多少なりにある。慎ましくやってれば生きてけるだろう」
エスパダはモーガンを指差して言った。
「っていうか……お前はどうするんだ?この後は」
「俺?俺は……ちょっと知り合いから勧誘の話があって…」
モーガンがそう言うと、エスパダはその事実が意外だったのか目を見開いた。
「へぇ、いつの間に……何処だ?軍隊か?それとも傭兵か?」
モーガンは首を横に振ると、頭を掻いた。
「実は……その……」
一瞬言い淀んだが、彼は意を決した。
「…憲兵なんだ」
「は?」
「憲兵」
「は?」
「いやだから憲兵」
「はぁぁぁぁぁ!?」
エスパダは椅子から腰を浮かせて絶叫した。
「憲兵って、アレだよな?街練り歩いて治安守ってるお方々の事だよな?」
「あぁ、そうだ」
「嘘ォ!?お前みてぇなメイス大好き呪術野郎が!?」
「嘘じゃねぇよ。昨日久し振りにバーへ行ったら、其処で知り合い………いや、憲兵とバッタリ会ってな。奴さん、俺の試合を闘技場で観てたらしいんだ」
その時、モーガンの瞼の裏に昨日の『酒樽』での情景が異常な程鮮明に現れた。
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突然。突然の出来事だった。
憲兵に入らないか?
予想外の勧誘にモーガンが茫然自失としていると、件の憲兵、ジークバルドは彼の両手を奪い取ってその爛々と輝く琥珀色の瞳を向けた。
若干戸惑いながら何とか絞り出した言葉は、
「何で俺?」
単純な疑問だった。
彼はジークバルドの手を振り解いた。
「俺の他にも憲兵足り得る奴は幾らでもいるだろ」
モーガンの反論に彼女は首を振った。
「貴方はあんな吹き溜まりで終わっていい人材ではありません、あれ程までの呪術の腕前を持ちながらあそこで終わるのは勿体無いんです!」
「いやでも……俺が憲兵なんて…柄じゃねぇよ」
「ですが、裏社会にも通じるあの闘技場で、あれ程の実力と知名度があるならばそのネームバリューと存在でさえ犯罪の抑止力になる筈です」
「え、えぇ……?」
モーガンは眉を顰めて腕を組んだ。
「でもなぁ、俺みてぇな爪弾き者がそんな公的機関に居たら色々と問題があるだろ」
「…確かにそうかもしれません。ですが……」
彼女は強い眼差しをモーガンに向けて力弁した。
「私の属する憲兵団第二部隊は今かなりの人手不足で、多分素性とかは気にせずに軽く採用されると思います。給料も良いので、貴方に不利な要素は一つも無いと思いますが、どうでしょう?」
「どうでしょうって言われてもな……」
「第二部隊には色々な人達が所属していますよ。大弓使いとか鉄兜が大好きな人とか魔法薬造りの職人とか……」
……そんな劇団紛いの隊員ばかりで本当に王都の治安が守れるのだろうか?
そんな疑問を咳払いと共に誤魔化した彼は問いを投げかけた。
「その憲兵って具体的にはどんな事をするんだ?」
「はい、憲兵団……第二部隊は王都全体の警邏や犯罪の取り締まり、今回の様に違法施設の捜査などを主な任務としています。街から出る機会は少ないので、命の危険は無いと思います。闘技場に比べたら」
「…………………………」
「………聞いてますか?」
「…………あぁ、勿論」
モーガンは瞼を開けるとビールを呷り、思索に耽った。
確かにこの強固な城壁に囲まれた王都ロジェスでは人ならざる者共が侵入してくる危険性はかなり低いだろう。
憲兵になったとしても対峙するのは怪物ではなく、精々酔っ払った傭兵か盗みを働く浮浪者、気を狂わせた魔術師などだろう。
思えば彼は他人と刃を交えた事は一度たりとも無かった。
記憶にあるだけで人間と本気の殺し合いを演じたのは卒業試験として師匠と戦った時だけ。その際使ったのは剣でもメイスでもなく、呪術だけだった。
だからこそ生身の人間と対峙して、100%の実力を出し切る自信をモーガンは持ち合わせていなかった。
彼はもう一口ビールを飲むと、板張りの天井を見上げた。
「なぁ、ジークバルド。因みに訊きたいんだけどな、その給料ってのはどのくらいだ?」
「えっと……私みたいな新米なら五千ダリアです。隊長や副団長レベルになればこの十倍は固いですね」
「っ、そんなにか!?」
五万ダリア。モーガンが月に獲得出来るバトルマネーの約二倍。
彼は金にはそこまで頓着しない人間だ。衣食住は全て最低限で、金は貯蓄している。
側から見れば立派な倹約家か何かに見えるだろう。
だが、呪術に関する事になれば別だ。
珍しい呪術書があるなら貯金を全て使い果たしてでも買い求め、呪術の発動に必要な道具類を集めるなら多少の出費も厭わない。
何故なら、彼は呪術こそ至高だと考える生粋の変わり者なのだから。
もし隊長の座にまで上り詰め、尚且つ王都の中で警邏などの簡単な仕事さえこなせば大量の術の媒体が買える様になる。
それはモーガンにとっては甘美な誘惑だった。
呪術の腕を磨き、また呪術の研究に没頭する事こそ彼にとっての生き甲斐だから。
「…………分かった。そんな条件が良いならお前の誘いに乗ろうじゃないか」
「ほ、本当ですか!?」
「あぁ。給料も良いし楽みたいだからな、折角の機会だと思って」
「ありがとうございます、チェンバレンさん!」
ジークバルドはモーガンに向けて頭をペコリと下げた。
そうして、彼の憲兵団入りが仮という形ながら決定したのだ。
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「……成る程な…」
エスパダは真横から見れば三角形のフォルムをした兜を脱ぎ、宙を見つめていた。
「お前が憲兵になるっていう事に驚きを隠せないんだがな……」
雷を纏う剣が納刀された紺色の鞘の表面に指先を走らせながら、彼はモーガンに尋ねた。
「あー………その憲兵の言う事、信じていいのか?」
「え?」
思わずモーガンは素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ソイツが憲兵だっていう事を証明する確かな物はあったか?もしかしたらソイツは只々憲兵装備を身に纏った野党かもしれない。ソイツが言ってる事に証拠はあるか?お前を踊らせようとしてるだけかもしれないぞ?」
彼はその問いに短く唸った後に答えを出した。
「多分大丈夫だって、俺はその憲兵の言う事信じるぞ」
「なっ!?お、お前なぁ……」
驚愕の声を上げるエスパダをモーガンは笑顔で制した。
「安心しろよ、エスパダ。仮にソイツが俺を騙そうとしたなら………
地の底まで追い詰めて毒で苛みながら殺すからさ」
彼は昨日ジークバルドの鎧と鎖帷子の隙間に隠した毒蟲、白百足の存在を確認しながら言った。
『孤蟲』、壺や瓶といった閉鎖的状況の内部で他の個体を喰い殺して生き長らえた蟲の中から厳選した一体の蟲を操り、自由自在に動かすという呪術だ。
仕込んだのは昨晩買った大瓶の中で蠢いていた白百足の中でも一番体躯が小さい物。
ジークバルドの手を振り解いた時にこっそりと忍び込ませていたのだ。
それをジークバルドの説明を聞いてる最中に少しずつ操って動かしたという訳だ。
これにより白百足と共に居るジークバルドが何処に居るかも把握出来、彼女が寝ている間に体内へ移動させて、確実に毒で嬲り殺す事も出来る。
蟲の存在が探知されるまで、実質的にモーガンはジークバルドの命を手中に収めている事になる。
「へ、へぇ………」
眉を顰めてやや引き気味の態度を取るエスパダの姿に、モーガンは自嘲を含めた苦笑を漏らした。
「酷ぇやり方だけど、これが一番安全なんだ。任意のタイミングで殺す事も出来るしな」
『孤蟲』は利便性がかなり高い呪術だ。
羽蟲などを用いて視覚をリンクさせたのなら広範囲の索敵も可能で、今回の様に衣類に忍び込ませたなら皮膚を咬んで毒液を流し込む事が出来る。
発動に必要な媒体の調達はやや面倒だが、その労力に見合う程の性能を兼ね備えた呪術だった。
「その憲兵がもし俺に事実と少しでも違う事を言ってたのなら、俺は蟲を動かしてソイツを毒で葬る」
「怖ぇな…」
「だろ?いつ刃が引かれるかも判らない鎌が四六時中首に掛かってる様な状態だからな。そんな状態で日常生活過ごせって言われたら気が狂いそうになるよな」
モーガンは本気だった。
もし自らがジークバルドに手を掛けて毒殺しても、彼が呪術を使ったという痕跡は一切残らない。
其処に残るのは生々しい咬み傷が残った人間の亡骸とその上で這う一匹の毒蟲だけだ。
彼はジークバルドに何の感情も抱いていない。可哀想やら同情の余念も無い。
裏切った瞬間に、モーガンが彼女に失望した瞬間に、ジークバルドは彼にとっての駆逐すべき敵と化すのだから。
「……お前やっぱ凄ぇわ」
「だろ?」
エスパダの感嘆の言葉に、モーガンは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「まぁ……俺はお前と、憲兵の言葉を信じる。もう一度聞くぞ、本当に襲撃はあるんだな?」
「あぁ、多分」
「…………そうか」
エスパダは兜を被ると椅子から立ち上がり、剣の鞘を腰に差した。
「………俺は今日の試合で六年の剣闘士生活に終止符を打つ。今日の相手は確か……醜鬼か。お前は確か大蛙だったな」
「あぁ。最後まで気を抜くなよ?昨日の新入りみたいになるぞ?」
「解ってるって」
彼の纏うカートライト鋼の鎧が蝋燭の火に照らされて鈍く輝いた。




