雨には流れぬその心
しめしめと、ひっそりと投稿
エルミータ宅で食事が行われるのはモーガンがこの城に住み始めた十六年前から変わらず、最上階にある小部屋だった。
本来は城主の執務室であったと思わしき部屋はバルコニーと直結しており、食事後には簡単に夜風に当たれる様になっている。
この城塞にはもう一つ城主もそれに仕える騎士達までもが同時に食事が出来る程の巨大な食堂があるのだが、其処は現在倉庫として様々な呪術の原材料が保管されている。
エルミータ曰く『広過ぎると落ち着かない』という理由で、使われていないのだ。
そんなダイニングの中央に置かれた古びた机、それを囲むのは二人の呪術師、モーガンとエルミータ。
「……それで俺が発生させた『重油塗れ』と火が合わさる事で発生した爆風で隙を作って、捕縛してその件は一応終わったんです」
「成る程ね……」
パン一個と野菜スープという質素な夕食を食べ終えて一息吐いた後、モーガンはエルミータに促されてこの六年間で起こった様々な出来事を語っていた。
憲兵団へ入団する前の事、入団試験で決死の特攻をした事、麻薬密売組織を崩壊させた事、そして王都を襲った歩く巨塔の王とその側近の事も。
全てを聞き終えたエルミータは口元を綻ばせ、まるで子供の成長を見守る母親の様な柔和な笑みを浮かべていた。
「先程の模擬戦でも分かっていたけど……モーガン、大きくなったね」
「はは、ありがとうございます」
「呪術師としてのスキルは勿論、話を聞く限り精神的にも強くなったみたいだ。まさかあんな雨に打たれて泣いてたヒヨッコが、何千何万という人間の命を守る職に就くなんてね……」
彼女は微笑を浮かべながらも、憂いを帯びた瞳で記憶よりも背の伸びた青年を見つめた。
「君のご家族も、今の君を見ればきっと誇りに思う筈だよ」
その言葉にモーガンは息を飲み、そして頷いた。
「……はい、きっと」
「今回の帰郷、流石に私に会うだけで終わり、じゃあないだろう?」
「……六年やってなかった、墓参りしようと思います。前までは毎年行ってましたから。まぁ、命日じゃないですけどね」
そんな軽口を、笑い混じりに言う。
十六年前、八月中旬の雨の日。チェンバレン家が次男であるモーガンを遺して全員が突如襲い掛かった土砂流に飲み込まれ、一人残されたモーガンが孤独のままにエルミータに弟子入りしたあの日。
その凄惨な経験が、虚無とも呼べるあの感情が、心に負った深い裂傷が、自分が蠱毒に魅入られた原因の一つとなっているのかもしれない、とモーガンは自分勝手に信じている。
少なくともあの日がモーガンの人生を大きく変える転機だったという事だけは確かだ。
「晴れたのなら明日にでも行きますよ、多分明日晴れますよね? 雲も無いですし」
「あぁ、きっと心配要らないよ」
ふとその時、エルミータは何かを思い出したかの様にあっと声を上げた。
「そうだった。折角あの方面へ行くんだ、君に頼みたい事がある」
「何ですか?」
「明日、墓参りのついでにちょっとギャッツマンの所へ行ってきてくれないか?」
「ギャッツマン爺の所……ですか」
「そう。貯蔵の毒液が不足してきてね、彼に貰いに行ってきて欲しいんだ」
呪術に必要な毒素が植物や爬虫類由来の物とは限らない。昆虫類などの毒も非常に有用で、その中でも特に蜘蛛の毒液は濃度が高く、それでいて扱い易い事から様々な用途に使用される。
老齢の巨大蜘蛛ギャッツマンから採集できる毒液は洗練されていて特に濃く、水で薄めても通常以上の危険性を誇るのだ。
当然これを利用しない手は無く、余った動物の肉や巣周辺を荒らす化け物共を駆除する事を対価として定期的に提供して貰っている。
「まぁ、構いませんよ。帰省って言ったって、多分毎日暇になるでしょうから」
「暇があるくらいならまた手合わせ、そして新しい呪術の実験台になって欲しいんだが?」
「……まぁ、全身にカポジ肉腫が出来ないなら実験台になってもいいですよ。それと窒息が無ければ」
モーガンは懐からシガレットケースを取り出し、その中から半分程まですり減った葉巻を引き抜くと、それに愛用のライターで火を付けようとした。
その光景を見ていたエルミータは眉を顰めて顎の下で手を組んだ。
「まったく、一体どこでヤニの味を覚えたんだい?」
「武者修行してる時に……迷惑でしたか?」
「あぁ。出来れば止めて欲しい、それか外で吸ってくれ」
「す、すみません……」
彼はいそいそと葉巻をシガレットケースに戻した。流石に敬愛する師匠の前で煙を吹かすのは失礼だったか、少し後悔を感じる。
「……そういえば、吸った事も無かったな。葉巻は」
「え、そうなんですか?」
「あぁ。ヤクも葉巻も手を出した事は無いね、酒も嗜む程度だし」
「……師匠、一体この六年間何を娯楽として生きてたんですか!?」
モーガンが冗談じみた口調でそう尋ねると、エルミータは大声で笑った。
欲の少ない人だとは昔から分かっていたが、まさかここまでとは。食事も質素な物で、趣味と呼べる趣味も精々読書と呪術の研究ぐらいしか無い。
いや、読書といっても読む書物はやはり呪術にまつわる内容ばかりの物で、最早生活の殆どを呪術に注いでいると言っても過言ではない。
「まぁ、この六年間は研究で忙しかったからね、暇さえあれば研究に没頭してたんだ。決して趣味が無いという訳ではないよ?」
「そうなんですか?」
「まさか私が呪術ばかりのつまらない人間だとでも? 私にだって趣味の一つ二つはある、君が去った後かなり時間の余裕が出来たからね、良い機会だと思って新しい事に手を出したんだ」
エルミータは椅子から立ち上がると、ダイニングの入り口の側に鎮座する草色の布で覆われた巨大な何かの元へ歩み寄った。彼女がニヤリと笑って布を剥ぎ取り、その中から姿を現したのは銀色に輝くハープだった。
「……ハープ?」
「そうだよ。わざわざ近くの村で買ってからここまで運んで来たんだ、あの子達の手を借りてね」
「あの子達……あっ、アレですね……」
モーガンの脳裏に浮かんだのは、地面から湧き出る歪んだ輪郭をした胎児の様な形状の化け物の姿だった。
「君が出て行った後、凝り始めたんだ」
彼女はハープをその場所に固定するレバーのロックを解除しながら語り続ける。
「……あの日から、生活が何だか一変してしまってね。ご飯を余分に作ってしまったり、居ない筈の君を呼ぼうとしてしまったり……あの一ヶ月はギャッツマンが居なければ気が狂ってしまっていたかもしれないね」
「そ、それは言い過……」
言い過ぎだと思います、言い掛けた言葉を咽頭で堰き止める。
忘れはしない、あの雨の日に彼女が吐露した思いの丈を。優秀過ぎる故に感じていた疎外感を、凡ゆる人間から期待される重圧を、誰にも理解されなかった孤独を。
有能な魔法使いになる事を強いられ、肉親に会う事すら許されず幼少期から魔法学院に送られ、その優れ過ぎた才能が祟り虐められ、好きな虫に関する研究も誰にも認められず、人間としてではなく脳だけを評価される毎日。
モーガンが押し黙るのを知ってか知らずか、エルミータは何とも無いような素振りでハープを底に付いたキャスターを回してバルコニーへ運んだ。
「ほら、こっちへおいでよモーガン。一曲歌ってあげるから」
「わ、分かりました」
バルコニーへ出ると、フワリと春夜の風がモーガンを包み込む。冬の気配を僅かに感じるそれは日に日に熱を帯び、夏の顔に変貌を遂げていくのだろう。四季とはかくも美しいのか。
「うわ、この眺めも懐かしいな……」
手摺りに両手を置き、眼下に広がる青い森の海を眺める。遠くに臨む休火山も、命が蠢く大地も。何の変哲も無い、平坦で変わり映えの無い光景だが、それでも確かにモーガンの心は躍った。
暫しその風景に見惚れていたが、エルミータが音律の調整をし始めた事でモーガンはハッと自我を取り戻した。
「お、何を弾くんですか?」
「ふふ、昔人から教わった曲でね、『山紫水明』っていう曲さ」
「『山紫水明』って、確か自然が凄く綺麗っていう意味でしたよね?」
「まぁね」
エルミータは息を吸い込むと、徐にハープの演奏を始めた。滑らかで陶磁器の様に美しく白い指が紡ぐ音色は甘美で、不思議と心安らぐ様な気がした。
「おぉ……」
モーガンが演奏に聞き入りだしたのを見計らった彼女はハープの伴奏に合わせて歌い出した。
優しく慈愛に満ちた歌声はか細くも透き通る様な旋律を創り出し、その声で編み出される歌詞は恐らく旧大陸の言語。意味は分からないが、それでも美しい言葉が羅列されている事だけは耳ではなく心で理解出来た。
演奏が終わるまでの間、モーガンはただただその歌に聞き惚れる事しか出来なかった。
「…………凄ぇ」
思わず感嘆の言葉を漏らす。それを聞いたエルミータは照れ臭そうに顔を赤くした。
「ありがとう、聞いてくれて」
「いえ、その……良かったです」
言葉足らずで稚拙な感想を口にする。それが今モーガンに出来る最大の賛辞、それ程までに彼女の歌は美しかった。
「まぁ趣味の範疇だからね、歌で飯を食ってる人間の演奏はこんな物じゃないよ。それこそ、価値観を変えてしまう程の物もあるかもしれない」
モーガンには単なる冗談、だとも唾棄する事も出来ない。
趣味でしか歌わない、それこそ素人の歌声でもこれ程心を揺さぶられるのだ。自らの音楽の才能だけで生きている宮廷付きの音楽家のそれなら、本当に人間一人簡単に変わってしまう可能性もあるのだ。
エルミータは額を僅かに汗に濡らしながら、明るい笑みを見せた。
「まぁ、人に聞かせられるのはこれくらいかな? ……逐一言うけど、聞いてくれてありがとう」
「此方こそ、わざわざ弾いて頂きありがとうございます。僕で良ければまた弾いて下さいよ」
「ふふっ、そうだね」
師匠と弟子は静かに笑い合う。
この関係は六年経った今でも変わらないらしい。師弟と言うには親密で、親子と言うには少々物足りない。この微妙な距離感こそ彼等のあるべき姿であり、望む形なのだ。
「……あぁ、そういえばこの前村で中々珍しい酒を買ったんだ。『どぶろく』、っていう名前でね」
「『どぶろく』? 変な名前だな、どこの酒なんですかそれ……」
「さぁ、その辺りの説明は聞かなかったから知らないよ。まぁ美味しいから大丈夫だよ」
「そういう問題じゃないでしょう、まったく……」
この距離感が、どうしようも無く心地良い。
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「ふんっ、ふんっ……」
憲兵団本部の敷地の端、他部隊のそれよりも人気の少ない第二部隊宿舎。ただでさえ暗い新月の夜闇の中で松明やランプすら焚かず、それこそ一寸先すら見えない状況下で岩盤の如き大きさを誇る特大剣を振り回す大男が一人。
その名はホネスト・ウィッテン。曲者揃いの第二部隊を束ね、指揮する半巨人の戦士だ。
下半身だけを鎧で固めており、上半身には何も纏っておらず隆々とした筋肉が滝の様に溢れ出る汗で濡れている。蒼い双眸はいつもとは違い輝きが無く、心なしか表情にも疲れが見える。
一心不乱に、荒々しく特大剣を振るウィッテンはふと自らに近付いてくる者の気配を察知する。
どうやら闖入者は光源、それもカンテラを持っているらしく、背後から温かみのある光とカラカラと金属同士の擦れ合う音が近付いてくる。
「……誰だ?」
そう尋ねながら振り返ると、其処に居たのは第二部隊副隊長のアテンシア・クレイドだった。
「私よ、ホネスト」
「アテンシアか……まだ起きていたのか?」
「いえ、さっきまで寝てたんだけど、ふと目が覚めちゃって……少し見てていい? 貴方の素振り」
「……構わんよ」
そう言うと、クレイドはホッと和らげな笑顔を浮かべて、その側に積み上がっていた薪の束に腰を下ろした。只の素振りと言えども立派な鍛錬の一つ、日々の訓練に重きを置くウィッテンがそれをおなざりにする訳が当然無い。
彼は真っ直ぐに剣先を見据え、黙々と剣を振るい始めた。
「……今日も遅かったよね、やっぱりあの事でしょう?」
「あぁ。エクティの所で朝から晩まで対応に追われてな、エルダや第八部隊と共に会議室で一日中捜査に協力していたのだ」
あの事、というのはつい先日発生した留置所内でのギア暗殺事件を指している。あれから数日経っているが犯人の素性は一切掴めず、最早捜査専門の部隊である第八部隊の面々も両手を挙げている状態だ。
だがそれだけで終わらせる訳にはいかない。必ず何か手掛かりがある筈だ。
それを信じ、ウィッテンは奮闘しているのだが、どうやらその望みは叶わないらしい。
「私は、犯人を探り当て、必ずこの手で……制裁する。それが私の責務だ」
静かな声で彼は決意を口にした。
一見それは彼らしい、勇猛さ故の台詞だと思える。しかし彼、そしてこの事件に携わる人間は全員、この事件を引き起こした者が化け物、或いはそれに匹敵する程の力を持つ人間だという事を直感的に理解していた。
常人なら誰にも見つからず、たった数分間で何人もの人間の首を刎ねる事は出来ない、それどころか憲兵団本部に侵入する事だって不可能だろう。
この暗殺劇をやってのけたのは相当の実力者、と見るのが普通だ。
「……なぁ、アテンシア」
「何?」
ウィッテンは特大剣の刃先を隊員達が眠る宿舎へ向け、小さく告げた。
「私は隊員達を簡単には殺させない、悪魔にも化け物にも、犯罪者共にも。彼等が命を落とす時、それは私が死ぬ時だ」
その言葉の裏から覗く、彼の断固たる決意と勇気が放つ威圧感に圧倒されながらも、クレイドは笑った。
「何よ、いきなりそんな事言って……」
「今回の件、間違い無くこれだけでは終わらない。終わる訳が無い」
ウィッテンは特大剣を地面に突き刺し、空を仰ぐ。蒼い瞳は、真っ黒な天に散りばめられた無数の星々を鏡の様に映し出していた。




