毒紫の一閃
僕、タブレットのメモ機能で文を書いているんですけれど、新しいバージョンになったら急に重くなったんですよね。
その関係で入力遅延とかが起きて、もうストレスが酷くて酷くて。
其処は、元は貴賓を持て成す応接室か何かであったと思わしき部屋であった。
天に祈る戦騎士を模したステンドガラスが昼過ぎの眩ゆい光で部屋中を淡い虹色に染め上げ、幻想的な空間を創り出していた。
艶やかな光の下にあるのは木目が鮮明な長机で、一対の古ぼけたソファがそれを挟んでいる。
その片方に、モーガンは腰掛けていた。
彼は荷物を全てソファの脇に置き、いかにもリラックスしているという風体だ。
六年振りの我が家、やっと腰を落ち着ける事が出来たのだ。
ふとその時、不意に豪華な装飾の施されていた跡の残る扉が音を立てて開き、その向こう側からエルミータが姿を現した。
その手には二つのティーカップが載せられたお盆。
「お待たせ、待ったかい?」
「いえ」
質素な机の上に、軽快な音を立ててカップが置かれる。
それに並々と注がれているのは鮮やかな褐色に輝く紅茶。擦れる様な薄い湯気を立てて、カンテラの炎の下でキラキラと輝いていた。
「はい、どうぞ。お茶」
「あ、ありがとうございます」
モーガンは小さく会釈し、差し出された紅茶を啜った。
舌を突き抜ける酸味と柔らかな甘み、それらを一緒くたに包み込む芳醇な香りと口腔を優しく包み込む温かさに、彼は思わず小さな息を吐いた。
「茶葉も昔から変わってませんね。アライバから取り寄せてるんでしたよね?」
「あぁ、そうだよ」
乾燥した気候の地域の多くを統治するアライバは、旧大陸から流れ込んできた茶葉の栽培に成功した国だ。
数百年前に大陸全土を焼土とした戦争が終わり、新大陸に犇めく国々の間で和平協定が結ばれ国交が回復した折、一番最初に流行した物こそ、紅茶文化だった。
当時は黒死病の流行により、河川には棄てられた死体で溢れ返っており、誰もが彼等の浸かった水は汚れた物だと忌避し、口にする事を躊躇った。
だが当時は茶葉には強力な解毒作用が含まれると信じられており、人々はこぞって紅茶を飲む様になった。
最初は貴族や裕福な農民のみが飲む事を許された特権であったが、安価で大規模栽培が可能な新種の茶葉が発見されると、庶民の間にも爆発的に流行した。
その後下水道などの衛生設備が整備されると同時に黒死病の流行は鳴りを潜めたが、人々の習慣に根付いた紅茶文化はそのまま愛される事となったのだ。
「最近どうですか? 師匠の方は、寂しくないですか?」
「寂しくない、と言えば嘘になるかもな。でも、暇を持て余したギャッツマンとかが来るから、多少は紛れるかな」
「あれ、ギャッツマンさんってまだ生きてるんですか?」
「勿論、しぶとく生き長らえているよ」
ギャッツマンとはこの近辺の森に棲まう、高い知性を持った高齢の毒蜘蛛で、森の深奥に引き篭もるエルミータとの交流がある数少ない人物(?)の一人だ。
当然エルミータの弟子であるモーガンとも面識があり、幼い頃は共に森に出て様々な事を教えて貰ったものだ。
久し振りに会いたいな、と思いつつモーガンは再び紅茶を飲んだ。
「ふぅ……やっぱり美味いですね」
「だろう?」
「俺、師匠の作るシトラスティー好きなんですよ。あっちじゃ作る暇も無いんで」
「そんなに忙しいのかい?」
「いや、というより……呪術の媒体を買うのに殆どの金が消し飛ぶので」
そう言うと、エルミータは紅茶を一飲みして、心底嬉しそうに笑った。
「私の言い付けを守ってるみたいだね」
「勿論、『己の全てを呪術に注ぎ込め』、でしたよね。給金の大体は呪術に使ってますよ」
「そうか……ん、給金っていう事は、冒険者じゃないんだね。近衛兵の類か?」
「いえ、俺は……今ガーランド王国王都ロジェスで憲兵をやってます」
そうモーガンが告白すると、エルミータは目を見開いた。
「憲兵か! へぇ、モーガンがそんな……驚いたなぁ……所属は?」
「第二部隊、あー……犯罪組織の強制的な取り締まりやら緊急作戦の実行を主にする、言わば憲兵団の拳ですよ」
「それはまた天職を手に入れたじゃないか。『毒霧』を振り撒くの、君好きだろう?」
「そりゃそうですけど……大変ですよ。この肩の怪我だって、ちょっと前にあった作戦で負いましたし、入団試験の時なんて口の中溶けましたからね」
「……成る程、『酸の吐瀉物』か。良いじゃないか」
モーガンは揺れる褐色の水面に視線を落としながら、静かに驚いた。
口腔が溶けたというワードだけで何の呪術を使ったのかを正確に当てられたからだ。
やはり呪術の師、蠱毒に魅入られた天才という訳か。
気を取り直して、モーガンは視線を上げた。
「他にも色々とあったんですよ、この六年間。それに至るまでの経緯も中々複雑で……ちょっと長くなりますけど、良いですか?」
「私は別に構わないよ。今までモーガンが何をしていたのか気になるから」
「あぁ、それなら……」
師匠からの了承を得たモーガンは語り出そうとするが、その言葉は不意にエルミータの漏らした言葉により遮られた。
「だけど、これの事は良いのかい? 興味、あるんだろう?」
そう言って彼女がポケットから取り出したのは、先程見せられた物と同じ、『造型』で作られた毒の弾丸だった。
ずっと頭の片隅に残り、常時チラついていたそれ。
『造型』とは何なのか、それを応用した呪術とは一体。
モーガンの脳内は、瞬時に湧き上がってきた疑問で埋め尽くされた。
「あっ、それは……!」
「申し訳ないが、私は自らの研究成果を懐に留めておく程奥ゆかしくはないんだ。自慢させてくれ」
「……はい、勿論分かっていますとも。自慢して下さいよ、たっぷりと」
エルミータとモーガンは残っていた紅茶を一気に飲み干すと、ほぼ同時に立ち上がった。
「さぁ、感嘆してくれよ。私の努力の結晶に」
「言われなくても」
師弟は互いに顔を見合い、フッと噴き出す様に笑った。
六年という長い月日を隔てても尚、こういう所は昔と全く変わっていなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
応接室を後にした彼等は、灰色の城壁に囲まれた、雑多な的が向こう側に置かれているだけの簡素な訓練場を訪れた。
此処へ来るのも、六年振りだ。
「懐かしいな……此処で何回死にかけたっけ……」
そう呟きながら、改めてモーガンは自分が先程まで入っていた建物を眺めた。
それは複雑な形状の、確かな威圧感を荘厳に放つ城だった。
エルミータはモーガンが物心付いた時から、遥か数百年前の戦争で使われた後放置されていたという城塞に住んでいる。
外敵の侵入を防ぐ楼門や、居住区である城本体を囲う城壁は夥しい蔦で覆われているものの依然として崩れる事も無く健在で、城内も比較的綺麗に整頓されており、まだまだ現役の砦として使えるかもしれない。そんな機会は恐らくもう無いが。
所有権は遥か昔この地域を統治していた貴族一族の物だが、その血も絶えてしまった今、この城塞は完全なる空き家。
其処にエルミータは住み着いているのだ。
モーガンが彼女に師事を仰いだ時には既にこの城塞に住んでおり、それまでエルミータが何処に居を構えていたかなど知る由も無い。
「さぁ、モーガン。準備は出来たかい?」
その声を聞いて、彼は振り返った。
視線の先には、見慣れた機械弓を肩に担いだエルミータが立っていた。
「あれ、今度は猟銃じゃないんですね」
「こっちを使った方が射撃に自信があるからね」
そう言って彼女は徐に弦を引いて木製の機械弓専用の矢、ボルトを番えると、流れる様な動作で右腕を上げて引き金を引いた。
すると凄まじい勢いでボルトが射出され、遠くに見える的の丁度中心点を綺麗に貫いた。
「お見事」
「ふふっ、驚くのはまだ早い」
エルミータは円柱形の矢筒の下で揺れる弾帯から中指程の大きさの小ガラス瓶を取り出すと、それを空いている左手の内で握り潰した。
女性とは思えない程の瞬間的な握力で粉々に砕け散ったガラス瓶の中から姿を現した粉塵を固く握り締めると、何やら指を器用に動かして細工を施した。
そして、
「『貫き蝕む毒矢』」
そう術名を呟いた途端、彼女の五本の指の間から毒々しい紫色をした液体が溢れ、それと同時に湯気の様に毒霧が噴き上がる。
何が起こるんだ?
モーガンが眺めていると、不意にエルミータの足元に立ち込めていた毒霧と毒の水溜まりが彼女の左手に帰っていく。
するとその刹那、水が凍り付いて氷になるかの様に、垂れていた毒液が一気に終結し、鋭利な矢の形に凝縮した。
「……ッ!」
驚愕したのも束の間、エルミータは鋼鉄の様に固い機械弓の弦を引いて、毒矢をセットすると先程の様に瞬時に狙いを定めて発射した。
熟練の狩人の如き緻密で正確な狙いの下、毒矢は一本目と同じ様に的の中心に吸い込まれる様にして突き刺さった。
すると次の瞬間、木板の的を射抜いていたドロリと溶解して白い塗料で描かれた丸を覆い隠した。
「あ、あの師匠……」
「黙っていてくれ。気が散る」
戦地に赴く騎士の様に真剣な表情のまま、エルミータは機械弓に毒矢を番え、次々と的を射抜いていく。
結果、彼女の手の内に発生した四本の矢は皆中した。
「ふぅ……こんな物かな」
先程とは一転、安堵感を湛えた柔和な笑みを浮かべたエルミータは銀色に輝く機械弓を細い指先で弄った。
「師匠、今のは……」
「これが『造型』の応用形、初級呪術『貫き蝕む毒矢』。媒体を作る工程は少し大変だが、ストックがあればかなり有利に立ち回れる。まぁ、君は機械弓を使えないからこれのお世話になる事は多分無いだろうけどね」
「いや、それでももしかしたら使うかもしれないので……調合法を教えてくれませんか?」
「後で一気に教えよう。他にも色んな呪術を見せたいからね」
「……一体どんだけ作ったんですか……」
「かなりの数、だよ。君が使える様なのは、少しだけだけど」
「例えば?」
モーガンの軽口に応える様に、エルミータはポーチから小ガラス瓶を取り出した。
機械弓を地面に落とし、自由になった右手でそれを握り潰すと、不意に拳を自らの左腰に当てた。
その構えはまるで、遠い東の地にあるという伝統的な剣術、『ブシドー』の様に鋭く、威圧感を放つ物だった。
そして一言、呟く。
「『毒の大剣』」
彼女の右手が動き出した瞬間、本能的に危機を察知したモーガンは僅かに痛む身体を動かして全力でその場から飛び退いた。
するとモーガンの残像の腹を、巨大な紫色の刀身が斬り裂いた。
「やっぱり避けてくれたね、想像通りだ」
一筋の冷や汗を垂らす彼に、エルミータは右手で毒素が凝縮された大剣の柄を握りながら、笑いかけた。
「事前に一言言って下さいよ……もし避け切れなかったらどうするつもりだったんですか……」
「当たる寸前で解除してたよ、こんな風に」
彼女は見せびらかす様に右腕を挙げると、きつく締まっていた指を解いて大剣の柄を手放した。
すると堅牢に結び付いていた毒素の結合が切り離され、市販のツヴァイヘンダー並みの長い刀身を誇るそれはあっという間に毒の煙となって風に流されていった。
「『毒の大剣』、先程の呪術と同じ様に『造型』を利用した中級呪術。触れただけで肉を溶かす腐食系の毒素を凝固させた大剣を創り出すんだ」
「へぇ、それは凄い……!」
モーガンは昂った。
遂に、遂にメイスの代替わりとなる武器を得る呪術を手に入れたのだ。
彼は呪術のみを用いた戦闘を夢見ており、長年それを渇望していた。
だからこそエルミータの編み出した『毒の大剣』は、モーガンにとって夢を実現させる唯一無二の希望の鍵に成り得る。
期待に目を輝かせるモーガンだったが、そんな彼にエルミータが向けた物は憐れみの視線だった。
「あぁ……申し訳無いが、これを長時間使い続ける事は出来ないよ」
「え、ど、どうしてですか!?」
衝撃の事実に彼は思わず声を荒げて、その理由を尋ねた。
「脆いんだ、凄くね。手の平から離れれば形を保てなくなって霧散するし、数回振っただけで衝撃に耐え切れずに崩壊する。まぁ、特大剣よりも長いし、軽いから使い易いけどね」
「……つまり、恒常的に使うのは無理、と?」
「そういう事だ。容量が無限大のポーチか何かが有れば別だけどね」
「そう、ですか……」
肩を落とし、溜め息と共に落胆しようとするのを寸前で堪え、モーガンは笑みを取り繕った。
折角敬愛する師匠が開発した呪術だ、それを否定する事は彼女に対しての礼儀を欠く事と同意義であると理解している為である。
だが、ぬか喜びに終わってしまった夢の残滓は余りにも綺麗で、簡単に捨て置ける筈が無い。
モーガンは独自に『毒の大剣』を改良して、効果持続時間を延長させる所存であった。
「……そういえば、腐食性の毒素っていう事は……その大剣が質量が無い代わりに毒があるから、それを使って接触部分を瞬時に溶かして断ち切るのが使い方って訳ですよね?」
「正解だ。毒素はどんなに固めても質量だけは獲得出来ないからな。その硬度と毒に任せて振り回すのが一番だ」
「成る程……」
「『毒の大剣』の発動時間は保って五秒間。時間内に周囲の敵を斬るんだ。五秒もあれば五、六回は振れるだろう? モーガンなら」
「い、いや……それはまず自分の手で持ってみないと……重さはどのくらいですか?」
その質問に、エルミータは先程右手の内にあった『毒の大剣』の柄の感触を思い起こすかの様に指を無秩序に動かした後に答えた。
「そうだな……私は剣術には疎いが、精々ハルバード程度だな」
「ハルバードですか? それなら片手でも持てそうですね」
「まぁな。だが、呪術の真髄は使えるかではない。これ以上無いと思える程、最高のタイミングをいかに見計らい、状況に合った呪術を操れるかどうかだ」
それは彼女が昔からよく展開している、独自の理論だった。
「魔法にせよ奇跡にせよ呪術にせよ、最も重要なのは、術式の持つ強味をいかに上手く出せるかどうかだ。何も考えず同じ術式ばかりを使い続けるのは、愚者か亡者のやる事だ。モーガン、君は当然違うだろう?」
「はい……勿論」
当然だ、とでも言わんばかりにモーガンが自信満々の笑みを向けると、それに呼応する様にエルミータも静かに笑みを湛えた。
そして、彼女はポーチから何本かの小ガラス瓶を取り出すと、それらをモーガンに投げ渡した。
彼は宙に浮かんだ小ガラス瓶を全て受け止め、怪訝な表情を浮かべた。
「それは『毒の大剣』の媒体だ。幾つかを君にあげよう」
「……何をするつもりですか?」
「いや、ちょっと君がこの六年間でどれ程成長したのかを見極める為の試験をするだけだよ」
少年の様に明るく、それでいて冷酷な殺人鬼の様に獰猛に笑い、目をギラギラと輝かせる師匠の姿を見て、モーガンは固唾を飲んだ。
「……まったく、本当に最高ですね、師匠」
「ハハハハ、こんな戦闘狂は嫌いかい?」
「まさか、大好きですよ。今も、昔も」
「それは良かった」
六年振りの再会から数時間と経たない内に、戦闘狂の師弟は刃を交える事となる。




