表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/46

酒の席で






大瓶を背負いながら地下街を出ると、風が強くなっているのを感じた。

鎧を纏っているので胴体は問題無いが、風が直に当たる顔は少し肌寒い。


「さて。帰るか……」


そのまま帰路に着こうとしたが、モーガンは不意に思い立った。


そうだ、久し振りに酒を飲もう。


別に深い理由は無い。

ただ、彼の肉体が気紛れにもアルコールと酩酊を欲している、ただそれだけだった。

幸い所持金はまだ残っている。

確か先程の買い物で合計五千ダリアを使ったので残額は二千ダリア、酒を飲むには十分過ぎる金だ。


酒場には丁度思い当たる場所がある。其処に行こう。


彼は踵を返すと、自宅がある南区とは反対方向である中央区に向かって歩き出した。





~~~~~~~~~~~~





地下街の出口から歩いて数十分程度。

大通りの下側に位置するその店は人目を憚るかのようにひっそりと建っていた。


バー『酒樽』、それがその店の名前だ。


モーガンは重厚な木の扉を開け、店内へと足を踏み入れた。


店内にある人影はただ一つ。『酒樽』の経営者であるアルコ・オースティンの物だ。

彼女は漆黒の燕尾服を身に纏い、カウンターで静かにグラスを磨いていた。

モーガンは彼女の眼前の椅子に腰掛けると、頬杖を突いた。


「よう、アルコ。珍しいな、こんなに客が居ないなんて」

「だろう?今日は客足が遠くてね。いつもならカウンター席が埋まるくらいには来るんだが……」

「まぁいいじゃねぇか。その分俺も来易くなるんだし」

「まぁそうだろうね、モーガン」


アルコは机の下にグラスを戻した。


「さて、注文は何にする?」

「あー……じゃあビール」

「畏まったよ」


そう言って彼女は店の裏へと姿を消した。


「ふぅ……」


やはり此処が好きだ。

店内の雰囲気も落ち着いており、酒の種類も豊富。それでいて値段も安く酒の品質も良い為、案外懐が寒いモーガンでもじっくりと酒を嗜む事が出来るのだ。


(折角だし閉店まで居ようか……)


そんな事を思い立ったその時、背後でガチャリと扉が開いた。


恐らく客が来たのだろう。

当然赤の他人に興味を持たない俺は新たな来訪者に背を向けたまま、ビールが運ばれるのを待っていた。


だが、彼はそうして無関心を貫く事が出来なかった。


「…………モーガン・チェンバレン…!」


背後から、彼の名を呼ぶ女性の声が聞こえたのだ。


「………ん?」


声のした方向を見ると、其処には端正な顔立ちをした青髪の騎士が立っていた。

その華奢な身に纏った純白の鎧を深緑色のマントで覆い隠し、腰には剣が下げられている。

そしてチェストプレートに彫られた特徴的な白梅の彫刻。


それを見た瞬間、モーガンは彼女の正体を悟った。


「…………お前……」


ゴホン、と一つ咳払い。


「此処で俺に会ったという事を今すぐ忘れて引き返せ、憲兵」


冷淡な口調で彼はそう言い放った。


その女性が身に纏っている鎧は国王直属の憲兵団が正式採用している型だ。

局部や臓器といった必要最低限の部位だけを鉄板で覆っており、革で作られた稼動部位が大きい為非常に動き易くなっている。

とはいってもその鎧の下には鎖帷子を着込んでおり、ナイフの斬撃程度で貫通する事は難しいだろう。

それらは街を駆け、狭い市街地での戦闘が有利になる為に考案された歴戦の戦士達の知恵だった。


そんな鎧を纏った女性、憲兵は毅然とした態度で言い返した。


「申し訳ありませんが、私の業務は終わってるので貴方を捕らえる事は出来ません。もし仮に此処で戦ってもリーチの狭いメイスを使う貴方の方が有利です」


確かに店内はバーというだけあってかなり狭い構造になっていた。

カウンター席から壁までは両腕を伸ばした程しか無く、天井も低い。

その為、憲兵が今携えている剣よりもモーガンのメイスの方がリーチが短く小回りが利く為、閉所での戦闘には有利なのだ。


憲兵は更に言葉を紡いだ。


「今貴方と刃を交えれば、この店にも危害が及びます。無関係の民を巻き込む事は出来ません。それに……」


俄かに、その凛々しい表情が崩れた。


「あんな実力を知ってしまった以上、よっぽどの命知らずでもない限り手を出せませんよ」


その眼には諦観と強者に対する畏敬の念が込められていた。


「……観ていたのか?あの蜥蜴人との試合を」


モーガンは決して警戒は解かなかった。

鎧には血脂や土煙の痕すら付いておらず、そのマントには皺一つ見当たらない。

新人か、それとも駐屯兵の成り上がりか。

恐らくそのどちらかだろうが、この憲兵が彼にとっての障害という事実は変わりない。


彼は左手を僅かに腰に取り付けた携帯ポーチの方へと向けた。


「はい。何と言うかその……呪術の真髄を見たような気がします」

「……そうか。確かに呪術を剣術と併用して使うってのは俺の流派だけだろうな」


本来呪術とは古来より占いを主に発達した術式で、決して近距離で扱う物ではない。

モーガンが使っていた『蟲王の御手』や『蠍星の祝福』といった呪術は例外中の例外で、その他の殆どの呪術は遠距離からの使用を考慮して開発された物ばかりだ。

だからこそ呪術師にとってのセオリーとは剣士の間合いではなく、弓手や魔法使いと同じ様に遠距離から攻める事なのだ。


しかし、モーガンの属する流派である『コーネリウス流』はその常識に真っ向から逆らった物だ。

遠距離から攻めるという従来の呪術師の戦闘スタイルを否定し、呪術と相手の攻撃を受け流す為の盾や直剣などを駆使した接近戦を想定した様々な呪術が作成されている。

『呪術とは至高なり。故に呪術師は先行して敵を倒し、その猛威を存分に発揮せねばならぬ』

コーネリウス流を完全習得した際に師より賜ったこの言葉。

これがあるからこそ彼は黒鉄の鎧で身を固め、敵の懐に潜り込んで超至近距離から高火力を誇る呪術を放っているのだ。


「おや?新しいお客かい。しかも……憲兵か」


黄金色のビールが注がれたジョッキを右手に持ったアルコが貯蔵庫から姿を現した。


「はい。そうです」

「ははは、悪いがうちでは疚しい事はしてないよ」

「いえ、今日は業務で来てる訳ではありませんよ。プライベートでお酒を飲みに来てるんです」

「そうかい。それなら一人の客として私も接するか。御注文は?」

「あっ、それなら私もビールで」


憲兵の注文を受けたアルコが店の奥へと消えていくのを見届けると、モーガンは静かに息を吐き、ビールが注がれたジョッキを傾けた。


「………まぁ、だがな、俺はまだ未熟だ。あんなんで呪術の真髄だなんて言われちゃ、師匠に顔向け出来ねぇ」


憂いた表情を浮かべ、憲兵に向けてそう言ったモーガン。

口内に広がるビールのほろ苦い後味をゆっくりと堪能したがらニヤリと笑みを浮かべた。


「なぁ、憲兵さん……アンタ達はそう遠くない内に俺達を潰すつもりなんだろ?」

「……ッ」

「図星って顔だな。ったく…お前等の情報管理どうなってんだよ。ガバガバじゃねぇか」


モーガンはイタズラっぽく眉を吊り上げた。

その言葉を聞いた憲兵は苦虫を噛み潰したような苦悶の表情を浮かべ、頭を下げた。


「ごもっともです…」

「まぁ、そんな説教垂れるつもりは無ぇよ。前以て情報を知れるってのは俺にとっては良い事だし。ほら、座りな」


彼は隣の席を引くと、其処に座るように憲兵へ催促した。

彼女は軽く会釈すると、木と安物の革で出来た椅子にストンと腰を下ろした。


「やっぱり王の命令だろ?闘技場潰せっていうのは」

「…………言えません、極秘事項なので」

「…そうか。金を積んでもか?」

「…はい」


モーガンはジョッキの縁を指先でゆっくりとなぞる。


この憲兵はそれなりに芯が通っている様だ。

良い兵士だ、そこらの賄賂塗れの酒飲み憲兵や怠慢だらけの近衛兵よりもずっとマシだ。


僥倖だ。こんな素晴らしい憲兵に出会えるなんて。


こんな心地良い酒の席には葉巻の一本は欲しい所だが、生憎そんな嗜好品は持ち合わせていない。

それは収入の殆どを呪術の媒介体や素材とする毒蟲や呪石の購入に注ぎ込んでいる為だ。

飯も住居も最低限。私生活をも全て闘技場での戦闘に費やした生活をモーガンは既に六年間続けていた。


「あの、少しお聞きしたい事があるんですけど……」

「何だ?」

「その…呪術って具体的に何なんですか?」

「具体的に、か?」

「はい。私、貴方の戦い方を観て呪術が何なのかをもっと詳しく知りたくなって……」


そう懇願する憲兵の眼はキラキラと子供の様に輝いていた。


「そうか。それじゃあ、少し長くなるけど話すぞ…」


そう一言断りを入れてから、モーガンは語り始めた。


呪術とは呪いと占いを興りとして発達した、魔法や奇跡と並ぶ、人類の叡智の一つだ。

起源は遥か太古、旧大陸の極東地域に存在していたと云われる大帝国らしいが、現代の形を成立させたのは旧大陸の人間が持ち込んだ技を、自らの文化に合うように改変した新大陸の原住民達だ。

彼等は高度な技術や文化は有していなかったが、柔軟な思考力を持っていた。

だからこそ、彼等は人間が編み出した呪術の更なる活用方法を発見し、その将来を開拓したのだ。


呪術は魔法とは異なり、属性別の適性などが一切関係なく、誰でも操る事が出来る事こそが最も大きい利点だ。

その上体力と媒体が残っている限り永遠に放つ事が出来る。


単純な占いの他にも俺が先程繰り出したような毒を孕む術や鉄をも溶かす酸、人間を地獄の淵まで追い詰める呪詛など、その種類は多種多様だ。

しかし其れ等の殆どが毒虫や呪われた道具を媒体として発動する為、それを実際に使用する者はかなり少ない。

実際に使っている冒険者でもその殆どが下級呪術が精々関の山のにわか呪術師ばかり。

呪術の知名度が低く、実際に使われる機会が少ないのは其れ等の要因がある為だとモーガンは考えている。


………と、ここまでの内容を噛み砕いて憲兵に説明した。

一頻りの話を聞いた彼女は腕を組んで、宙に眼を向けながら唸った。


「成る程……面白いですね、呪術って」

「そうだろ?使い勝手は最悪だがな」

「だから呪術師は少ないんですよね?不便だから」

「そうだ」


実際、モーガンは今まで呪術師を見た事が殆ど無い。

それは自分が冒険者ではなく動く範囲が狭いからという理由もあるが、やはり全国的に見てもその数はそう多くはないだろう。高度な呪術を操る者であれば尚更だ。

彼やその師の様な呪術に精通した者は新大陸を見回しても精々数人。魔法使いや奇跡を使う祈祷師に比べて確かな実力を兼ね備えた人間は圧倒的に少ないのだ。


「まぁ、その分威力は凄ぇしな」

「まさしくロマンの塊っていう事ですか」

「全部が全部っていう訳じゃないけどな」


ジョッキを両手で持ち、ビールを喉の奥に押し流す憲兵に向けて尋ねた。


「お前、名前は?」

「え?あ……アンナです。アンナ・ジークバルド」

「ジークバルドか。見た所新人だな」

「はい、今年の春に配属されました」


成る程、通りで初々しい雰囲気がする訳だ。

モーガンは若干の微笑みを湛えた。


「なぁ、ジークバルド。今度闘技場制圧するんだろ?」

「………はい」

「それなら週末に決行しろ。週末なら基本的に弱い怪物と駆け出ししか演らないし、どっちが勝つか判らないからかなりの観客が集まる。その日がチャンスだ」

「…え?」

「教えてやってるんだよ。多分俺が一番闘技場の事に詳しいだろうからな」


酔いが回ったのか、彼は案外饒舌に闘技場の攻略法をジークバルドに説明していた。

秘密をそんな軽々しく部外者、それも敵となり得る人間に話していいのか?と思うかもしれないが、彼に闘技場への未練や執着などは微塵も無い。

ただ戦いたかったから、彼処で六年間も決闘に身を投じていたのだ。


心残りなら精々、数少ない友達であるエスパダの事か。

彼はせめて逃したい。彼ほどの剣術の腕前があるならば地方の自警団や貴族直属の騎士団程度なら易々と加入出来るだろう。


後の奴等は精々半年も保たない雑魚ばかり。どうせ怪物に殺される運命だ、憲兵に捕まった方が長く生きれる分良いだろう。

この事はエスパダにだけ話しておくべきだ。


「あ、その、えっと………ありがとうございます」


ジークバルドは狼狽しながらも頭を下げた。


「別に良い。俺も闘技場に飽き飽きしてた頃だ、潰れて清々する」


今までモーガンが闘技場で戦ってきたのは強い敵と対峙する為。

だが、ここ最近は中型程度では手こずる事が無くなり、少々物足りなさを感じ始めていた。

闘技場は捕獲・飼育・育成が難しい空竜(ワイバーン)鉄人(ゴーレム)などの大型生物を出場させる事が出来ない為、いつも相手は中型ばかりだ。

だからこそ、彼は飽きたのだ。


「えっ、でも……闘技場が無くなったらお金も無くなるんじゃ…」

「その時は冒険者にでも転身してみようか。まぁ、大物倒すには時間が掛かるけどな」

「そうなんですか……」


ジークバルドはチラチラと此方を目で牽制した後、意を決したかの様に、


「あ、あの!」


と声を出した。


「何だ?」

「いや、その……もし私達が闘技場を潰して、行く宛が無くなったなら……















憲兵団に入りませんか!?」












「は?」


突然の勧誘に、モーガンはただ呆然とする事しか出来なかった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ